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公開中・公開予定の映画の原作本 (58)

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公開中 「マイ・ブックショップ」 ← 「ブックショップ」 ペネロピ・フィッツジェラルド ハーパーコリンズ

 

 

 

公開中 「荒野にて」 ← (同名) ウィリー・ヴローティン 早川書房

 

 

公開中 「ハンターキラー 潜航せよ」 ← (同名) 上下  ジョージ・ウォーレス ドン・キース ハヤカワ文庫

 

 

 

映画を観るよりも先に原作を最後まで読むことには、(よほどのミステリー以外は)抵抗なく

3冊とも公開前に読みましたが、「ブックショップ」と「荒野にて」は観るのをやめました。

「ブックショップ」は理想的な人物に描かれているヒロインに全く共感できず、

逆に「荒野にて」は主人公の少年があんまりいい子過ぎて読み進むのが辛かったから。

この2作はDVD待ち決定です。

 

「ハンターキラー」は、原作は非常に込み入った話ですが

(すでに観た)映画のほうは、登場人物が半分くらいになっていてホッとしました。

それに、3つのパートが同時進行しても、映像があればわかりやすいですね。

映画のあとにもう一度原作で復習しようとしたら、登場人物や船の名前が違ってたり、

映画オリジナルの人物もいたりで混乱してしまい、なかなかブログを更新できずにいます。

この3冊は読まない方がよかった???


ある少年の告白

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映画「ある少年の告白」 4月19日公開 ★★★★☆

原作本 「Boy Erased: A Memoir of Identity, Faith, and Family(消された少年:アイデンティティと信仰、家族の回想)」 ガラルド・コンリー (邦訳なし)

(英語 字幕翻訳 松浦美奈)

 

 

アメリカの田舎町で育った大学生のジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)は、

あることがきっかけで自分が同性愛者だと気付く。

息子の告白に戸惑う牧師の父(ラッセル・クロウ)と母(ニコール・キッドマン)は、

“同性愛を治す”という転向療法への参加を勧める。

その内容を知ったジャレッドは、自分にうそをついて生きることを強制する施設に疑問を抱き、

行動を起こす。                                     (シネマ・トゥデイ)

 

牧師の家に育ち、両親の愛をいっぱいに受けて育った、素直で優秀な19歳のジャレット。

彼が母の車である施設に向かうシーンから始まります。

 

「愛の導きへようこそ」と書かれたその施設は、GLBTの矯正施設で、

携帯など持ち物をすべて受付に預け、おなじような仲間たちとセラピーを受けることになります。

「きっとうまくいくわ、愛してる」と母。

入所している間、母は近くのホテルに滞在し、毎日夕方5時に迎えにくることになっています。

 

入所中は禁煙、禁酒、ドラッグ・ポルノ・自慰は禁止、読書も日記もテレビも禁止、

身体が触れ合うのも、スタッフの同伴なしにトイレにいくのも禁止、何もかもがダメダメです。

 

「救済プログラムにようこそ」

「生まれつきの同性愛者はいない。行動と選択の結果そうなった」

「ここで治療を受ければ、必ずみんな立ち直れる」

と語るのは、ここの主催者のヴィクター・サイクス。

 

最初の課題は、一家の家系図を作り、その中に「アルコール中毒者」「同性愛者」「精神疾患者」

「ポルノ愛好家」「家庭内暴力者」「犯罪者」などがいるかどうかを書き、原因を突き止めようといわれます。

(先天的じゃないといいながら、なんで家系図なのか理解できませんが・・・)

 

シーンはたびたび過去にフラッシュバックするのですが・・・・

ジャレットは高校時代バスケ部で活躍し、チアリーダーのクロエという彼女もいて、

なかなかリア充のスクールライフを楽しんでいたのですが、積極的なクロエの要求には応じられず

大学に行く前に別れてしまいます。

 

大学に入ったジャレットは、同じ寮に住むヘンリーと親しくなりますが、

ある夜、部屋の二段ベッドで、彼からレイプされそうになってしまいます。

ヘンリーは自分が同性愛者だと告白し、

これはふたりだけの秘密にしてほしいと泣きながらいわれますが、

ジャレットは混乱して、いったん実家に帰省します。

すると、母のところへ、大学のスクールカウンセラーを名乗る男から

ジャレットは同性愛者だと電話がかかってきます。

戸惑う母、怒る父・・・

ジャレットは「名前を名乗らないのならそれはきっと(自分をレイプしようとした)ヘンリー・ウォレスだ」

といいますが、そのあとで

「実は僕は女の子よりも男のことを考えてしまう。ごめんなさい」

 

それを知った父は、自分に任せろといい、

ウィルクス牧師と、息子を立ち直らせた経験のあるジムを家に呼び

対処法を検討し、そしてその結果が「矯正施設入所」となったようです。

 

ここでのセラピーはほんの短期間といわれていたのに、数週間たってもなかなか卒業させてもらえません。

何本もダッシュをさせられたり、高速のピッチングマシンの球を打ち返す訓練とか、男らしい姿勢とか

そういうのはジャレットは得意なんですが、我慢ならないのは

愛読書を批判されたり、手帖に書いた自作の小説(男女のラブストーリー)を勝手に検閲され

「ホントは同性愛の話じゃないか」とか疑われること。

 

人と触れるのを極度に嫌い、サイクスとの握手も拒否して敬礼するジョンとか

治療が効いているように演じてここから出ようとしているゲイリーとか・・・

大柄で太っているキャメロンは声が小さく、いつもサイクスから怒られているのですが

ある日、全員が集められ、

「キャメロンが自らの過ちで悪魔の餌食になった」

と、悪魔祓いのような儀式が行われます。

まず彼の父が聖書で思いっきりキャメロンの身体を殴ると、

そのあと、全員が次々に聖書でなぐるというもの(意味不明)

 

翌日、自らの罪の懺悔がジャレットの順番になり、

彼は大学で知り合ったグザヴィエという男性の部屋のベッドで

服を着たまま見つめあって眠った話をしました。

 

 

ところがヴィクターから

「それは嘘だ。自分に正直に真実を話しなさい」

「自分の罪を認めろ」

「父親に怒っているのならその怒りをぶつけろ」と

見当違いのことばかりいわれ、

「僕が怒っているのはあなたに対してだ。こんなところにはもういられない」

と受付から自分の携帯を取り返すと、トイレに鍵をかけて、母に迎えにきてと電話をかけます。

 

すぐにやってきた母。

「あなたに息子の何がわかるの?

あなたは何の資格があるの?

この恥知らず」

「私もだわ」

 

そしてジャレットを施設から取り戻し

「私はお父さんに従うばかりであなたを救えなかった」

「もう我慢できない、お父さんを説得するわ」と。

そして、施設に戻るようにという父に逆らって、ジャレットは家に戻ると、

警察がきて、プログラムの最中にキャメロンが自殺したことが告げられます。

 

4年後、ニューヨークに住むジャレットは

「アーメンといえ!矯正施設の真実」という記事をタイムズ紙に書き、

それが反響を呼んで、出版の話もでるようになり、

それを両親に伝えると、どうやら、父と母が距離をおいていることを知りますが

本が出てことが公になる前に父に読んでもらいたいと、実家をたずねます。

 

「僕はゲイで、(牧師である)父さんの息子だ。」

「この事実を受け入れて欲しい」

「僕を失いたくないなら、父さんが変わって欲しい」

 

そしてエンドロールで、この映画の原作者であるガラード・コンリーは

ニューヨークで「夫」と暮らしており

34の州でこういった矯正施設が今も存在し、

過去に70万人もの人がこういう場所で治療を受けたということが伝えられます。

 

 

LGBT映画にもいろんなタイプがありますけど、

これはもともと彼の入所していた矯正施設の人権侵害を糾弾する記事からはじまってるので

社会派映画ともいえるんですが、

そこでの「治療法」にも問題ありですが、そうじゃなくて

そもそも「ゲイを矯正しようという考え」自体がダメということですね。

 

「LGBTに寛容といわれている今のアメリカでこんな人権侵害が行われているとはむかっ

と、これを知って「怒りに震え」るのが正しいんでしょうけど

なんか、そんな単純な話ではないような気がして・・・

 

本人はゲイをカムアウトするのもやぶさかではないとしても

牧師の父はそれをどう受け入れるのか?

宗派にもよるでしょうけど、結構きついことですよね。

あの「バイス」のチェイニーでさえ、娘がレズビアンをカムアウトしたために

一時は政界を引退したんでしたよね。

 

「僕を失いたくなかったら父さんが変われ」と最後に言い放ったジャレットに

観客がスカッとしてエンドロール・・・・という感じでしたけど、

私には母の

「私はシンプルだけど、父さんはもっと複雑なの」という言葉の方に共感しました。

 

今でもまだ同様の施設がたくさんあるということは、それだけ「需要」があるということなのか?

もしかして、教会の資金源になっているとか?

多分「それでなおった」という人もどのくらいいるのか?

 

ジャレットの場合、本人が「ゲイである自分が嫌でたまらないのか?、そうでもないのか?」

それもわからないまま、

父たちが勝手に決めたところに連れていかれたのが一番の問題だったかもしれません。

 

クロエと別れたのも、男に興味があったからじゃなくて、

もしかしたらクロエがあんまり好きじゃなかっただけで

もっといい子と出会っていたら、上手く行ってたかもしれないし・・・・

なんてモヤモヤしてしまうのも、ジャレット役のルーカス・ヘッジズが、

「いかにも」のゲイ設定じゃないからでしょうか。

 

 

エンドロールで登場した、本人ガラルド・コンリーは、「いかにも」の人で

ついでにいうと、母(ニコール・キッドマン)が牧師の妻にしては派手で不自然、と思っていたんですが、

本物の母はまさにそんな感じでした。

父親(ラッセル・クロウ)もそっくりで驚きました。

端役まで贅沢なキャスト(リアルにGLBTの人も含む)で、けっこう豪華な映画ですよ!

 

というわけで、平成最後の映画は「ある少年の告白」

あれ?これもまた、かなり出来の悪い邦題でしたね。

令和元年の最初の日

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令和元年がスタートしました。

今日の乗車券を求めて長い行列ができている・・・なんてニュースを見てたんですが、

そういえば、昨日買った東京メトロの24時間乗車券は、元号をまたいでいるのでは?!

と気づきました。

一度ゴミ箱に捨てたチケットを拾い上げて、令和の朝にもう一度使うことにしましょ!

 

 

西暦表示だから、平成とも令和とも書いてないのが残念ポイントですが、

「年号をまたいで有効」というのにはかわりないので、

令和のアサイチで地下鉄に乗って映画を見に行こう(ひまじん!)

と思い立ちました。

ところが、

5月1日は連休で唯一映画料金の安くなる「映画の日」じゃありませんか。

 

シネコンは夜の回まで軒並み「完売」で、ネット購入率の低いTOHOシャンテですら、

こんな感じです。

 

武蔵野館やシネマカリテは多少は空席ありましたが、

ここは8割がたが見づらい席なので、即やめました。

ネット予約できないところも、もちろん避けたいし、ギンレイはもう見た作品だったし・・・

あきらめようとしたその時、

恵比寿ガーデンシネマがすいているのを発見!

アサイチの回は1~2割くらいしか埋まっていませんでした。バンザーイ!

 

というわけで、アサイチでメトロに乗って、「ねじれた家」を観てきました。

感想はのちほど。。。

 

ところで、今日から令和の新時代がはじまるわけですから

テレビでは各局が一日中皇室の話題で持ちきりですが、

皇室の方たちの年齢についての説明がほぼないのはどうしてなのかな?

誕生日は全員が知っているのに、何年生まれとか、全然いわないのはなんでだろ?

・・・と、常に年齢計算してしまう悪癖のある私としましては、イラっとしてしまいます。

 

昨日まで皇太子殿下だった天皇陛下は「若くて大丈夫かしら?」と思うかもしれないけれど、

もう還暦前の59歳2か月なんですよね。

ちなみに、今日から上皇となられた前の天皇陛下は、55歳になったばかりで

昭和天皇崩御を受けて天皇になられました。

 

1933(昭和8)年12月23日に生まれた上皇さまは、生まれた時すでに父君は天皇だったから、

18歳で成年と同時に皇太子となります。

その後、25歳で結婚、26歳で浩宮徳仁親王を授かり、31歳で礼宮文人親王を授かります。

 

1989年1月7日に55歳で即位、

85歳までの30年間、平成の御世の天皇をつとめられた、ということになります。

 

この30年という長さなんですが、ちょうど今の一世代分に相当するんですね。

昭和から平成になったときに私がやっていたことを、今ちょうど娘たちがやっているから、

なんだか感慨深いものがあります。

元号はわかりづらいから西暦に統一しよう!という人たちがいますけど、

これから先、生前譲位が当たり前になって、30年くらいで次にバトンタッチしていくとしたら、

「時代の区切り」として、むしろ分かりやすいような気がしますけどね。

 

昭和天皇の62年というのは2世代分になっちゃいましたけれど、

これは大正天皇が若くして崩御されたので、仕方ないですね。

 

昭和天皇は20世紀になったばかりの1901(明治34)年4月29日に生まれ、

25歳のときに天皇になられ、87歳で亡くなるまでの62年間天皇をつとめられました。

大正天皇の病状悪化で、20歳のときにはすでに摂政宮をされていたから、実質は67年ともいえます。

 

摂政宮時代の22歳で結婚しましたが、4人続けて内親王誕生で、

すでに天皇に即したのち、結婚から10年後の32歳のとき、継宮明仁親王が誕生しました。

 

そして、今の天皇は、1960(昭和35)年2月23日に生まれ、

父君の天皇即位とともに29歳で皇太子となり、

33歳で結婚、41歳で敬宮愛子内親王を授かります。

 

畏れ多くも、年齢だけで書いていくと、こんな感じになります。

皇位継承順位1位の皇嗣秋篠宮さまの年齢差とか、あまりいわれないけれど、

現在53歳なので、天皇とは5歳半ちがいです。

2位の悠仁親王が現在12歳、(女性天皇が認められるかもしれないので)愛子内親王が17歳です。

 

今回の譲位は滞りなく行われましたが、「この次」はどうなるのかな?

 

いや、それより気がかりなのは、

93歳の女王と70歳の皇太子のあの国はずっとこのままいくのか?

気になって気になってたまりません・・・・!

ねじれた家

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映画「ねじれた家」 平成31年4月19日公開 ★★★☆☆

原作本 「ねじれた家」 アガサ・クリスティ ハヤカワ文庫

(英語 字幕翻訳 松浦美奈)

 

 

文なしから大富豪になったレオニデスが毒殺され、

私立探偵のチャールズ(マックス・アイアンズ)が捜査に乗り出す。

屋敷には愛人がいるらしい若い後妻、映画製作の資金が欲しい長男ら一族が勢ぞろいしており、

巨額の遺産をめぐって火花を散らしていた。

捜査が進むにつれチャールズは、一族全員に動機があることに気が付く。     (シネマ・トゥデイ)

 

「ねじれた家」というのは、きっとマザーグースの「ねじれた男がおりました・・・」にでてくる家ですよね?

