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アルツハイマーと僕~グレン・キャンベル音楽の奇跡

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映画「アルツハイマーと僕~グレン・キャンベル音楽の奇跡」 令和元年9月21日公開 ★★★★★

(英語 字幕翻訳 林達也  字幕監修 城田雅昭)

 

 

ギタリストとしてザ・ビーチ・ボーイズなどの楽曲に参加し、

カントリーミュージシャンとしてグラミー賞などを受賞してきたグレン・キャンベルは、

2011年、アルツハイマー病であることを公表する。

医師からギター演奏を断念するよう忠告されたにもかかわらず、

キャンベルは家族を連れてさよならツアーを行う。                  (シネマ・トゥデイ)

 

古いプライベートビデオに見入るグレンと妻のキム。

「あの子は誰だ」

「デビーよ」

「あの男は?」

「やだ、あなたよ」

 

「あれがビリーよ、2番目の奥様。

3番目はサラ。そのあと私と出会った・・・・

子どもたちは息子が6人と娘が2人」

「そりゃ、すごい!」

 

このとぼけた発言をしているおじいちゃんこそ、

アメリカの誇る偉大なるカントリーシンガー、グレン・キャンベルなのでした。

 

彼の曲は同時代に生きてなかった人でも、絶対に聞いたことあるはず!

私もヒット曲はだいたいわかりますが、

4回も結婚して、子どもが8人もいるなんて知らなかったので、のっけから驚きました。

 

ただ、本作に登場するのは、4人目の妻キム(キンドリー・ウーレン)と 

彼女との間にできた3人の子どもたちだけなので、混乱はありませんでしたが、

歳の離れた若い妻との間の子どもたちは孫ほどの年齢なので、

終始頭のなかでは、ついついいつもの「年齢計算」をしてしまいました。(後述)

 

2017年に亡くなったことは周知の事実なので、

大スターだった彼の過去の栄光を偲ぶ映画と思いきや、それはほとんどありません。

彼が2011年にアルツハイマーを公表し、その後全米をツアーで回ったり

グラミー賞のステージをつとめたり、新しいアルバムを発表したりした約1年あまりの期間、

彼と彼の家族に密着してその日常を撮影したドキュメンタリー映画なのです。

 

 

2011年、専門医との問診のシーンから。

 

      今日は何年何月かわかりますか?

「さあね、そういうことは気にならないタイプなんだよ、1870年とかそんなとこだろう」

      単語を4つ言うから、覚えてください、リンゴ…ジョンソンさん・・・チャリティ・・・トンネル・・・・

「そんなのすぐ忘れちゃうよ、でもギターなら弾けるさ」

 

そして、MRIの画像で脳の海馬部分が委縮していることを説明され

「アルツハイマーという病気」であることが宣告されるのですが、

ちょうどそのころ彼は「ゴースト・オン・キャンバス」のアルバムの制作中で、ツアーも控えていました。

 

彼と家族は、アルツハイマーを公表したうえで、最後のツアーをやることを決め、

その準備に入っていきます。

 

ツアーには3人の子どもたちと妻も帯同し、彼を支えますが、

「元気なうちに父の人生を祝福したいが、キャリアの終焉が近いことは実感した」

「病気に侵されての表舞台なんて勇気あること、といわれるけれど

常に危険ととなりあわせで生きた心地がしない」

 

全米をメンバーやスタッフたちとバス移動するツアーが始まると

もう、彼の姿は見納め、これが最後・・・というファンたちでどこのステージも満席となります。

一方で、観客はアクシデントを期待しているんじゃないかと思ってしまったり、

(映画のなかでは言われなかったけれど)

「病気を口実にした閉店セール風プロモーション」

みたいな批判もきっとあったでしょうね。

 

「彼の輝かしいキャリアに傷をつけるのでは?」

「ミュージシャンとして絶対音感を失ったら、もうできないでしょう」

と、音楽関係者たちも心配を隠せません。

 

ところが、病気は、彼の音楽の天賦の才能まで奪うことはできなかったようで、

小さなトラブルはあるものの、ちゃんとステージはできてしまうんですね。

「ジェントル・オン・マイ・マインド」のイントロがずっと流れていてもなかなか歌いださない彼に

みんなはひやひやなんでしょうけど、歌が始まればもう大丈夫。

歌詞はプロンプター頼りでも、張りのある優しく美しい声は昔のままで

ギターソロも完璧!