クリスティには「そして誰もいなくなった」とか「ねずみとり」とかマザーグース由来のミステリーがあって

なんとなく小中学生のときに読んだかもしれないと思い、本を手にすることなく映画を観ました。

(結論から言うと、子どもの時に私の読んでいたのは創元推理文庫ばかりで、

この作品の邦訳の出ていた早川ミステリは大人の本だと思ってて読んでなかったんでした)

 

「ねじれた家」には心のねじれた富豪の一族が住んでおり、

最初の30分くらいは、ひたすら、登場人物の紹介に費やされます。

映画の相関図が見つからなかったので、原作の方のを貼っておきます。

 

19

こっちが映画の相関図。(汚くてすみません)

原作とほぼ同じですが、フィリップとロジャーの長男二男が逆になってますね。

 

最初のシーンは、老人の右腕にどう考えても怪しい注射を打って、キスして立ち去る女。

翌日のニュースでは、「伝説の怪人アリステッド・レオニデスが死亡」が伝えられます。

1781年生まれのギリシャ移民の彼は一代で巨万の富を築き、87歳で死んだということなので

1958年くらいの設定なんですね。

 

場面かわって、チャールズ・ヘイロードの探偵事務所に名前をかくした若い女性が依頼にやってきます。

彼女はレオニデスの孫娘のソフィアで、

実はチャールズが外交官だったときに付き合っていた元カノだったのです。

「祖父は病死でなく、毒殺されたんだけど、

警察にあれこれ調べられる前に、先回りして捜査して犯人を突き止めて欲しい」というのです。

 

レオニデス一族の住む家はお城みたいな豪邸、

最初に出てきたのは、亡き前妻の姉(ソフィアの大叔母)のイーディス(グレン・クローズ)。

モグラ駆除のためにショットガンを撃ちまくるイーディスにビビっていると

こんどはナニーにめちゃくちゃ反抗している生意気な女の子登場。

彼女はソフィアの妹のジョセフィンで、

「おじいさんが死んで、この家で一番賢いのは私よ」と言い放ちます。

 

ソフィアとジョセフィンの母親のマグダは、売れない女優で、父フィリップは自称歴史家&脚本家。

芝居はまったくウケないのに、やめる気も毛頭なくて、父には金の無心ばかり。

夫婦ともに経済観念なくて「ポーカーで負けて有り金失ってここに住んでいる」といいます。

 

亡き父の事業の一部を引き継いでいるのは弟のロジャーですが、

父に似ずビジネスセンスなくて、もう会社は倒産寸前です。

 

要するにお金がなくて行き場のない家族がこの家に「寄生してる」って感じで、

亡き父は傲慢で支配的ではあったけれど、とりあえずダメ息子たちの援助はしていたようです。

 

イーディスは妹(早くに亡くなった前妻)に代わって家族の世話をしてきて、この家のゴッドマザー的存在。

ただ、亡きアリステッドとは仲が悪かったようです。

孫娘のジョセフィンも、バレエを習いたいのに許してもらえず

「おじいちゃんなんて大っ嫌い!」といっており、全員亡き父を嫌い、相続権を持っているから。

誰もに殺人の動機はあるのです。

 

その中でも一番形勢が不利なのが後妻のブレンダ。

糖尿病のためのインスリン注射に毒が仕込まれていたのですが、注射器には彼女の指紋がついており、

注射をしたこと自体はブレンダは認めているし、何より、一番遺産が入るのが妻ですからね。

元ダンサーの彼女は37歳。87歳の夫とは親子以上の年の差で、

誰がみたって怪しいのですが、本人は強く否定しています。

 

このあとも、生前作成していた遺言書に署名が抜けていたのがわかったり

それに代わる別の遺言書の存在がわかったり

回想録が行方不明になったり

ブレンダと家庭教師との不倫関係がわかったり

話は二転三転しますが、さて、真犯人は???

 

60年前の話なので、今のような科学捜査は無理で、注射器の指紋を調べる程度。

それにしても、チャールズは手袋もしないで、薬棚とか手紙とか無神経に触るのが気になって・・・

しかも、彼は何一つ推理をしな~い!← なかなか画期的ですよね!

クリスティのミステリーにでてくる探偵はポワロもマープルも超優秀なのに

こんなぼんくらな探偵は初めて見ました。

 

チャールズ役のマックス・アイアンズって、「天才作家の妻」でグレン・クローズの息子をやってましたよね、

たまたまグレン・クローズと一緒のシーンが多かったので思い出したけど、

そうじゃなかったら、それすらも思い出せないくらい存在感うすい役者さんで、

親の七光り?とか思ってしまいますよ。

こういうぼんくら系の役じゃないのをパキっとやってくれたら見直すんだけどなぁ・・・

 

グレンクローズと,端役だけど警部役のテレン・スタンプ以外は

どこかでみたことあるけど名前はわからないレベルの俳優ぞろいでしたね。

ミステリーはその方が先入観なく見られていいのかもしれないけれど・・・・

 

結末は書きませんけど、私は違うことを考えていたから、意外といえば意外だったかも。

私が考えていたのは(違ってたから書いてもいいですよね?)

「知らず知らずのうちにチャールズ自身がソフィアの繰り人形になってしまっている」というもの。

 

登場人物のうち、一番キャラや過去があいまいなのが主人公なんですよ。

ソフィアの元カレで、父親の関係で警察からも一目置かれていて、

本人はそれほど頭がキレない・・・というのはなかなか使い勝手よさそうですよね。

チャールズ自身はもちろん犯人ではないけれど、誘導されて証拠を隠滅してしまったり、

間違った証拠を見つけてしまったり、真犯人の助けになるようなことをしてしまうんじゃないかと・・・・・

思ったんだけど、全然違いました。(笑)

 

 

結末には鳥肌のたつような興奮はなかったけれど、

「家庭教師と浮気してる、亡き富豪の若い後妻」はたとえ殺人を犯していなくても、

偽造した状況証拠や不利な証言がひとつふたつあれば、

陪審員の心証が悪くて、死刑にもなってしまう・・・・っていうのが、

あまりに怖くて、ちょっと震えました。

 

謎解き自体よりも、キャラ強めの登場人物たちの芝居がかったやり取りを味わったり

レトロな車や電話や文房具を懐かしむ一方で

どこでもタバコ吸いまくりの60年前の風潮を苦々しく思ったり

贅沢な屋敷とそこに住むクズ人間たちのギャップとかを楽しめたらいいじゃないかと思います。

これから観たい映画(更新)

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5月公開

〇5/10 「RGB最強の85歳」 (恵比寿ガーデンシネマ)

〇5/10 「ホワイトクロウ」 (TOHOシャンテ)

〇5/17 「ガルヴェストン」 (シネマ・カリテ)

〇5/17 「コレット」 (TOHOシャンテ)

〇5/17 「僕たちは希望という名の列車に乗った」(ル・シネマ、HT有楽町)

▲5/24 「空母いぶき」  (これから書きます)

〇5/24 「ベン・イズ・バック」 (TOHOシャンテ)

〇5/25 「パリの家族たち」 (恵比寿ガーデンシネマ)

 

 

別に変更(というか更新)するほどのことでもないのですが、

シャンテや恵比寿ガーデンシネマでチラシもらったり予告編みたりして、

今月観たい作品を少々追加しました。

 

 

女性で最初の最高裁判事となったギンズバーグの映画は、

公開中の「ビリーブ未来への大逆転」を観ようとしていたのですが、

なんか、これ、「昔は女性はこんなに差別されていたのですよ」というのを

若い人たちに訴える映画のような気がして、観る気が失せました。

 

原作というわけではないですが、去年出たばかりの絵本を図書館で借りて読んだら、

「成績のいい女性は敬遠された」とか「大学進学しても男ばかりで配慮してもらえなかった」とか

信じられな~い!! 許せない!!

と(子どもたちが)思うように書かれていて、

(ふつうに男女差を生きてきた)我々の世代には全然面白くもなんともありません。

 

ガーデンシネマで、本人の出演するドキュメンタリーの「RBG」の予告編を見たら、

彼女自身は女性の人権を振りかざすようなタイプではなく、

たんたんと誰よりもクオリティの高い仕事をしてきただけなんですよね。

ひょうひょうとした(市川房江さんを思わせる)キャラクターも素敵です。

 

なので、アピール狙いで演出過多と思われるフィクションよりも

ドキュメンタリーのほうを観ることにしました。

 

「ホワイトクロウ」と「パリの家族たち」も、予告編で観てみたくなりました。

リアム16歳、はじめての学校

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映画「リアム16歳 初めての学校」 平成31年4月27日公開 ★★★☆☆

(英語 字幕翻訳 中沢志乃 )

 

 

16歳のリアムの夢は、有名な大学に行って、ホーキング博士のような学者になることだった。

シングルマザーとして彼を育てるクレア(ジュディ・グリア)は、昔から息子を学校に通わせることなく

自宅で英才教育を受けさせていた。

同年代の友人のいないリアムはある日、

高卒認定試験を受けるために初めて公立高校に行く。  (シネマ・トゥデイ)

 

 

 

母のクレアの方針で、ずっと学校に行かずに16歳になったリアム。

それでも家庭学習でなかなかの学力をつけているようです。

この母と息子は異様に仲がよく、唯一無二の親友で「無限に愛してる」存在。

 

リアムは将来、天文学者になって宇宙の神秘を研究したいとおもっているのですが、

大学に行くためには、高卒認定試験に受かることが必要です。

 

何度も家で模試をして、テストの準備は万端。

トイレに時間をとられないように水分調整をする・・・

鉛筆は折れると面倒だから、いいシャーペンを用意する・・・

カンニングを疑われないようにきょろきょろしない・・・

母のアドバイスに素直にしたがい、手をつないで公立高校に向かいます。

 

誰よりも早く答案を書き終えて教室をでようとしたとき、

廊下で義足の女学生の太ももをみて、衝撃が走ります。

出したばかりの答案を返してもらって、消しゴムでごしごし消してしまいます。

 

当然試験は不合格。

「これは私の家庭学習が否定されたことになるのよ」

と母は激怒しますが

「学校に行ってみたい」

「友達リストがママとジョンおじさんだけなのは寂しいから」

というリアムをつれて、また高校に戻ります。

 

病気で休学しているマリア・サンチェスという女生徒の枠で

1週間学生生活を「体験」することになり、リアムの新しい生活がはじまります。

 

当然毎日母が送り迎えして、ランチも車のなかで母とおばあちゃんと食べるのですが、

自分がほかの子たちとかなり違っていることに気づいていきます。

アナスタシアという義足の女の子とも挨拶できるようになり、

「脚を触って伝説になりたい」と思うようになります。

 

一方母の方は、過保護にそだったリアムが、公立学校の風紀の悪さにショックを受けるのが心配で

Fワードで悪口をいう練習とか、マリファナを吸う練習とか、コンドームを素早くつける練習とか

今までの家庭学習になかった「プログラム」にも挑戦するのですが

母の授業の限界を感じるようになります。

 

1週間が過ぎてもリアムはまだ学校に行きたがり、

そのうちマリアが亡くなったことで、「枠」は保証されることになるのですが、

リアムの高校生活は?そして、次の高卒認定試験は?

・・・・という話です。

 

ストーリー自体はそんなに面白くはないですが、

ともかく、母と年頃の息子がめちゃくちゃ仲良しで、(最後は母離れすることはするんですが)

結局「親友で無限に愛してる」のは変わりませんでした。

これはこれでいい話ですけどね。

 

私は男の子を育てたことがないのでよくわかりませんが

早い子は小学校中学年くらいで母と距離を置くようになり、

「人前では、そばにこないでほしい」とかいうようになるんですってね。

かわいそう・・・・・

 

この母は、シングルマザーだから、経済的に息子を養いながら、日常の世話もして、

勉強も教えていて、友だちとしても唯一無二の存在なんですよね。

ひとりで何人分もこなしているのは立派だけれど、良く考えたら(いや、考えなくても)これは無理。

無理を承知で、「もしこんな親子がいたら」というおとぎ話なんでしょうね。

 

母親役のジュディ・グリアは若々しくてキュートで、遠目には息子とカップルでも違和感なく見え

(高校のときに妊娠したといってたから、まだ30代なんでしょうね)

マザコンのキモイ感じではなかったけれど、

もし身近にこんなイチャイチャした親子がいたら、ちょとひいてしまうかも。

 

「親が子どもに勉強を教える」ということ自体は、

私もそういう家に育ったから、全然反論はありません。

私は学校にもちゃんと通っていたから、それで困ったことは少なかったんだけど

たとえば、家で教わったことと学校で教わったことが違っている時、

子どもとしては「親の方が正しい」と思ってしまうんですよね。

 

頭蓋骨の読み方を「ずがいこつ」ではなく「とうがいこつ」

「炭水化物」ではなく「含水炭素」とか・・・

テストで書いて×を食らい、親に見られて先生に文句言えといわれる・・・

というのは、若干めんどくさかったんですが、

まあ社会なんてそんなものだと、小学校のころから思っていました。

 

今は、教科の学習だけじゃなくて、礼儀とか公共マナーとか危機管理とか性教育とか

なんでもかんでも「学校任せ」が当然と思ってる親が多いから

なんでも自分が責任もって教える覚悟のある親は、逆にエライとおもいますけどね。

 

小学校だったら、教科によっては、素人の私でもイケるかもしれないけど、

高校まで自宅で英才教育をしていたリアムの母は、どんな学習準備をしていたのか?

ものすごく気になったのですが、そのへんは全くスルーだったのはかなり残念でした。

 

「家の外を知らない少年が、リアルな高校生活のなかで目覚めていく話を

オシャレな感じで作ってみました」っていう映画で

これを観て何かに気づかされたり、感じるものがあって、って作品ではなかったです。

 

いくら頑張って家庭学習をしても、それには限界があるよ!ってことなんでしょうけど、

普通はそこまで頑張らないし。

ひきこもりでもないリアムを学校に行かせない選択はありなのかな?

 

ただ、普通は6歳で遭遇する学校体験を16歳でやったらどうなるか?

という設定もののコメディとしては、楽しめる内容でした。

23区内ではシネマカリテの公開なので、もっとカルトな作品を想像していたら、

ふつうに楽しい映画だったので、シネコンで上映してもよかった気もしますけどね。

 

 

 

 

個人的にはイマイチでしたが、初日でもないのに、

いい香りのするシャンプー・リンスのセットをいただきました。

早速ジムで使わせていただきます!

運命は踊る

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映画「運命は踊る」 平成30年9月29日公開 ★★★★☆

(ヘブライ語 字幕翻訳 大西公子)

 

 

ミハエル(リオル・アシュケナージ)とダフナ(サラ・アドラー)の夫婦は、家を訪ねてきた軍の役人から、

息子のヨナタンが戦死したと知らされる。

ダフナは悲しみと衝撃で気を失い、ミハエルはショックを隠しつつも役人の対応に不満を募らせる。

やがて戦死が間違いだったことが判明しダフナは胸をなで下ろすが、

ミハエルは憤慨して役人に息子を帰すように迫る。

一方のヨナタンは、戦場の検問所で仲間の兵士と怠惰な時間を過ごしていた。 (シネマ・トゥデイ)

 

人生の皮肉な運命を描いた3幕の不条理劇。

徴兵制のあるイスラエルの話なので私たち日本人からすると「日常」とは言えないですが。

室内の不自然な幾何学模様とか、不自然なカメラアングルとか、気になるポイントはたくさんあって

いちいち「意味ありげ」で、すべてが何かの暗喩になっているようではあるのですが

私なんかには難しいことだらけ。

まずは、おおよその流れを書いておきます。

 

(第一幕)  

ヨナタンの両親の住むテルアビブのアパート。

その部屋を兵士が訪れ、息子が戦死したことが告げられます、

その場で失神した母ダフナは注射を打たれ、運ばれていきますが、

父ミハエルは茫然自失となり、たちすくむだけ、

軍の担当者は淡々と葬儀の段取りを説明し、

ラビが遺族としての心の持ち方を説明し、

医者は1時間ごとに必ず水を飲むようにいい、タイマーが与えられます。

どのような状況で戦死したのかの説明は全くなく、

息子の遺体にはいつ会えるのか?早く会わせろ!とミハエルは軍に迫ります。

 

しばらくすると、

「戦死したのは同姓同名の別人で、息子さんは無事です」と訂正され、

ダフナは大喜びしますが、ミハエルはさらに激怒。

「すぐ息子を連れ戻せ」といいはり、埒が明かないと知ると

ヨナタンをとりもどすよう軍の有力者に働きかけます。

 

(第二幕)

仲間の兵士数名と、国境地警備にあたるヨナタン。

たまに人が通ると、IDを確認して、通行許可をだすものの

戦闘地帯ではなく、らくだがゆっくりと横切るような場所です。

コンテナが日増しに傾いてきてはいるものの、あまり気にする様子もなく

ダンスを踊ったり、絵を描いたり、のんびりとしたもの。

 

ヨナタンは、仲間たちに父親の「ベッドタイムストーリー」を聞かせます。

ホロコーストを生き延びた祖父(ヨナタンの曽祖父)の残した聖書を

母(ヨナタンの祖母)は家宝にして大事に飾っていたのに

プレイボーイのピンナップガールに恋したミハエル(ヨナタンの父)は、

それがどうしても欲しくて、大事な聖書を売ってしまった。

その雑誌は友だちの間で回覧されたが、戻ってきたときには

ベタベタになってページがくっついてしまった・・・

なんて、ホントともウソともとれるような話をしているのですが、

ある日、事件が起こります。

 

いつものように検問をしていると、楽し気な男女の車がやってきます。

IDには何の問題もなかったのですが、車のドアを閉める時に、

飲んでいたドリンクの空き缶が転がってきます。

それをみた仲間が「手榴弾だ」とさけび、それを聞いたヨナタンが機関銃で銃殺してしまったのです。

罪のない一般人を殺してしまっても、上官は問題にせず、

大きな穴を掘って、車ごと埋めてしまいます。

 

(第三幕)

ミハエルが別居(離婚?)しているダフナのところにやってきます。

ふたりの会話から、ヨナタンが死んだことがわかります。

「あなたはいつも頼れる男を演出していたけれど、それは弱さを隠すため。

あなたは弱くて秘密を隠している。

みんなそれに気づいていたのよ」

ミハエルは何も言い返すことができません。

「昔戦場で、あとからきた車に道を譲ったら、その車が地雷を踏んで爆破されてしまった。

譲らなければ自分が死ぬ運命だった。

叫び声が響き、自分は早く死んでほしいと願った。」と告白します。

ヨナタンの遺品のマリファナを紙で巻いて吸うふたりには笑顔が・・・

息子が最後に書いた絵は、ブルドーザーが車を持ち上げる絵で、

(この絵の意味も知らぬまま)ブルドーザーはミハエルのことか、ダフナのことか・・・

なんて、話しています。

 

そしてラスト。

急にヨナタンに帰還命令が出て、意味もわからぬまま、車に乗り込み帰路につきます。

途中、道の真ん中にいたラクダをよけきれずに、車は崖から落ちてしまいます。

ヨナタンの死の真相が明らかにされたところでTHE END なんですが、

ああ、ラクダだったんですね。

 

事故には必ず「原因」がありますが、

それを引き起こすのは、なにか理由があるのか?

たんなる偶然なのか?運命なのか?

 

ものすごく気にはなるけれど、考えてもしかたのないこと。

「神の思し召し」と逃げるしかないです。

 

ミハエルの「罪」はここに出てきただけでもけっこうな量で、

そういうことなら、愛する息子を失ったのは当然のことなのか?

 

息子の代わりに別人が死んでいるのにそれを悼むこともなく、

息子が生きているのを感謝することもなく、軍の間違いを責めて

無理を言って帰還させようと欲張ったから罰が当たった。

 

ポルノ雑誌のためにホロコーストを生き延びた聖書を売ってしまったから

罰が当たった。

 

懐いている犬をいつも蹴飛ばして傷つけているから罰が当たった。

 

地雷を踏んで死ぬ運命だったのに、同僚を身代わりにしてしまったから

いつかはこの見返りがくるはず、とか・・・・

 

 

 

上質で難解でアートな作品。

いかにも大衆受けはしなさそうですが、

ヨナタンの書くイラスト、というかグラフィックのクオリティの高さ、

兵士の踊るマンボの見事さ

砂漠の給水塔とかデブの女性とか「バグダッドカフェ」を思わせる検問所のビジュアルとか

ちゃんと目でも楽しませてくれます。

あ、それから「運命は踊る」という邦題。

これ、まれにみるヒットな邦題だと思いました。

ホワイト・クロウ 伝説のダンサー

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映画「 ホワイト・クロウ 伝説のダンサー」 令和元年5月10日公開 ★★★★☆

(ロシア語・英語・フランス語 字幕翻訳 佐藤恵子)

 

 

 

1961年、海外公演のためソ連から初めて国外に出た無名の若きダンサー、

ルドルフ・ヌレエフ(オレグ・イヴェンコ)は、パリの街に魅了される。

自由な生活や文化、芸術の全てをどん欲に吸収しようとするが、その行動はKGBに監視されていた。

やがてヌレエフが、フランス人女性のクララ・サン(アデル・エグザルコプロス)と親密になったことで

政府の警戒が強まり、ある要求を突き付きられる。                               (シネマ・トゥデイ)

 

 

冒頭のシーンは、バレエ教師プーシキン(レイフ・ファインズ)への尋問

「彼が亡命すると気づいていたのか?

これは、ソ連に対する攻撃です」

「いや、彼はただ踊りたくて西側へ行ったのです。」

 

場面かわって、1938年3月17日。

食べたりゲームをしたり、たくさんの人で混雑したシベリア鉄道の車内でなんとお産がはじまり、

ひとりの男の子が産声をあげます。

 

その23年後、パリ、ル・ブルジェ空港に降り立ったキーロフバレエ団,

はじめて西側にやってきたその一行のなかに、若き日のルドルフ・ヌレエフがいました。

街のあちこちには「自由」「平等」「友愛」の文字が踊り、

きらきらしたパリの街並に目を輝かせるルディ。

団体行動をきらって一人で出かけるルディは、すぐに監視対象となり、

芸術監督にも嫌われて、初日のステージでは役から外されてしまいます。

 

その6年前、ルディが17歳の時、レニングラードのバレエ学校の新入生となるのですが

ウファという田舎出身で、バレエをはじめたのも遅く、けっして優等生でもないのですが

はじめてわずか4週間で

「あの指導者は僕にはあわない」とクレームをいれる強心臓ぶり。

「君はまだ技術不足で、従順さもない。上のレベルに達してから文句をいえ」といわれるのですが

けっして引き下がることなく、ついには、希望するプーシキンのレッスンを受けることになります。

 

彼は頭ごなしに教えることはせず、

「ステップは論理的に考えればよい、賢い君なら自ずとわかるはず」という方針で、

ルディは練習の鬼となってめきめき頭角をあらわしてきます。

 

さてまたパリのシーンに戻って、

「メデュースの筏」を観るために早朝からルーブルに行ったり、

大好きな鉄道模型をさがしにいったりしているルディ。

彼は英語の勉強もしていたので、フランス人の友人もできます。

ルディのバレエをみた若手のピエール・クレール(のちの高名な振付師)は

「君はバレエの技術はまだまだだけど、魂は完璧だ」といいます。

 

ピエールはクララ・サンという女性を紹介してくれ、ルディにディナーを誘いますが、

おいそれとは行けないのがソ連の国情。

それでも同室のユーリをお目付け役につけて、夜の外出が認められます。

クララは、チリの大富豪の娘で、大臣で高名な作家のアンドレ・マルローの息子と交際していましたが、

6日前に、その息子ヴァンサンが交通事故で死んでしまったとのこと。

「アンドレ・マルローって、『人間の条件』の作者だよね」

と、ソ連にいながら、フランスの小説もちゃんと読んでいるルディはスゴイ!

 

「事故のショックで安定剤のバリアムを飲んでいてずっと家にひきこもってた。

今日はピエールに無理やり連れてこられたけれど、気が晴れたわ」とクララ。

 

「あのチリ人女は巨額の富の相続人になっているのを知って付き合ってるのか?」

「勝手な行動をするとこっちの立場もあやうくなる」

「1961年5月27日、この場で君に正式に警告したからな!」

などと監視役(KGB?)にいわれるのですが、それでもルディは

「彼女はただ西側のダンサーと親しいから付き合ってるだけだ」と取り合いません。

 

ある日、ロシア料理店に出かけたクララとルディ。

ここでちょっとした手違いが起こります。

ルディのところに彼の嫌いな「ソースのかかったステーキ」が運ばれてきてしまったのです。

「ロシア人の給仕係なんだから、彼を呼んで代えてもらえばいいじゃない」とクララがいっても

「彼の目をみれば、バシキール人(である自分)を見下しているのがわかる」

「ぼくはウファの田舎の農家の子どもで、王子を演じているけどニセモノだ」

 

かといって、「ソースのかかったステーキは絶対に嫌!」といい、

キレて席を立ってしまうルディにさすがのクララも呆れてしまいます。

 

ほかにも、(これらはパリ滞在中のことではないと思うんですが)

ルディが難しいジャンプや回転の練習をしているときに、見学者をみつけて

「年寄りは出ていけ!やつらが出ていくまで踊らない」

と芸術監督にキレまくって

「芸術以前に態度の問題」といわれてしまいます。

 

また、モスクワの文化省で

3つの団から誘いがきているのに地元のウファで踊れと言われ、断ると

「3年間国から学費をだしてもらっているのだから、恩返しをしないと・・」

「故郷のウファを見下しているのか?」といわれ、それでも

「ぼくは非凡だ!」と言い放つのです。

 

また彼は指導者のプーシキンの家にいっしょに住んでいた時期があったのですが

彼の妻と不倫関係にありました。

これは完璧に裏切り行為なのに、それでもプーシキンに向かって

「あんたら夫婦といると窒息する」とかいきなりキレたり、

「カッとなりやすい、扱いづらい性格」を表すエピソードがたびたび挟まれます。

 

パリでの最後の夜も夜遊びして朝帰りとなるのですが、

なんとか間に合って、みんなと空港へ行き、次の公演地ロンドンを目指します

 

ところがここで、ルディだけが呼び出され

「フルシチョフ書記長から電話があり、君の踊りがみたいそうだから、君だけモスクワへ」

と言われます。

「自分だけ?一緒に踊るのはだれ?」と聞いても答えてもらえず

「帰国の理由はおかあさんの病気だ」とこんどは違うことを言われます。

これは誰が考えても怪しい。強制収容所とか???

 

見送りにきていたピエールに「投獄される」と指文字で伝えると、彼はクララに連絡をとってくれます。

やってきたクララは空港警察のドアを開け

「ソ連の役人がダンサーを取り囲んで、強制的に帰国させようとしている」と告発します。

そしてロディの耳元で

「あなたは何がしたいの?」

「亡命したいのなら、後ろの警官のところへ走って亡命希望と言って!」

とささやきます。

 

ルディはすきをみて走り、亡命を希望し、警官たちに保護されます。

「そんなに踊りたいなら今回はみんなと一緒にロンドンに行かせる」と懐柔しようとしたり

「ソ連を裏切ったら母親とか家族が虐げられるぞ」と脅かしたりしますが、ルディの心は変わらず。

クララのところへは大勢のマスコミが押しかけます。

 

(ここのシーンには一切過去映像が挟まれず、サスペンス映画のような緊張感です)

 

このあと、彼は誰もが知る高名なダンサーとなるのですが、

「これからどの国に住むのか?」と聞かれ

「汽車生まれだから、どこでも暮らせる」 という「定番ネタ」で返すのです。

 

・・・といった、ヌレエフの半生を描いた「伝記映画」といえるのですが、

見どころがたくさんあって書ききれないくらいです。

 

当初「ホワイト・クロウ」というタイトルを聞いて、

あの大ヒットしたバレエ映画の「ブラック・スワン」にのっかった便乗商法で

日本の誰かがアホな邦題を付けたんだろうと思ってたんですが

なんと、原題も同じでした。

 

最初の方で、

「ホワイト・クロウとは、類まれなき者という意味のほかに

はぐれもの、という意味がある」

とテロップがでるのですが、

まさにルディは「類まれなき はぐれ者」で、

それを示すエピソードがたくさん紹介されます。

 

と同時に、(あらすじでは省略しましたが)

貧しかったころの幼少期のモノクロシーンがなんども挿入されます。

とくに伏線になっている、というわけではないのですが

これをみると、こういう環境に育った上昇志向の高い少年の意識が伝わってきます。

タタール系の少数民族出身というのは、彼の「恥ずかしい過去」ではなくて、

「そこから自力で這い上がってきた自分に対するプライド」がものすごく高いんでしょうね。

 

本編のほとんどは、1961年5月のパリ公演中の「現代のシーン」なんですが、

ここに幼少期とレニングラードのキエフバレエ団でのシーンが挟まれます。

 

幼少期はモノクロだし子役が演じているのでわかりやすいですが、

パリとレニングラードは両方(ロシア人同士は)ロシア語だし、室内だし、混乱してしまいました。

 

ルディを演じるのはタタール劇場の現役プリンシパルのオレグ・イヴェンコ。

吹替もCGもなしで見事なバレエシーンを見せてくれます。

 

 

↑これが若いころのヌレエフですが、雰囲気似てるかな?