ここはどこか、今は何年かもわからないはずなのに、曲の合間にはMCまでやっちゃいます。

 

「彼は公演を楽しんでる」

「観客が脳にアクセスする力をグレンに取り戻させたんだ」

「(認知機能はどんどん衰えているはずなのに)ここまでキープできているのは、音楽の力」

「まさに奇跡! 同じ病気の人たちにも勇気を与えてる」・・・・・

 

やがて彼にはグラミー賞の「特別功労賞」が与えられ、全米に生中継されるステージにも登場します。

彼仕様のツアーのステージとは違いプロンプターも見づらいんですが

妻たちの心配をよそに、見事なパフォーマンスで絶賛を浴びます。

 

彼はまたアルツハイマー患者のひとりとして、この病気の認識を広める活動にも参加し、

議員図書館でコンサートをしたり、連邦議会で娘のアシュリーが発言したりもしています。

アルツハイマーの早期診断や治療薬の開発に国防費並みの予算を獲得しようとしたら、

彼のような大物の啓蒙活動がどうしたって必要です。

 

 

ツアーも終盤にはいるころには、実生活ではかなり問題をかかえるようになり

医師からも

「いよいよ認識力も判断力、言語機能も失われ、幻覚や妄想に支配され、

音楽的機能が失われるのもまもなくだ」いわれても

なぜかステージはこなせてしまう日々。

 

2012年11月30日、カリフォルニア州ナパでのコンサートをツアーの最後に決め、

ついにこの日がくるのですが

「心の底からキツイ一日だった」と、妻のキム。

 

同じ曲を何度も繰り返したり、えんえんとしゃべり続けたり、

音響担当をステージから名指しでしかりつけたり・・・・

後ろでサポートしているメンバーたちはひやひやしっぱなしでしょうが、

会場からブーイングされることはなく、娘のアシュリーによれば

「観客たちはずっと父の味方だった」

「あんなに悲惨な状態だったのに・・・・・」

 

そしてツアーは本当の終焉をむかえます。

「なぜ病気を公表したうえで無理にツアーに参加させるのか、

愛する人を危険にさらすのか、といわれるけれど、

危険を冒してでも、グレン・キャンベルとして人生を全うすることを選んだ」

と、キムは語ります。

 

エンドロールで、2017年に81歳で亡くなったことが流れますが、

実はこの映画、2014年、彼の生前にアメリカでは公開され、

サウンドトラックがグラミー賞も受賞していたんですね(知らなかった!)

 

なので、彼の「追悼映画」ではなく、

今も病気と闘うグレンキャンベルとその家族のドキュメンタリーなのですよ。

 

ここで彼の家族のことを・・・・

彼は生涯4回の結婚をして8人の子ども(一番年長の娘は1956年生まれ)がいるのですが、

本作に登場する「家族」は4人目の妻のキンドリー(キム)と、彼女との間に生まれた3人の子どもだけです。

 

グレンキャンベル   1936年生まれ  75歳(2011年当時の年齢)

キム(妻)        1982年に結婚   年齢不明

カール(長男)     1983年生まれ   28歳

シャノン(次男)    1985年生まれ   26歳

アシュリー(長女)   1986年生まれ   25歳

 

キムがあんまり若く見えるので、子どもたちは先妻の子どもたちだろうと最初思っていたのですが

何と3人ともキムの子どもでした。 

この娘のような妻と孫のような子どもたちとずっといっしょにツアーを敢行できたグレンは幸せですよね。

3回も離婚したミュージシャンだったら、きっと人生に後悔や子どもたちへの贖罪もあったでしょうが、

最期にこんな家庭を持てて、素晴らしいのひとことです。

 

 

特にステージの一番そばで父を支える末娘アシュリー。

彼女は歌もバンジョーの腕前も、グレン・キャンベルの偉大なDNAを継承した

すぐれたミュージシャンで、父の一番の理解者です。

演奏シーンを思い浮かべるだけで涙がでそうになります。

 