 

 

オレグはアップになると、吸い込まれるような青い瞳をしていて、魅力的なイケメンなんですが、

これだと本人には似てないので、

無理やりキツめな表情をさせられてるみたいで、ちょっと気の毒になりました。

 

もうひとつ、気の毒だったのは、ルームメイトのユーリ役があのセルゲイ・ポルーニンなんですよ。

 

 

ジャンプのオーラとか、ユーリの方がすごくて、これ、いいのかな?

まさか、ポルーニンに「手を抜いて飛べ」ともいえないし、困ってしまいますね。

 

それから、監督をつとめたレイフ・ファインズはプーシキン役でもけっこう登場します。

驚いたのは、かれのセリフはほとんどがロシア語だということ。(ロシア人設定ですからね)

 

世界に公開する映画では無理やり「全編英語」というのは多いですが、

ロシア語が一番多くて、パリでのシーンは外国人同士は英語でほかはフランス語。

ルディの英語がパリで友人と話をするうちにだんだん上達していく、というのも

すごいリアリティでした。

 

KGBの取り調べの口調は若干きつめですが、

全体的には紳士的で、拷問をうけたり、そういうシーンはなかったのですが、

こういう息苦しい国で、「傲慢・我儘・反逆児」を貫くのは、なかなか勇気のいることと思いました。

今の日本もそうだけれど、「自由の国の空気感」というのは

永年そこにいると意識しなくなってしまうんですよね。

 

今の日本でバレエで大成するには、親の経済状態がかなり良いか

いいスポンサーを見つけられてないと、まず無理ですよね。

貧しい少数民族の出自でも、素質があれば国費で授業が受けられる社会主義の国。

うらやましいけど、最後まで国に支配されなければいけないのもゴメンですね。

 

 

今回は、TOHOシネマズシャンテで初日初回に観たのですが、

前夜予約したときはガラガラだったのに、

チケット売り場は行列ができていて、会場は中高年の女性中心にほぼ満席でした。

発券機にむりやりムビチケを通そうとしてるマダムがいたけど

ちゃんと席は確保できたのかな?とちょっと心配。

ここの発券システムというか、人の流れは、混雑すると大変ですね。

 

ところでTOHOシネマの上映前の東宝シンデラガールによる「シネマチャンネル」というのが

私は大っ嫌いで、いつも上映前にもかかわらず、ストレスMaxになるのですが、

1スクリーンの場合、2階のうしろの入り口から(CMが終わったのを見計らって)

入場すればいいことに、今日気づきました。

私は通路側の席しか座らないので、これは有効な方法ですね。

 

6月に値上げになる前にあと2回くらいは来ようかな?


ハンターキラー 潜航せよ

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映画「ハンターキラー 潜航せよ」 平成31年4月12日公開予定 ★★★★☆

原作本「ハンターキラー 潜航せよ」 ジョージ・ウォーレス ドン・キース/著--早川書房

(英語・ロシア語 字幕翻訳 林完治)

 

 

ジョー・グラス(ジェラルド・バトラー)が艦長を務めるアメリカ海軍の攻撃型原子力潜水艦ハンターキラーに、

ロシア近海で行方不明になった同海軍原潜の捜索命令が下る。

やがてハンターキラーは、沈没したロシア海軍の原潜を発見し、生存していた艦長を捕虜として拘束する。

さらに、ロシアで極秘偵察任務にあたるネイビーシールズが、世界の命運を左右する巨大な陰謀をつかむ。

それを受けてハンターキラーは、敵だらけのロシア海域に潜航する。           (シネマ・トゥデイ)

 

まっくらな闇を航行する潜水艦・・・鋼鉄の密閉空間で音だけを頼りに敵と戦う・・・

ってイメージの予告編だったので、極度の閉所恐怖症の私にはしんどい作品かと思ったら

とんでもない!

潜水艦パートは半分以下で、ひんぱんに場面が切り替わり、

米軍の上層部がすったもんだで口論してたり、ネイビーシールズの特殊部隊がヒーロー的に活躍したり

アメリカ人とロシア人が敵味方を超えて理解しあったり、なんかとにかく、大判振る舞いのてんこ盛り。

それを、林完治さんのテンポのいい字幕でつないで、それはもう、大満足!でした。

 

で、その場でブログを書けばよかったんですが、原作で補完しようと思って読み始めたら、

これが映画よりもはるかに込み入っていて、登場人物も違うし、

同一人物とおもわれるのも名前が違っていたりして、混乱し、ブログ更新が1か月も遅れてしまいました。

 

 

とにかく、登場人物の一覧表だけでも6ページもあって、

「カラマーゾフの兄弟かっ!!」って感じですよ。

軍や政府関係者だけじゃなくて、ロシアマフィアとか、証券取引委員会とか、情報処理会社とか

さらにパートが増えて、むしろこっちの目線で描かれるパートが多いのです。

もしかして(私が気づかなかっただけで)そういう人たちも出てたっけ??

と思い始めたら、もう、わけがわからなくなってしまいました。

 

1か月たってもまだ混乱してますが、ざっくりとストーリーを書いておきます。(もちろん映画の方です)

 

 

ロシアのコラ半島沖 バレンツ海。

110名の乗員を乗せてアメリカの原子力潜水艦タンパベイが消息を絶ちます。

その捜索のために休暇中だったジョー・グラスが呼び寄せられ、極秘任務が告げられます。

 

彼の率いる攻撃型原潜(ハンターキラー)アーカンソーは、

冷たい海の底で爆破されたタンパベイの残骸と多くの遺体を発見、

そして氷山の下に隠れていたロシア原潜から攻撃を受け、それに応戦し、撃沈させます。

それとは別にもう1隻のロシアの潜水艦が沈んでおり、生存者が助けを求めていることに気づきますが、

それは外から攻撃を受けて沈んだのではなく、内側から爆破されていたのです。

 

「唯一の手掛かりは奴らだ、何かを知っているにちがいない」

副長たちの反対を押し切って、グラス艦長は、かれらを救出することを決めます。

 

一方、ロシアの動きを警戒していたペンタゴンのフィスクやNSAの分析官ジェインたちは

極秘に動ける特殊部隊をポヤルヌイ海軍基地に送り込んでいました。

 

ビル・ビーマン率いるシールズたちは、身元を示すものはすべて残し

「自分たちはいなかったもの」としてパラシュートで降下して基地を目指します。

ドローンを飛ばしてそのライブ映像を本土に送ることに成功するのですが

そこには信じられないものが映っていました。

ロシアのザカリン大統領が拘束され、側近や護衛たちが次々に狙撃され海に落とされていたのです。

 

これはデュロフ防衛大臣のしくんだクーデターで、

タンパベイが沈められたのもこれに関連していることが疑われるのですが、

すぐにも戦争準備をはじめようという、統合参謀本部議長のドネガン。

それに対し、

ロシア内部の問題なのだから、ザカリン大統領を救出してクーデターを収めればよいとする

戦争回避派のフィスクの意見を大統領も支持して、

シールズと基地の近海にいるグラス率いるアーカンソーに大統領救出の任務が任されることになります。

 

とはいっても、わずか4名のシールズたちが、警備の固い基地に潜入して

よその国の大統領を救い出すことができるのか?

そして、アメリカの原潜が、センサーや地雷原をかいくぐって基地に近づき、

大統領を拾い上げて逃げおおせることが出来るのか??

・・・・・っていう話です。

 

①軍の上層部がドローンから配信されるライブ映像を見て、

「戦争だ」「いやちょっと待て」ともめるペンタゴンのパート

②基地の司令部に生身の身体で乗り込んで、大統領を救おうとするシールズのパート

③ロシアの領海に潜入して、大統領とシールズを回収しようとするハンターキラーのパート

 

この3つが同時進行し、頻繁に切り替わるスリリングな展開です。

 

①は、「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」のような、

   お偉いさんたちがライブ配信見て口論するやつですね。

②は、かなり無茶な感じで、まさに「ミッション・インポッシブル」です。

③は、あえていえば「空母いぶき」かな?

 

そんな感じで、3本分の映画をみたような気にさせられます。

 

①では、すぐにも戦争をしたがるドネガン大将(ゲイリー・オールドマン)が

戦争回避派のフィスクたちに最後には説得されるところ

②では、最初足手まといだった新人のマルティネリが、最後には目覚ましく活躍してくれるところ

③では、敵国の潜水艦の艦長との信頼感とか、

誰もが胸熱くなれるシーンが入れられていて、エンタメ映画としては上出来です。

 

③のところをもう少し詳しくいうと、

アメリカの船に命を助けてもらったアンドロポフ艦長(ミカエル・ニクヴィスト)でしたが

一応「捕虜扱い」だし、最初は英語もできないふりしてたんですが、

グラスと心通わせる中で、大統領救出への協力を承諾し、

地雷や音響センサーの位置を教え、海図には載っていない海溝壁の抜け穴を教えてくれたおかげで

基地に近づくことができました。

 

また、アーカンソーに照準を合わせていたロシア軍艦のデストロイヤーの乗組員は

すべてアンドロポフの教え子たちで、彼らは優秀だからけっして撃ちそこなうことはないと。

そして、通信機で船員ひとりひとりの名前を呼んで攻撃中止を命じると、

デストロイヤーの船員たちは(デュロフの手下の)艦長の攻撃命令をだれ一人として聞かず、

逆に、アーカンソーに向かって放たれたトマホークミサイルをひとつ残らず迎撃してくれた・・・

という胸熱な展開が最後に待っています。

 

 

2年前に病死が伝えられたミカエル・ニクヴィスト。

本作のアンドロポフ艦長が彼の最期の配役となりました。

このことだけでも、うるうるしてしまいます。

 

当初「ハンターキラー」というのは潜水艦の名前かと思っていたのですが、

これはハンター(探知)とキラー(目標破壊)の両方を1台でできる攻撃型原子力潜水艦のことです。

だから最初に沈められてしまったタンパベイもハンターキラーということでいいんですよね?

 

タイトルにするくらいだから、この原潜の最新鋭の機能がウリなのかと思ったらそうでもなく、

敵味方関係なしに交わされる男の友情、というか、侠気みたいなのが前面に出ています。

軍人は本来上官からの命令に絶対服従、というのが鉄則だと思うのですが、

それ以上のものが存在するんだ!ということです。

 

この話のなかで、「戦争をやりたくてたまんないエライ人」というのは、

アメリカとロシアにとりあえず一人ずつしか出てこないのに、

それでも「戦争回避」を貫くのはなかなかに大変なことなんですね。

 

あと、知りえた情報も「とりあえず極秘」にするのも鉄則なんですかね?

あのロシアのクーデター映像も(もし流出したら大スクープですが)

ペンタゴン内で納めず、公開してしまったほうがいい気がしたんだけど・・・

そんな単純な問題ではないのでしょうか。

 

日本は平成の時代には一度も戦争に巻き込まれずに済みましたが、

私たちの知らないところで、本当は間一髪で助かったこととかあったのかな?

なんて気になりました。

 

その辺のことは「空母いぶき」でまた考えたいと思います。

リンダ・カーデリーニ

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「ハンターキラー潜航せよ」のペンタゴン・パートで

アメリカ国家安全保障局の主任分析官ジェーン・ノーキストは

本作の中では、数少ない女性キャストなんですが、

このきびきびした人物を演じるのがリンダー・カーデニーリです。

 

 

 

この「ちょっと昔のエマ・トンプソン」みたいな女性、前にも見たことあるぞ!

・・・・と思ったら、

「グリーンブック」のトニーの愛情あふれる妻ドロレスが彼女でした。

 

 

 

そして、アベンジャーズのホークアイの妻ローラもやってましたね。
 

 

2014年に「アメリカンスナイパー」でも「フォックスキャッチャー」でも主人公の妻だったシエナ・ミラーとか、

「奥さん要員」的な人もいますけど、リンダのキャラクターはかなり多彩で

最近みたなかでは、

「シンプルフェイバー」では、ちょっとやさぐれたアーティストだったし・・・

 

 

「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」では、主人公をメロメロにする色っぽい人妻でした。

 

 

多分私がはじめて出会ったのは、「ER」の看護師サムだったかも。

 

 

これからもどんな役柄をこなしていくのか、注目していきたいです。

 

現在公開中の「ラ・ヨローナ〜泣く女〜」では、ヒロインなんですが、

ホラー映画なので、劇場で観るかはちょっと未定ですが・・・・

ティモシー・シャラメとルーカス・ヘッジズ

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「好きな俳優は?」

そう聞かれることが多いですが、

私はだれかの大ファンということはなく、正直、あんまり考えたことありません。

好きな作品の中でいいいい演技をしてくれた俳優に「ありがとう!」って思う感じです。

それでも多少は「好みのタイプ」はありますけど、そんなのを書いても仕方ないので、

今後の活躍が期待される若い俳優の話を・・・・

 

数年前に「デイン・デハーン」とか「ニコラス・ホルト」が大注目されましたけど、

もちろん今でも人気を維持しているものの、賞レースに名前がでることはほとんどなく、

ちょっと物足りなさを感じてしまうのですが・・・・

 

タイトルにしたこの二人は、まだ若いのにすでにアカデミー賞とかゴールデングローブ賞の常連で、

人気に実力がともなったスゴイふたりです!

 

 

 

ディモシーが96年12月生まれの22歳、ルーカスが95年12月生まれの23歳ですが、

子役時代からいろんな作品に登場しているので、ふたりともキャリアは長いです。

 

最初に大きな評価を得たのは、ルーカスの方で

マンチェスター・バイ・ザ・シー」の主人公の甥の高校生の役だったんですが、

主演賞を総なめしたケイシー・アフレックさえ圧倒するような見事な演技で

世界中の映画賞を席巻しました。

 

 

 

ところで、ティモシーとルーカスは、最近ほんの2年くらいの間に

「同性愛」と「薬物中毒」に苦しむ若者の映画をそれぞれに撮っていて、

これが非常に高い評価を得ていて、完全に「ライバル!」って感じなんですが、

それほど比べられることはないので、ここではそれを書きたいと思います。

 

君の名前で僕を呼んで」  

去年3月に日本公開された、ティモシー主演の、ひと夏の同性愛のドラマ。

アカデミー賞、GG賞にノミネートされました

 

ある少年の告白

現在公開中の ルーカス主演の、同性愛を矯正されようとして苦しむドラマ。

GG賞にノミネートされました。

 

ビューティフルボーイ

現在公開中の、薬物依存症からなかなか立ち直れないティモシーと家族のドラマ。

GG賞にノミネートされました。

 

「ベン・イズ・バック」

今月公開予定の作品。 ここではルーカスが薬物依存症の息子を演じます。

 

ふたりとも受賞こそしていないですが、

20代で、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞にノミネートされるのは本当に珍しいこと。

久々にみる「実力と人気」がそろった有望なライバルのふたりですね。

 

このふたり、(そんなに大きな役ではないですが)

レディ・バード」で共演しています。

 

ルーカス・・・・・シアーシャ・ローナン演じるクリスティンの元カレ

         金持ちのおぼっちゃまで性格もいいんだけど、ゲイ疑惑が発覚して、

         クリスティンに見放されてしまいます。

ティモシー・・・・・クリスティンの憧れのバンドマン(ちょっとワル)で交際が始まりますが、

         クリスティンは完全に遊ばれて、ポイされてしまいます。

 

2人が同じシーンで登場することはないのですが、

こんな画像を見つけました。

 

実生活ではけっこう仲がいいんですって!

ホントにこれから注目のふたりです。

フォルトゥナの瞳

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映画 「フォルトゥナの瞳」 平成31年2月15日公開 ★★☆☆☆

原作本 「フォルトゥナの瞳」 百田尚樹 新潮文庫

幼いころに飛行機事故で家族を亡くした木山慎一郎(神木隆之介)は、仕事一筋に生きてきた。

しかし、死が近い人が透けて見えることに気付いた彼は、自らの不思議な力に悩む。

ある日、慎一郎は明るく率直な女性・桐生葵(有村架純)と出会い、二人は付き合い始めるが、

葵の体が透けてくる。                               (シネマ・トゥデイ)

 

2か月以上前に見ていたのですが、本作も、「ハンターキラー」と同様、

映画をみたあとに、おさらいしようと思って原作を読んだら

あっちこっち違っていて、映画のほうの設定がわからなくなってしまい、書きそびれてしまった・・・

というパターンです。

 

 

 

旅客機の緊急降下の機械音・・・

墜落後、気づくと助けを求める血まみれの乗客たちの身体がどんどん透明になっていく・・・・

 

大人になった木山慎一郎は、車の塗装の店で働き、真面目で完璧な仕事ぶりが認められて

社長から2号店の責任者を任せられるほどになっていました。

ただ彼にはプライベートを楽しむことが全くなく

「木山は時間の空白を埋めるために仕事をしてるんじゃないか?」

と心配されるほどでした。

 

ある日、慎一郎は、手が透けている人を見かけて、その人を観察していると

目の前で車に轢かれて死んでしまいます。

その後も同じようなことが続き

「自分には死の予兆が見えるのでは?」と思うようになります。

そして携帯ショップの感じのいい女性スタッフ、葵の手が透けているのに気づいた彼は

どうしても彼女を救いたくて、お茶に誘います。

そしてその後、彼女がそのまま帰っていたら、爆発に巻き込まれてしまっていたかもしれなかった、

「あなたは命の恩人です」といわれ、交際が始まりますが、胸に激しい痛みを感じます。

 

慎一郎の勤務先の社長も社長の妻も彼の味方でしたが、

それを良く思わない先輩社員、金田は、なにかと慎一郎をいじめてくるのです。

金田はほかにも問題をおこし、社長にクビを言い渡されるのですが、

社長の手が透けているのに気づいた慎一郎は、すんでのところで金田からの襲撃を阻止するのですが

直後に気を失ってしまうのです。

 

つまり、他人の運命をかえる行為をすると、そのかわりに自分の命を縮めてしまうというのが

「運命の女神とのお約束」というわけです。

慎一郎を診察した黒川医師もまた彼と同じ特殊な目をもつ人物で

身体が透けている人に気づいてもけっして救おうとしないように、と諭されます。

 

その後、店の「悪い顧客」の身体が透けているのを無視していたら、案の定、事故死してしまい、

それはそれで、自己嫌悪に陥ります。

さらに別の日、葵の手が再び透けていて、

そればかりか、近所の幼稚園の子どもたちが全員透けているのに気づき、大きな事故が起きるのでは?

と思って幼稚園の情報を集めるうちに、不審者扱いされるのですが・・・・

 

というような話です。

 

百田さんの原作にはめずらしいラブストーリーなんですが、

要するに、自分の命を削って他人を死から救える能力があったとしたら、

あなたならどうする??って話です。

神木・有村のコンビの胸キュンシーンは良かったけれど、

気になることのほうが多すぎて、素直に感動はできなかったな。

 

そもそも、原作をそこまで変える必要ある??

慎一郎が家族を失ったのを火事→飛行機事故に変更したのは、良かったと思ったんですが、

原作では重要な役どころだった金田と黒川医師を途中退場させてしまって、

その分有村架純演じる葵の出番を必要以上に増やしている印象で、

なんとなく、「コーヒーが冷めないうちに」と同じだな、と思ってしまいました。

百田さんの小説は、例えば「幸福な生活」では、最後の1行でどんでん返しがあるのですが、

そこまでいかなくても、最後にアッと思わせて終わる・・・というのが魅力ですよね。

原作はそんな感じだったのに、映画の方は、エンディングがやたら長くて、わかりきったことを長々と・・・・

こういうのを「蛇足」といいます。

 

志尊淳とDAIGOが、今回はめずらしくヒール役なんですが、

いい人オーラが邪魔してか、しっくりしてませんでした。

演技力というより、脚本の問題かも。

とにかく、なんでもセリフで説明しようとするから、すべてのシーンが不自然きわまりなく、

こんな脚本でも泣かせる演技ができる神木君が「神」だと思いました。

 

百田さんは佐藤浩市に文句言うまえに、この映画にかみついたらいいのに・・・・ね。

うちの執事が言うことには

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映画「うちの執事が言うことには」 令和元年5月17日公開 ★★☆☆☆

原作本「うちの執事が言うことには」 高里椎奈 角川文庫

 

 

名門・烏丸家の御曹司で頭脳明晰(めいせき)な花穎(永瀬廉)は、留学先の英国から帰国した後に、

父から家督を継ぐように命じられる。

幼いころから信頼するベテランの執事に頼ろうとするが、花穎の執事に任命されたのは

父のフットマン(男性家事使用人)を務めていた衣更月蒼馬だった。

一方、烏丸家の裏では陰謀がうごめいていた。                 (シネマ・トゥデイ)

 

 

キンプリのメンバーが出演するので、舞台挨拶のある明日は早々に2階席まで売り切れとのこと。

初日の今日は空いてましたが、それでも年齢層はかなり低めで、

ちょっと不思議な雰囲気のなか、観てきました。

 

舞台となる烏丸家は由緒正しい大富豪のようで

使用人がたくさんいて、何十も部屋がありそうな大豪邸に、主人公ひとりしか住んでいません。

それにしても、

元華族か何かなら、「烏丸」というのはアリとしても、使用人まで全員小難しい名前なのはいかがなものか?

いちおう、書き出してみますね。

 

烏丸家  27代当主  烏丸花穎 からすま かえい・・・・  King & Prince永瀬廉

       執事     衣更月蒼馬 きさらぎ そうま ・・・・ 清原 翔

       前執事   鳳    おおとり    ・・・・・・   奥田瑛二

       料理人   雪蔵叶絵  ゆきくら かなえ ・・・ 原日出子

赤目家  御曹司    赤目刻弥  あかめ ときや ・・・   King & Prince神宮寺勇太

芽雛川家 御曹司   芽雛川肇大  めひながわ かずひろ・・・  前原 滉

 

芽雛川(めひながわ)とか、もう笑うしかありませんね。

以下のあらすじはもちろんカタカナ表記で・・・

 

カエイは超お金持ちのボンボンなだけじゃなくて、学業も優秀で、留学先のイギリスでは

飛び級で、18歳で大学を卒業。

日本に帰国した翌朝、目が覚めたところから始まります。

そこにいたのは、慣れ親しんだ執事のオオトリではなく、若い執事のキサラギ。

カエイの父はオオトリを連れて海外にいってしまい、

家督をカエイに譲り、その執事にキサラギを任命した、と聞かされます。

 

オオトリは、6歳のときに亡くなった母にかわり、いつもカエイのそばにいてくれて

彼の色彩認知能力にもはやいうちから気づき

「カエイさまは他の人とごらんになっている世界が豊かなのでございます」といってくれた人物。

 

「自分を大きく見せようとせず、小さく委縮せず、媚びて自らを変えることなく

人も物も空間も、ご自分の陣地に招き入れればよいのでございます」

というオオトリのことばが、今までもたびたびカエイのピンチを救ってきました。

 

言葉はていねいながら、いちいち「当主にふさわしい所作」を要求してくるキサラギはうっとうしく、

キサラギからしても、こんな我儘な若造に仕える気は毛頭ない、と思っていて、

常にかみ合わないふたりでした。

 

出席したメヒナガワ家のパーティで、カエイが傷害事件の犯人に間違われそうになったり、

キサラギにプレゼントしたネクタイがゴミ袋に捨てられていたり

烏丸家の運転手がドローンに襲われて事故を起こしたり

料理人が冤罪事件で拘束されたり・・・・

カエイの周囲で起こる様々な事件を推理して、犯人をさがしていくうちに

カエイとキサラギの間に信頼感が構築されていく・・・・・という話です。

 

原作は9巻まである、同名のミステリー小説(コミックもあり)なので、

この「謎解き」がメインと思われるのですが、少なくとも映画の中では

どうにもこうにもしょーもない話だったので、顛末は省略します。

 

主役のカエイ役の子は、この映画の告知のために最近よくテレビにでてるので、私ですら認識していました。

キンプリのことは知らないけれど、山崎賢人とかキスマイの誰かさんとかに近い

「流行りのイケメン顔」ですよね。

「新米当主」だから、別に威厳も必要なく、ハードルの低い、素人さんOKの役で、よかったです。

(ただし、セリフの量はけっこう多い)

これで執事もへたくそだったらどうしようと思ったんですが、

清原翔というモデル出身の長身のイケメン君はけっこう達者な演技で、ホッとしました。

 

問題はすべての事件のカギを握る、アカメトキヤ役のキンプリの子がねえ・・・・

完璧にネックになっていましたね。

本人の問題というより、この役はちゃんとした俳優に当てなくてはね。

最後のクライマックスでは、あんまりにも下手すぎて、変な汗がでてしまった!

 

あと、ロケ地がどこかは知りませんが、あの豪邸はどこなんでしょう?

というより、なんか、ハリボテっぽかったです。

パーティで音楽を奏でる四重奏楽団は確実に弾いてなかったし、

書斎の本棚も、ニトリの壁紙みたいにみえてしまったし・・・・・

 

ここまでけなしたあと、最後いいことを書いて終わりたいんですが、思いつかず・・・・

敢えていうなら、

カエイの父は贋作の絵画を、贋作と知っていても処分することをせず、

この絵に感動した人物の気持ちを尊重して、「退蔵のこと」と書いて大事に保管していたこと。

その心映えもですが、この「退蔵」という言葉を初めて知りました。

どこかにしまって忘れてしまったのではなく、

「使うことなく(敢えて)保管しておく」という意味なんでしょうか。

ものに対する気持ちが伝わって、いい言葉なので、これから使おうと思います。

公開中・公開予定の映画の原作本 (59)

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公開中「ガルヴェストン」 ← 「逃亡のガルヴェストン」 ニック・ピゾラット 早川書房

 

 

 

公開中「小さな恋のうた」 ← (同名ノベライズ) 平田研也 小学館文庫

 

 

 

公開中「ビューティフル・ボーイ」 ←(同名) デヴィッド・シェフ マグノリアブックス

 

 

 

公開中「ねじれた家」 ←(同名) アガサ・クリスティ ハヤカワ文庫

 

 

 

公開中「あの日のオルガン」← (同名) 久保つぎ子 朝日新聞出版

 

 

 

5月31日公開予定 「パラレルワールド・ラブストーリー」←(同名) 東野圭吾 講談社

 

 

6月14日公開予定 「泣くな赤鬼」 ← (同名) 「せんせい。」所収 重松清 新潮文庫

 

 

映画の原作本、図書館に予約しておいたのが続々届いたので、早く読まなくては・・・

特に「ビューティフル・ボーイ」のマグノリアブックス(オークラ出版)は書店でもあまり扱いが無く

図書館では絶対に無理!と思っていたので、うれしいです。

コレット

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映画 「コレット」 令和元年5月17日公開 ★★★★☆

(英語 字幕翻訳:山門珠美/字幕監修:工藤庸子)

 

 

14歳年上の作家ウィリー(ドミニク・ウェスト)と結婚したコレット(キーラ・ナイトレイ)は、

芸術家が集うサロンに入り浸る生活を楽しんでいた。

彼女に文才があると気付いたウィリーは、自身の小説「クロディーヌ」シリーズを代筆させる。

シリーズはベストセラーとなり、二人は文壇を代表する夫婦になるが、

コレットは浮気を繰り返す夫と、自分が「クロディーヌ」を書いたことが人々に認められないことに悩む。

                                                     (シネマ・トゥデイ)

 

1892年 フランスの田舎町サンソヴール。

がブエルの田舎の家には、パリからの男性が到着し、華やかなパリの話に花が咲きます。

「ウィリーは娘のガブリエルに夢中だけど、持参金ゼロの嫁はきびしい」

両親の心配をよそに、人気作家で(多分)資産家のウィリーは、ガブリエルに求婚します。

 

パリの文化や社交界に精通したウィリーと田舎育ちのガブリエル。

「パリのどんな女性よりもわたしを選んでくれた」

14歳の年の差カップルのふたりの新婚生活はラブラブではじまりますが、

だれからも

「天下の遊び人を射止めたのね」といわれるような

女性に節操のないウィリーの浮気癖がだんだん気になりはじめます。

 

とにかく、ウィリーは話し上手というか、話を盛って場を盛り上げるのが得意。

ガブリエルに甘い言葉をささやきながらも、すぐに女のところに行ってしまうし、

「人気作家」という肩書ですが、実際に自分は書いておらず、アイディアを提供するだけで、

実際はゴーストライターを何人もかかえていたんですね。

 

「男は衝動に弱い」と言い訳し

「(持参金のない)君を結婚するために、相続権も捨てた」という夫でしたが、

度重なる浮気癖と、「薄っぺらでうぬぼれ屋ばかり」のパリの生活に失望して、

実家に帰ってしまうガブリエル。

 

実家の母に

「妻や母の役割を演じていると思ったことはある?」と聞くと

「妻は時々あるけど、母の方はないわ」

「あなたらしさは誰にも奪えない。あなたらしい結婚にしなさい」

といわれます。

 

ウィリーがパリから迎えにきますが

「ここにいるとパリが汚らわしく思えるし、あなたのこともぜーんぜん思い出さない」

と突っぱねます。

「君なしでは筆がすすまない」とパリに戻るように懇願する夫に

「妻で終わりたくない、私もなにかがしたい」と要求をだして、

とりあえずパリには戻るのですが、

収入は多くても浪費家のウィリーのところへは、連日ゴーストライターから「金払え!」の督促。

 

ここでウィリーはタダで書いてくれそうな妻の存在に気づき

「サンソヴールでの体験話を書いてほしい、心をゆさぶる話を書け」

最初は気がすすまなかったガブリエルでしたが、

白いノートを広げると、どんどん筆が進み、何冊ものノートに短編を書き上げ、

リボンをかけて 「ウィリーへ」と書いてプレゼントします。

「面白いけど形容詞が多すぎ。甘ったるくて女々しい」と酷評するものの

いよいよ家の家具まで差し押さえされる事態になってしまい、

これに手直しして、ウィリーの名前で出版することにします。

 

「学校のクロディーヌ」

クロディーヌシリーズの第一作として世に出たこの本は、大ヒットし、

出版社のオランドルフから25000フランの前払い金を得て、

執筆用にと、森の中の瀟洒な別荘をプレゼントされて喜ぶカブリエル。

ただ、のんびりする余裕はなく、夫から部屋に「缶詰」にされて、

2作目の「パリのクロディーヌ」を書き上げます。

 

夫のゴーストライターだということはもちろん秘密でしたが、

ガブリエルは、実生活のなかで、自分のセクシュアリティーに違和感をもち、

同性に惹かれていることに気づきます。

まわりからも「あなたは両性具有っぽい」といわれ、(ガブリエルではなく)コレットを名乗るようになります。

(以下、コレットと表記)

 

そして、裕福な年寄りの武器商人の妻、ラウル・デュバル夫人(通称ジョージー)とは、

ガッツリのレズビアン関係になるのですが、そのことが夫にバレてしまいます。

これを知ったウィリーは、ジョージーの家を訪れると、なんと妻の浮気相手と関係を結んでしまいます。

ウィリーはバイセクシャルだったそうですが、コレットもジョージーもそうだったんですね。

このグダグダの関係は、「家庭のクロディーヌ」のエピソードにいれられますが、

「この話は世に出さないで!」とジョージーからストップが。

 

「名前は出さないし、本はアートなんだから」といっても聞き入れらず、

ジョージーの夫のお金の力で、出版差し止めとなってしまいます。

「家庭のクロディーヌは火あぶりになったけれど、版権はこっちにある」

と、余裕をみせるウィリー。

 

1903年、クロディーヌシリーズが舞台作品として上演されることが決まり、ヒロインが公募されます。

「われこそがクロディーヌ」という女性たちが国中から集まりますが、

そのなかでも、ポリーヌという優勝者の

短髪で白い襟に紺の制服姿のヒロイン像が世間に受け入れられます。

作者のコレットのクロディーヌのイメージは「おさげ髪」だったのに

逆にポリーヌのほうに寄せて、コレットもバッサリを髪を切って、短髪になります。

 

 

 

街中にはクロディーヌのキャラクター商品があふれ、

クロディーヌおしろい、クロディーヌ石鹸、クロディーヌ扇子・・・・

みんなが髪を切り、白い襟の制服姿で歩くようになりますが、

コレットの興味は芝居やダンスへと・・・・

 

ナポレオンの血もひくという、高貴な公爵夫人、通称ミッシーは男装の麗人で

彼女はいわゆるバイセクシャルではなく、トランスジェンダー。

自分の女性の部分を封印し、世間の偏見に負けずに、男装を貫くミッシーは

「新たなる女性」で、「上品で勇敢、真の意味での紳士」とコレットはほれ込み

ミッシーとの関係を深め、いっしょにカントマイムのヴァーグのレッスンを受け、

舞台に立つことを目指していました。

 

このころ夫のウィリーは、ファンだといって近づいてきた、若いメグと親密になっており

夫婦関係はお互い非干渉状態。

 

「ウィリーは注文が多いけど、割と自由にはさせてもらってる」

コレットは夫にたしてこんな感覚だったのですが

「長い手綱でも手綱にはかわりない」とミッシーにいわれます。

ある日、「クロディーヌの作者を連名にしてほしい」といったら案の定断られ

「太った怠惰なワガママ野郎!」とさけんでしまいます。

 

夢中になっている演劇「エジプトの夢」の稽古も

「場末の演芸場でたたかれるヤツだ」とばっさり。

それでも、「高貴な夫人が男装して舞台にたったら世間が注目するはず」と金の臭いを感じたか

ムーランルージュでの初演をちゃっかり売り込んでしまいます。

 

棺から(コレット演じる)クレオパトラみたいなのが蘇って、半裸で腰をふりふりして

男装のミッシーとキスをする・・・・というところで、

「同性愛者は失せろ!」

と、客席を産めていたミッシーの元夫の関係者たちが騒ぎ出し、

いろんなものを投げ合ったり、殴り合ったり・・・・

結局、公演は中止、大損害となってしまいます。

 

1905年、サンソヴール

父の葬儀で実家にかえっていたコレットのところにまたウィリーがやってきます。

 

「うちは全財産を失った。田舎の別荘を売ろうと思う」

怒るコレット。母も

「彼の口座に監査をつけて、さっさと離婚すべき。」

「あなたは自分の才能を生かさなければ」といってくれます。

 

ヴァーグやミッシーたちと巡業に出て、マイムの新作を地味に公演するコレットたち。

旅公演をわざわざ見に来てくれた出版社のオランドルフから

「ウィリーからクロディーヌシリーズのすべての永久版権を買い取った」

ということを聞かされてショックを受けます。

 

「稼げる妻があなたのいちばんの投資物件ということね」

「私のすべてをあの本にこめた」

「あなたを喜ばせようとおもって頑張った自分が情けない」

「あなたは自分の型に私を押し込めた」

「あなたに裏切られてクロディーヌは死んだ」

 

そして、「柔肌」の旅公演中に、白紙のノートをみつけ、

「さすらいの女    コレット作」とタイトルを書いて

昔夢中で書いた時のように、今度は自分の名義で小説を書き始めるのです・・・・・・  (以上あらすじ)

 

 

コレット(1873~1954年)はフランスで最も有名な女流作家のひとりですが、

この映画で扱うのは、自分の名前がまだ出せなかった、最初の夫との時代で

「知られざる前半生」というところ。

 

エンドロールでは、

コレットがノートに書いた燃やされる運命だった「自筆原稿」は、秘書の機転で現存し、

元夫との裁判でも勝ったこと

そしてコレットのことば

「いい人生よ、もっと早く気づけばよかった」・・・が紹介されます。

 

あらすじに長々と書いてしまったので、おもいつくまま、感想を書きます。

 

「妻が夫のゴーストライター」というのは

「メアリーの総て」「天才作家の妻」と最近多いし、

同性愛ものはそれ以上にたくさん存在するので

いわゆる「流行りネタに乗っかった」というしたたかさも感じるのですが、

それ以上にコレットの生涯がいろんな要素を含んでいるので、

人によって、いろんな共感や反感を持ちそうで、興味深い作品です。

 

夫のウィリーをどう見るかも、きっと人それぞれなんだろうと思います。

 

「ひどい芝居は歯医者と同じ。(本なら閉じればいいけど)最後までじっと耐えなきゃならない」

「歴史を作るのはペンを持つもの」

「すぐれた作家なら、すべて言葉にしろ」・・・

 

ウィリーの言葉は簡潔で、話術も企画力も優れていて、

そもそも田舎でコレット見つけたコレットを妻にする時点で、「お目が高い」んですが、

浮気癖と経済観念のなさが致命的ですね。

ちゃんとお金の計算のできるブレインがいれば、成功を維持できたのにね。

 

お金に困って版権を売ったのはどうかと思いますが、

そのまえに(自分の名義の)別荘を売ってもいいかと妻に言って激怒されたから、

もう無断で売ってしまえ!となったんでしょうね。

究極のクズではありますが、彼の「添削」がなければヒットは望めず

「天才作家・・・」の夫よりはマシかな?

コレットが世にでるきっかけを何重にも与えてくれた人物であることには間違いないです。

 

「同性愛もの」としては、

トランスジェンダーのミッシーについても

「ある日兄の制服を着てしっくり感じる自分に気づいた」くらいの説明で、

そのほかはほぼみんながバイセクシャル。

「(時代の最先端を行く私たちには)女性も男性もないノージェンダー」

「同性愛(バイセクシャル)を楽しみましょ!」的な感じでした。

パリの風俗として扱っただけで、「同性愛の映画」とは言えないと思いました。

 

最後まで、コレットはいつも「本当の自分」であろうとしていただけで、

夫と違ってお金や名声は気にしませんでした。

版権を無断で売ったのに激怒したのも、自分の作品に敬意を払わず

商品としてしか見てない夫に対しての怒りだったのでしょう。

 

コレットがここまで自分自身に向き合えたのは

おそらくは、実家の母の育て方が大きいと思います。

私は個人的に母シドに一番共感していて、

↑でも彼女の言葉を太字にしてしまいましたが、

夢破れて帰ってきた娘に、この時代だというのに

世間体を気にせず、励まして送り出せる母はスゴイな~

と感心した次第。

 

ベルエポック時代のパリの風俗や、サロンの様子に浸れるのも映画ならでは。

キーラ・ナイトレイもはまり役で、「有名作家の世に出るまでの前半生」という地味な素材にもかかわらず、

(日本人にはそこまで有名ではないので、「後半生」もやって欲しいところですが)

それでも、見どころ満載のぜいたくな作品になっていました。

 

ひとつ気になったのは、ペンを走らせる文字はすべてフランス語で、

もちろん本もすべてフランス語の表紙なのに、

セリフはすべて英語!

大作映画はおしなべてそうなんですけど、

これって、どうなんだろ??


シャザム

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映画「シャザム」 平成31年4月19日公開 ★★★☆☆

(英語 字幕翻訳  アンゼたかし )

 

 

思春期を迎えたビリーは、魔術師にヒーローの才能を見いだされ、世界の救世主に選ばれる。

「シャザム!」という言葉を唱えると、S=ソロモンの知力、H=ヘラクレスの強さ、A=アトラスのスタミナなど

六つのパワーを持つ筋骨隆々のヒーローに変身する。

だが、ビリー(ザカリー・リーヴァイ)の心は少年のままだった。   (シネマ・トゥデイ)

 

1974年、ニューヨーク北部。

少年サディアスが車のなかでマジックボールで遊んでいると、いきなり周りが消えて、不思議な洞窟へ。

そこには封印された7つの怪物の石像とおじいさんの魔術師が現れますが、

彼はどうも「後継者としての勇者の選考」に不合格だったようで、元の世界に戻されますが、

車のなかで暴れたために交通事故を起こし、家族から疎まれるようになります。

 

大人になったサディアズは、家族に復讐するため、あの不思議な洞窟をさぐりあて、

封印された7つの大罪を開放して、その力を右目に埋め込んでしまいます。

そして家族の経営する会社の役員会に乗り込んで、7つの怪物たちを開放して

兄や役員たちを殺してしまうのです。

 

一方、現代のフィラデルフィア

14歳のビリー・バッドソンは、警察に強盗の通報をし、やってきた警察官を店に閉じ込めると

パトカーの端末から「レイチェル・バッドソン」の名前を検索します。

実は彼は幼い時に遊園地で母親とはぐれてしまい、以来「孤児」扱い。

母親探しがエスカレートして家出や軽犯罪を繰り返して、そのたびに里親を転々としていたのでした。

今回調べた母と同じ名前の女性も別人で、がっかりでしたが、

ビリーは、自らも養子だった夫婦に引き取られ、5人の個性あふれる養子たちと暮らすことになります。

ヒーローマニアで足の悪いフレディ

ゲームオタクのユージン(アジア系)

デブで無口のペドロ(ヒスパニック)

受験生のメアリー

誰ともハグしたがるダーラ(アフリカ系)・・・・

と、5人とも様々です。

 

ある日、足の悪いフレディがいじめられているのを目撃したビリーはとっさに助けに入り、

いじめっ子から逃げる途中で、異空間に入り込んでしまいます。

そこにいた件の老人魔術師は、「お前のような心の純真な勇者を待っていた」といい

「シャザム」と唱えると、ビリーは、筋肉バキバキの赤いコスチュームのシャザムに変身してしまうのです。

 

急に大人のシャザムの姿となったビリー(以下、シャザムと表記)は、困って、

同居しているヒーローオタクのフレディに相談することに。

フレディの助言でいろいろ試してみると、

とりあえず指先から稲妻のようなビームが出ることやハイパー移動できることがわかります。

その力で街のチンピラをやっつけると、助けられた人が(感謝というより怖がって)お金をくれたりするので

コンビニでビール買ったり、特殊能力を無駄に使って喜んでいるシャザムたちでしたが、

この姿では家には戻れず・・・

 

もう一度「シャザム」と唱えれば戻れることがわかってからは、

フレディとつるんで、特殊能力のいろんな実験をしては、それを動画配信していきます。

既存のヒーロー何人分もの能力があるみたいなんですが、

とにかく、中身が子どもなので、稲妻ビームでスマホの充電したり、自販機から缶ジュース盗んだり

大道芸で稼ごうとしたり、パワーをろくなことに使いません。

大道芸の最中に出したビームがバスのタイヤを直撃したために、バスは高架から宙づりになり、

それをシャザムが受け止めて助ける姿がテレビで放映されて、彼は一躍時の人となりますが、

これがサディアスの目にもはいり、7つの怪物をつれた彼との戦いがはじまる・・・・・

 

というような話です。

 

シャザムというのは

S  ソロモンの知恵

H  ヘラクレスの力

A  アトラスのスタミナ

Z  ゼウスの能力

A  アキレスの勇気

M  マーキュリーの神速

 

の頭文字をとって、「すべての力を備えた」ってことで、

とにかく、変身するのに面倒なお約束事がなくて、

ただ「シャザムと唱えればいい」っていうのはシンプルですね。

 

私はヒーローのことはわからないけれど、

小学校のとき、「ギリシャ神話オタク」だったので、今でも神様の名前はだいたいわかります。

この6つのなかで、ソロモンは神話とは無関係だし、だいたい、おバカなシャザムにはふさわしくないです。

マーキュリーはローマ神話の神様だから、ここは「ヘルメス」にしてほしかったな。

そして、ソロモンのかわりに「ポセイドン」を入れれば、海のなかでも戦えそうなんですけど、

これじゃ語呂があわないです。

ようするに「頭文字ありき」ということなんでしょうね。

 

稲妻ビームでスマホの充電したり、動画をYouTubeにアップしたり、

政府のデータベースにハッキングして母の情報を集めたりの「いまどき」な感じと

ギリシャ神話や7つの大罪なんかとのギャップとか

「見た目は大人、頭脳は子ども」っていう「逆コナン」の設定も面白かったけれど、

いい大人が大笑いするような話ではなかったような。

マーベル映画の「デッドプール」系のコメディなんでしょうけど、お子さま向きのような気がしました。

 

ゲームオタクのユージーンが実は天才ハッカーで、

おかげでビリーは生き別れになった母親と会うことができるんですけど、

彼女は新しい夫と暮らしており、遊園地で迷子になったあと、警察に保護されたのを見届けて姿を消した・・

というのが真相で、要するに自分は捨てられたことがわかって、あきらめがつくビリー。

ほかの養子たちもそれぞれに事情がありそうで、でも希望を捨てずに生きていて

結局彼らがシャザムファミリーに変身して、最後はヴィランを倒すことができたのです。

いい話なんですけど、ラストに近づくにつれ、興味は、このあとシャザムが

「DCエクステンデッド・ユニバース」のなかで、ほかのヒーローたちとどうつながるか」ってこと。

本編のなかにスーパーマンの登場もあったし、

あの洞窟にいた芋虫とか、アクアマンとか・・・

あきらかに続編のヒントと思われるエンドロール後の映像もありました。

 

DCEUはいちおう7作とも映画館で観ているので、すでに観るのをあきらめた

MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)よりは、ついていける可能性高いですが、

あんまり複雑にしないでね!お願い!って思います。

プロメア

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映画「プロメア」 令和元年5月24日公開 ★★★☆☆

 

 

炎をコントロールできる突然変異のミュータント“バーニッシュ”の出現で、

全世界の半分が焼失した大惨事「世界大炎上」から30年後、

“マッドバーニッシュ”を名乗る攻撃的な集団が再び世界を襲う。

そしてバーニッシュ対策の高機動救命消防隊“バーニングレスキュー”の熱血新人隊員ガロ・ティモスと、

マッドバーニッシュを率いるリオ・フォーティアの戦いが始まる。                     (シネマ・トゥデイ)

 

 

こういうケバケバしい造形のアニメや大音量に耐性のない人間にとってはけっこうキツイかと思いきや、

けっこう楽しめたのでご紹介を・・・・

 

ある日、世界各地で同時多発的に突然変異により炎を操る人種「バーニッシュ」が出現し、

全世界の大半を焼き尽くす惨事「世界大炎上」に発展します。

 

それから30年。自治共和国プロメポリス。

「マッドバーニッシュ」を名乗る過激な火災テロ集団の一味が、散発的に火災を引き起こし

その都度、高機動救命消防隊「バーニングレスキュー」に出動要請が出て

消火活動と救命活動をするのですが、

その日もフォーサイト研究所ビルの火災に出動して、

最後、マッドバーニッシュのリーダー、リオたちを追い詰めます。

誰よりも熱いレスキューのガロは、消防士というより、「江戸の火消し」で、纏を振りつつ、

歌舞伎みたいに見栄をきるんですよ。

 

「燃えてなんぼの火消し稼業。

        放火犯を見過ごしたとしたら男が廃る」

「見よ、遥か極東の島国の伝統の火消しの魂を受け継いだこの姿。

        マトイは火消しの魂の象徴だ」・・・

 

そこへ、「フリーズフォース」という警察のような軍隊のような組織がやってきて

名前の通り、バーニッシュを氷漬けにして連行します。

フリーズフォースのいかついヴァルカン大佐からは

放火犯を捕えようとするガロの行為は任務逸脱だと、強く警告されますが、

共和国のトップの司政官のクレイからは、マッドバーニッシュ逮捕に貢献したと称えられ、

メダルをもらいます。

 

ガロは子どもの時、火災からクレイに助けられ、それをきっかけに、レスキュー隊員になって、

クレイを父親のように慕っています。

 

ガロたちは美味しいと評判のピザ店で,焼き方の絶妙なピザを満喫していると

突然フリーズフォースたちがやってきて、そのピザ職人はバーニッシュだといって連行し、

店主までも捕らえられます。

すると今まで美味しいと言っていた客たちは、一転

「バーニッシュの作った料理なんて食べられない」と怒って帰っていきます。

 

この辺から、バーニッシュ ➡  人間の姿をしたテロ軍団 というわけではなく、

人間社会のなかで差別におびえながらも

火をあやつる技術を生かして人間たちと共存しようとしている彼らの現状がわかってきます。

 

しかも、捕らえられたバーニッシュたちは、研究所でデータをとるために人体実験されていたこともわかり、

驚いたガロはクレイに真相をきくべく、研究所に乗り込んでいきます。

 

クレイたちは密かに「バルナスサス計画」という、

間もなく死の星となる地球から4光年先の惑星への移住計画を推し進めていました。

その動力源として、バーニッシュたちを使っていたのです。

研究者のトップはガロの同僚のアイナの姉のエリス。

移住できるのはわずか1万人なので、そのなかに妹が入れるよう、

エリスはクレイの言いなりになっていたのです。

 

このあとも隠されていたクレイの悪事の証拠がどんどん出てきて、ドン引きするレベル。

穏やかな表情と激高する表情の使い分けは、声優の堺雅人の真骨頂で

(声優としての声の出し方とかちょっと変だったけど)

クレイが彼にしかみえなかったから、いいキャスティングというか、あて書きっぽかったですね。

 

人気タレントを声優にして客寄せするアニメや

洋画の吹替に下手くそな俳優をあてて非難轟轟というのは、よくあるパターンですが、

本作に関しては松山ケンイチも、早乙女太一も、古田新太も、

過去のキャリアに傷をつけることのない、実力派といわれる力量を見せてくれたと思います。

 

 

 

チラシに相関図があったので、貼っておきます。

マッドバーニッシュがいかにもヴィランキャラに見えるし、バーニングレスキューと

「対立」と書いてありますが、対立したのは最初のほうだけで、

むしろ、憧れの存在だったクレイとの対立がメインですね。

 

登場人物、みんな個性的ですが、話を動かすのは何人もいなくて、極々シンプル。

なにより、オリジナルドラマなので、

なーんにもわからなくて観ても、とりあえず、置いてきぼりにはならないので、ご安心ください。

ベン・イズ・バック

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映画「ベン・イズ・バック」 令和元年5月24日公開 ★★★★☆

(英語 字幕翻訳 松浦美奈)

 

 

クリスマスイブの朝。

19歳のベン(ルーカス・ヘッジズ)が薬物依存症の治療施設から勝手に実家に戻ってきて、

母のホリー(ジュリア・ロバーツ)ら家族は驚く。

継父のニール(コートニー・B・ヴァンス)と兄を案じながらも戸惑う妹のアイヴィー(キャスリン・ニュートン)は、

彼がトラブルを起こすのではないかと警戒するが、ホリーが監視することで滞在を1日だけ許す。

だが家族が留守にしている間に家の中が荒らされ、

飼っていた犬が連れ去られてしまう。                                 (シネマ・トゥデイ)

 

 

近所の教会でクリスマスの劇の練習をするホリーと子どもたち。

家に帰ると、薬物の更生施設にいるはずの長男のベンが帰ってきています。

無邪気に喜ぶ幼いリーアムとレイシー

手を振って迎え入れる母親のホリー

長女のアイヴィーだけは顔を曇らせ、どこかに電話をかけています。

電話の相手は父のニールで、大急ぎで仕事から帰ってきます。

 

ホリーは前夫との子どもビリーとアイヴィーを連れてニールと再婚

黒人のニールとの間にハーフのリーアムとレイシーが生まれた・・・という6人家族のようです。

 

「ボクのがんばりで、支援者から帰宅のOKが出た」とベンはいうのですが、

どうやら、今までも散々嘘を重ねて家族に迷惑をかけていたらしく、ニールとアイヴィーは話を信じておらず

ホリーも信じたいけど、多分嘘だろうな、と思っている状況。

息子を信じたいのに、気がつくと家じゅうの薬や宝石を隠しているのは悲しいです。

 

ホリーが施設に戻そうと車を出しますが

ニールの気が変わって、クリスマスの一夜くらいは家族で過ごそう・・・ということになります。

 

①薬物テストで陰性を確認する

②24時間ホリーの監視下におくこと

 

を条件に、ベンを家に置くことにします。

 

家族で楽し気にツリーの飾りつけをしていると、「古いかざりも出したいな」とベン。

屋根裏をごそごそ探しますが

「この奥にドラッグをかくしたことがある。もし見つけたら捨てておいて」とアイヴィーに頼んだことで

彼女もちょっとだけ安心します。

 

このあとホリーの車でモールに服やプレゼントを買いに行ったり、依存症のミーティングに参加したり・・・・

 

昔の悪い仲間に見つかったり、ベンがドラッグに引き込んだ少女に出会ったり、不安要素もあったけれど

とにかくホリーが目を光らせていたから安心していたんですが、

試着室に入ったベンが内側から鍵をかけてしまい、あせるホリー。

 

大騒ぎして店員に合いカギで開けてもらうと、

なんとベンの手には覚せい剤の小袋がありました。

店からも追い出され、激怒したホリーは息子を墓地へつれていきます。

「どこに埋めて欲しい?」

「過剰摂取で死んだら、おじいちゃんの隣りは許さないわ」

「あなたは死ぬのよ、すぐにでも」

 

みじめな思いで帰宅するふたりは、家族と一緒に教会へ。

ホリーは教会でベスの姿をみつけ、謝罪します。

ベスは、ベンからドラッグを受け取り、いっしょに吸引して死んでしまったマギーの母親でした。

「マギーは天使だった」

「うちのベンがドラッグの道に引き入れたばかりに・・・・」

 

教会での生誕祭の出し物は大成功で、

「オー・ホリーナイト」を歌うアイヴィーの美しい声に、ベンの目にも涙が・・・・

 

家に帰ると、何者かが侵入し、ガラスが割られ、ツリーが倒れ、部屋が荒らされています。

盗まれたものはないものの、犬のボンスの姿がありません。

 

「何をやっても僕はしくじる」

「このままじゃ家族を危険にさらしてしまう」

と、家をとびだすベンを追いかけるホリー。

 

このあと、一晩かかって、犬探しをするふたりなんですが、

ここからは完全にシフトチェンジして、予想外のサスペンスフルな展開となります。  (後述します)

 

前半の流れはこんなかんじ。

 

依存症の家族の話というと、「ビューティフル・ボーイ」もそうですが、

努力してクリーンな日数を重ねても、ほんの一瞬の心の緩みで元のもくあみになってしまったり

そうそう簡単に克服できるものではありません。

行きつ戻りつ、の更生時期を、幸せだった日々の回想とかをはさみながら繋いでいくイメージだったんですが

本作で描かれるのは、わずか24時間の時系列のできごと。

場面の切り替えはありますが、回想シーンもフラッシュバックもなく、

「前に酷いことをした」とか「あの子は天使だった」とかも、セリフのなかにあるだけです。

これって、ある意味画期的な試みかもしれません。

 

「ビューティフル・ボーイ」と共通するのは

主人公の少年の両親は離婚していて、再婚相手との間には幼い弟妹がいること。

そして実の親(本作では母親のほう)の苦悩と奔走が描かれるのですが、

本作の継父のニールは黒人のため、かなりホリーと考え方が違っていて

「母親の私が全責任を負うから・・・」を繰り返すホリーに対して、

「公的機関の指示に従う」ことを一番に考えていて、ベンに対してはとてもクール。

「ベンがもし黒人だったら、(もうすでに)刑務所に入っている」という彼のことばからも心のうちがわかります。

 

そして、ホリーのもうひとりの連れ子アイヴィーは高校生くらいなんですけど、

この子がとても良い子で、兄には立ち直って欲しいし、母に苦労をかけたくない、

そして父との関係も壊したくない・・・と、つねに賢く健気にたちまわるんです。

 

「アイビーは賢すぎて楽しみ方を知らない」

というホリーの言葉はあまりに冷たく感じましたが、

「兄がジャンキーで、親の再婚で肌の色の違う弟妹がいる」っていう環境が

アイヴィーをしっかり者にさせたんだろうし、

親にとっては問題の多い子どものほうが可愛いということかな?

 

予告編を見た時は、「わが子を思う母の深い愛情が息子を立ち直らせる」という話かと思いましたが、

ホリーは時に我をわすれてつっぱしり、

けっしてお勧めできる対応ではないんですよ。

 

以下は、ネタバレ全開の後半です。

未鑑賞のかたはご遠慮ください。

 

警察に被害届を出すというニールを制止して、

泥棒に連れ去られたポンスを絶対に連れ戻すというベンのために、ホリーは車を出します。

 

「思い当たる人物があまりに多すぎる」

「一人ずつ候補をあたっていく」

と、最初に向かったのは、歴史教師の家。

次は、ベスとは離婚したマギーの父親で、ベンを一番憎んでいた人物。

ふたりともポンスとは無関係でしたが、次に現れた幼なじみのスペンサーから

クレイトンという組織のボスのようなところにいることがわかります。

 

「ポンスは最悪のやつのところにいる」

「今彼に金を渡して解決しておかないと、次は家族が狙われる」

 

そして、ホリーからお金とジュエリーをあずかり、

あとは自分がやるから、家族のところに帰るようにいいます。

 

「母さんの努力に僕は値しない」

「ぼくは今回も嘘ばかりついている。

支援者にOKをもらったのも嘘。

ドラッグも(ミーティングで女性からもらったのではなく)

屋根裏に隠していたのを自分でみつけたんだ。

リーアムたちが手にとるかもしれないような近くに」

「ボクのいうことなんか、信じたらダメだ」

 

それでも「何があろうと離れない」というホリー。

ついには、コンビニで買い物をしているとき、ホリーに油断をさせて、

すきを見て車を盗んで逃げてしまうのです。

 

どうしたらよいかわからないホリーは、自宅にも帰れず、向かったのはベスの家。

夜中にやってきた憎いはずのベンの母親、ホリーを招き入れたベスは、

オーバードースの応急処置薬と車のキーを黙って渡します。

 

家では、(ニールには内緒で)アイヴィーが兄のスマホの位置情報をPCで追跡しており、

電話でナビしてもらいながら、ベンの居所を追跡します。

(この辺、まるで潜入捜査官ですね)

そしてゴミ箱のなかでむなしく鳴っているベンのスマホを発見し、

家にはベンをみつけたと嘘の電話をします。

 

そばにいた老婆に「息子をみませんでしたか?」と聞くと

「きっと川のほうだよ。みんな最後はあそこだ」と。

行ってみると、そこは生きてるか死んでるのかもわからないジャンキーたちのたまり場でした。

 

望みを失ったホリーは、

「ベンがいないの。嘘をついていてごめんなさい」と家に電話。

警察に駆け込んで、「息子を助けて!」と叫びます。

 

実はベンは母から預かったお金を渡した上に、

ドラッグの運び屋をやったことで、ポンスを引き取ることができ、

「お前の取り分だ」と、ドラッグの小袋を渡されて解放されていたのでした。

 

ベンは車にポンスを残し

「この犬の名前はポンスです。ここに電話してください」の張り紙を残して車を後にします。

そしてそれを見つけた親切な人がホリーの携帯に電話をしてくれて・・・・・

 

ホリーが駆けつけると、そばの空き家のなかにベンが意識を失って倒れています。

ホリーは、必死で応急処置と人工呼吸を施します。

 

「ベン! プリーズ・カム・バック!」

 

 

ホリーがベンを生き返らせようと必死になっていたのは、クリスマスの朝。

おそらく、ベンが無断で帰ってきてから丸一日後ということになります。

 

ベンが警察にもいわずに犬泥棒捜しをしようとしたのは、

最後に大事なペットを取り戻して、家族のために何かしたい、ということと、

「犬を誘拐する」ということは

「ゆくゆくは幼い妹や弟もあぶない目にあわせるぞ」という警告だとベンは悟ったのでしょう。

 

でもそこまで家族のことを考えるのなら、無断で家に帰ったり、

人目の多いショッピングセンターに行きたがったり、

彼のしていることは、ぜんぜん筋が通らないんですけどね。

 

あらすじのなかに、ひとつ書き忘れた大事なことがあるんですが、それは

フードコートで出会った老人にホリーが話しかけるシーン。

ベンは14歳の時にスノボでケガをしたとき、ドクター・クレインからオピオイド系鎮痛剤を過剰投与され

そのために薬物依存になってしまったのです。

 

「ベンを覚えていますよね?」

「あなたの過剰投与がきっかけでベンが依存症になったのを、まさか、お忘れじゃないですよね?」

声を荒げるホリーの前で、その認知症と思われる老人はなにも言葉を発しません。

 

つまり、ベンは、最初は医療事故の被害者だったのが、

売人となったり、ドラッグを薦めて死に至らせたり

こんどは完全に「加害者」となって、たくさんの人たちから恨みをかっているのです。

それでもベンには自己責任がありますけど、じゃあ、家族はどこまで責任があるのか?

 

クールに対処するニールだって、

薬物治療への高額な請求のために家を抵当に入れたり、必死で働くことになるし、

ほかの兄弟たちはこの問題児のために身の危険にさらされたり、親に十分な愛情をかけてもらえないかも。

 

薬物依存から抜け出すのに必要なのは、 辛い禁断症状を乗り切る精神力だけではなく、

迷惑をかけた落とし前をどうつけていくかまで考えると、ほんと、気が遠くなりそうです。

 

そして、母ホリー

もうこれは「母の愛」なんて美しいものではなくて、ちょっと狂気を感じてしまいます。

息子のためなら、ほかのものはもう、どーでもいい!というような。

「ワンダー 君は太陽」でジュリア・ロバーツが演じたのも、容貌に障害のある男の子の母親でしたが、

同じようには考えられませんね。

むしろ韓国映画の「母なる証明」の狂気をはらんだ母の愛に近いかもしれません。

いや、これを「愛」といってしまっていいものか・・・・

 

大事な息子のためならほかはどうなってもいいと思っているから、

敬遠していた警察に、最後は一転、強引に頼み込みに行ったり、

情報を得るために、ベンの幼なじみのジャンキーのスペンサーに

躊躇なくドラッグ(多分更衣室でベンからとりあげたもの)を渡してしまうなんて

親としても人としても不適切な行為です。

 

そして、最後、「犬を取り戻して自殺することで幕をひこう」としていたベンの意に反して

必死で生き返らせにかかります。

そして最後でちょっと意気を吹き返しそうなところで終わり、

「母の愛が命を救った」風なエンディングですが、

生き返ったところでけっしてハッピーエンドにはなりません。

24時間前よりもさらに厳しい現実が待っているのです。

 

本作は実話ではなく、むりやりな展開も気になりますが、

1時間44分、映画館で集中してみる価値のある作品だと思います。

これから観たい映画(107)

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4月公開

▲ 「希望の灯り」 → 感想UP

▲ 「麻雀放浪記2020」 → 感想UP

▲ 「バイス」 → 感想UP

▲ 「ビューティフル・ボーイ」 → 感想UP

▲ 「ハンターキラー 潜航せよ」 → 感想UP

▲ 「ある少年の告白」 → 感想UP

 

 

5月公開

〇 「RGB最強の85歳」 (恵比寿ガーデンシネマ、HT有楽町

▲ 「ホワイトクロウ」 → 感想UP

〇 「ガルヴェストン」 (シネマ・カリテ、HT渋谷)

▲ 「コレット」 → 感想UP

〇 「僕たちは希望という名の列車に乗った」(ル・シネマ、HT有楽町

▲ 「空母いぶき」  (これから書きます)

▲ 「ベン・イズ・バック」 → 感想UP

〇 「パリの家族たち」 (恵比寿ガーデンシネマ シネスイッチ

 

 

6月公開

〇6/1 「誰もがそれを知っている」  (ル・シネマ、HT有楽町

◎6/7 「エリカ38」 (TOHOシャンテ・シネマロザ)

〇6/7 「パドマーワト 女神の誕生」 (ユナイテッド豊島園)

〇6/14 「ガラスの城の約束」 (シネマカリテ、恵比寿ガーデンシネマ

〇6/22 「アマンダと僕」 (シネスイッチ恵比寿ガーデンシネマ、イオンシネマ7/5~)

◎6/28 「COLD WAR, あの歌、2つの心」 (HT有楽町

〇6/28 「凪待ち」 (イオン板橋)

〇6/29 「ニューヨーク 最高の訳あり物件」 (シネスイッチ

 

                                    〇 観たい作品

                                           ◎ 絶対に観たい作品

                                           ▲ すでに鑑賞済

                                           × 23区内で上映終了

 

 

 

シネコンではあいかわらずアベンジャーズやゴジラがスクリーンを独占しており

6月公開予定もX-Menやスパイダーマンの新作が控えていますが、

リストにいれて覚えておかなくてはいけない感じではないので、

上にあげた6月公開予定の作品は、すべてミニシアター系です。

 

公開中もふくめると

恵比寿ガーデンシネマ → 4

ヒューマントラスト有楽町 → 4

銀座シネスイッチ → 3

なんかに集中しており、ぼんやりしているとすぐ終わってしまうので、

同時に2本ずつくらい見ていかないと間に合わないかも・・・?

 

白石監督の「凪待ち」は、(6月に値上げした)東宝シネマズのほぼ独占公開なんですが、

イオンシネマでもやるようなので、リストにいれました。

たかが100円、されど100円!

氷上の王、ジョン・カリー

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映画「氷上の王、 ジョン・カリー」 令和元年5月31日公開 ★★★★☆

(英語 字幕翻訳 牧野琴子)

 

 

 

イギリスのフィギュアスケート選手、ジョン・カリー。

1976年、インスブルック冬季五輪に出場した彼は

見事にフィギュアスケート男子シングルで金メダルを獲得する。

しかし、一躍有名となった彼はゲイであることをマスコミに報じられ、差別に晒されていく。(ぴあ映画生活)

 

70年代に世界のトップとなった、イギリス人フィギュアスケーターのドキュメンタリー映画です。

今でこそ世界のトップを日本人スケーターが席巻するようになりましたが、

40年前だと、日本人でいうと、佐野稔、渡辺絵美あたりの時代ですね。

歴代のメダリストのなかにジョン・カリーの名前はあったので、

私でも名前だけは知っていたのですが、

正直、40年前の演技なんて、今だったら、ジュニアでも通用しないんじゃないかと思っていました。

 

とんでもないです!

氷上のジョンの姿は、まさにバレエダンサーそのもので、とにかく美しい。

スポーツの領域を超えて、すでにもう芸術です。

ドキュメンタリー映画なので、実際の画像の質も良くないし、

なかにはアマチュアの撮ったホームビデオみたいな映像しか残ってなかったりするのですが

それでも彼のたぐいまれなる華やかさ、妖艶さは十分伝わってくるからスゴイです。

 

ジョン・カリーは1949年、イギリスのバーミンガム生まれ。

バレエが習いたいといっても親に許されず

「スケートならスポーツだからOK」といわれ、7歳の時にフィギュアスケートを始めます。

70年も前に8ミリのプライベートビデオをたくさんとっているくらいだから、

工場経営のけっこう裕福な家庭だったようですが、

男らしさを求める父親とはうまくいかず、そこから逃げるようにスケートに熱中していきます。

 

ただ、滑らかに優雅に滑るのが褒められるのは男子スケートでは子どものうちだけ。

青年期になると、求められるのはスピードや技術の男らしい滑りで

ジョンの目指すスタイルは全否定されるようになります。

また、彼は自分の性に違和感を感じるようになり、同性のスケート選手と恋人関係に・・・

 

親とも疎遠になり、レッスン料やリンク料にも事欠いていた彼でしたが、

エド・モスラーという富豪が援助を申し出てくれたことで

コーチの指導やメンタルトレーニングを受けられ、お金の心配なしに世界を目指せる環境になります。

ただ、当時はまだ東西冷戦時代、

ソ連や東欧の壁は厚く、それはスケーティングの技術だけではなく、

東側の審判が多ければ、絶対に勝つことはできなかったのです。

優美さよりも、ジャンプとスピードが採点に結び付き

難易度が際立つプログラムにせざるを得ない状況で、ジョンには不利と思えましたが

1976年の欧州選手権で、ジョンはショートを終えて2位、

続くフリーの「ドン・キホーテ」では完璧なトリプルトゥループを決め、

なんと東側審判のひとりがジョンに1位をつけたのです。

そして、初めての金メダル!

 

続くインスブルック冬季オリンピックでも、完璧なポジションと体のライン、

全くぶれない美しいスピンで、見事金メダル。

「芸術と技術の完璧な調和」と評されました。

 

ところが、世界一となった試合後の記者会見ではマスコミから

「ゲイを公表するかどうか?」の質問ばかりなのにショックをうけます。

 

その一方で、プライベートは関係なく優勝をたたえるお祝いの手紙も

彼のもとにはたくさん届き、スポーツ栄誉賞も受けました。

 

もともとバレエダンサーになりたかったジョン。

ジョンにとってはスケートでの金メダルはゴールではありませんでした。

彼はスポーツ選手であることをやめ、夢だった自分のカンパニーで

「氷上のバレエ団」をつくることをめざします。

 

バレエでは美しいポーズを決めたまま移動することは不可能ですが

それが氷上では可能になります。(バレエ用語でエクステンションというそうです)

筋肉を動かさないまま、神秘的で官能的な表現のできるスケートは

スポーツでありながら、バレエ以上の芸術表現ができるのです。

 

1978年、ニューヨーク公演では絶賛を受けますが

アメリカはゲイの聖地、暴力的だったり薬物依存だったりのゲイもたくさんいるわけです。

ゲイの聖地といわれるファイヤーアイランドで貪欲に快楽を求めるうちに、

ジョンはひどいうつ状態になっていきます。

 

1982年、コロラドに移り、新カンパニーをたちあげますが、

あまりに完璧主義者のジョンはときに不機嫌で冷淡で傲慢。

まわりと衝突することも少なくありません。

東京公演でも代々木体育館に氷を張り、新日本フィルと共演しますが

リンクを埋める広告とか、日本側が設置した観客の満足メーターなんかにへそを曲げ

ナーバスになってしまいます。

「自分には才能とおなじだけの悪魔がいる」とつぶやくジョン。

 

ロンドンのアルバートホール、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、

常に新しい試みをとりいれ、世界中で大きな公演を成功させますが

それでも毎回莫大な費用が掛かり、赤字がなかなか解消できず、ジョンは疲弊してしまいます。

 

そのころ、同性愛者の間でカポジ肉腫を発症する人が増え

ジョンのまわりのゲイ仲間もどんどん死んでいきます。

そして、ジョン自身もHIVであることが分かります。

「友だちはみんなエイズで死んだ。つぎはボクだ」

「エイズで死ぬのがこわいと母に言えた。母は受け入れてくれた」

 

そして91年にエイズを発症したジョンは、94年に44歳の若さでこの世を去ります。

 

 

本作は、フィギュアスケートをアートの領域まで高めたといわれる伝説のスケーター

ジョン・カリーの生涯を描いたドキュメンタリー映画です。

再現シーンふくめ、役者が演じる箇所はまったくなく、

アーカイブ映像とインタビュー、ナレーションで構成されますが、

とにかく、画面に映しだされるジョンの動きが優美で、目を奪われます。

大きな大会の記録映像はともかく、今回発掘された(多分観客が撮影した)映像とか

幼少期のホームビデオとか、画質がかなり悪くて、手ブレもひどいんですけど・・・

 

また、彼は友人や恩人たちにたくさんの手紙を書いており、

彼らへのインタビューもありますが、それ以上に

その手紙の文字(これがすごく美しいのです!)を

本人にかわってナレーターが読むかたちで話がすすみます。

普通ドキュメンタリー映画は、膨大なインタビュー映像をたてつづけに流して

そのなかから観客たちに本人像を浮かび上がらせるという手法が多いですが、

本作は「本人のことば」がメインなので、説得力ありますね~

 

フィギュアスケートの技術の進歩はめざましいものがあり、

シューズの改良とかもあるんでしょうが、ついこの間まで3回転とかだったのが

今は男子だったらメダルを獲るには4回転は必須となってきました。

なので、見る前までは、(冒頭にもいいましたけど)

「40年前のフィギュアスケートなんて、(今見たら)たいしたことないだろう」

と思っていたんですが、

(語彙力なくて美しいとしか言えないんですが)

バレエのメソッドを取り入れた彼の演技には

スポーツであることを忘れて見とれてしまいました。

76年の欧州選手権で披露した3回転トゥループの高くダイナミックなジャンプも素晴らしい!

回転数だけで言うと、(動体視力のない私には見分けつかないですけど)

去年女子選手でも4回転を飛んでるんですけどね。

 

ジョンの功績はフィギュアスケートを誰もが見たがる「美しい競技」にして

メジャーなスポーツにしただけでなく

引退後のスケート選手がアイスショーでまだまだ活躍できるようになったのも

ジョン・カリーのカンパニーの実績によるものでしょうね。

 

もうひとつ、ゲイを公表するスケーターがかなり多いのも、彼の功績かも。

ジョンが自らカムアウトしたのは、エイズ発症後なんですけど

今だったら、ジョン・ウィアー、ジェフリー・バトル、アダム・リッポン・・・・など

ゲイを公表し、同性婚している選手はたくさんいるし、

羽生選手のコーチであるブライアン・オーサーもそうです。

美しいスケーティングと同性愛との関係はよくわかりませんけど、

 

キス&クライでの乙女なしぐさをみていると、ジェイソン・ブラウンもそうじゃないかと確信してたんですが、

彼はまだカムアウトはしてないみたい。

ただ、女性っぽいだけなのかもしれないけれど

指先まで神経の行き届いたしなやかで美しい身のこなしは、バレエを見ているようで

ジョン・カリーを思わせますね。

 

彼の時代に「ゲイの金メダリスト」といわれるのは、つらかったと思いますが、

彼のかかえる問題はLGBT関係だけではなくて

運動選手がみんな抱えるケガや体調不良にたいする心配

審判が東西かで採点が大きく変わってしまう、不公平なジャッジシステムに対する不満

金銭問題とかカンパニー運営にかかわる様々な苦労

そして最後には、彼を蝕んでゆく病魔AIDSとの闘い・・・・

 

それに、彼に男らしさを強要した父親の自殺について

その理由は明らかにされていないし、彼自身も語りたくなかったようですが

「親の自殺」というのは子どもにいつまでも暗い影を落とすものです。

せめて、残された母親が彼の同性愛やエイズを受け入れてくれてよかったな、と思います。

 

 

この映画のプロモーションに使われる画像は↑これがほとんどで

「スケート界のヌレエフ」とか紹介しても、

この画像では、なんとなくフラメンコみたいなダンスを想像してしまい、ちょっと損してるかも。

ぜひ、彼の美しいスケーティングは動画で見てみてください!

https://www.uplink.co.jp/iceking/

 

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