アルツハイマーはとても残酷な病気で、

いくら健康に気を使い、日々精進していたとしても、誰にもやってきて、

軽い物忘れと安心しているうちに

だんだんと時間や場所や人の認識ができなくなり

物の使い方がわからなくなったり 言葉を失ったり

身近な人がわからなくなったり・・・

どんどん認識力を失う過程で、うつや無気力、妄想や幻覚、

暴言や暴行などで家族や介護者を深く傷つけることも・・・・・

 

実は誰よりも行動的で頭脳明晰だった私の母も74歳でアルツハイマーを発症しましたが、

「答えられないことを話術でカバーしようとする」のも

「音や光に敏感になって口うるさくなる」のも

「親しい人が自分のものを盗んだと疑心暗鬼になる」のも

全部思い当たるので、

何度も胸が痛くなる思いでした。

 

母も(全然レベルは違うけれど) 歌うことが大好きで、

他のことはなにも覚えられなくても、なぜか歌は完璧に覚えられて

ちゃんとステージにもたててたんですよね(娘としては心臓バクバクですが)

なので、ステージ脇で見守るキムの気持ちは痛いほどわかりました。

 

 

 

シネマカリテのロビー展示は、アルツハイマーとは関係なく、

過去のヒット作のジャケットを集めたシンプルなものでした。

上から

① ラインストーン・カウボーイ

② ジェントル・オン・マイ・マインド(ウチイタ・ラインマン)

③ アイル・ビー・ミー

④ 恋はフェニックス

⑤ カミング・ホーム

 

③は本作のサウンドトラックで、聴きたいな~と思っていたら、

すでに夫が持っていました!

 

 

グレン・キャンベルのかかわった映画のことを最後に補足します。

彼は多彩な人なので、俳優や声優も器用にこなしていましたが、

そのなかでも一番有名なのが「勇気ある追跡」

2011年にリメイクされた「トゥルー・グリット」のオリジナル版の映画です。

グレンが演じたのは、準主役ともいえる、テキサス・レンジャーのラビーフで、

彼の歌う主題歌もヒットしました。

リメイク作ではラビーフはマット・デイモンが演じましたが、そういえば、なんとなく似てるかも・・・

 

彼が亡くなる直前に公開された「バッドガイズ!!」にも 

グレン・キャンベルのヒット曲がガンガンかかったのをよく覚えています。

アレクサンダー・スカルスガルド演じる刑事が「グレン・キャンベルの大ファン」という設定でした。

これからも彼の残した音楽は、いろいろな映画を盛り上げることでしょう!

 

公開館はかなり少なく、レビューも極端に少ないのが残念ですが、

アルツハイマーと正面から向き合いながらも、音楽の喜びと奇跡に満ち溢れた作品です。

彼のファンも知らない人も、アルツハイマーの家族もそうでない人も

みんなに強くお勧めしたい作品です。ぜひ!


これから観たい映画(111)

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8月公開

▲ 「シークレット・スーパースター」 → 感想UP

▲ 「カーマイン・ストリートギター」  → 感想UP

▲ 「命みじかし恋せよ乙女」 → 感想UP

× 「ホットサマーナイツ」

〇 「永遠に僕のもの」 (ヒューマントラスト有楽町・武蔵野館)

▲ 「ロケットマン」 → 感想UP

▲ 「ジョアン・ジルベルトを探して」 → 感想UP

▲ 「引っ越し大名!」 → 感想UP

▲ 「トールキン 旅のはじまり」 → 感想UP

〇「ガーンジー島の読書会」 (TOHOシネマズシャンテ)

〇「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ア・ハリウッド」

 

9月公開

▲ 「SHADOW 影武者」 → 感想UP

〇 「記憶にございません!」

〇 「今さら言えない小さな秘密」 (恵比寿ガーデンシネマ)

▲ 「シンクロ・ダンディーズ」 → 感想UP

▲ 「アルツハイマーと僕 グレン・キャンベル音楽の奇跡」 → 感想UP

〇 「ホテル・ムンバイ」 (イオン板橋)

〇 「ハミングバード・プロジェクト」 (TOHOシャンテ)

 

10月公開

◎ 10/4 「ジョーカー」

〇 10/4 「蜜蜂と遠雷」

〇 10/4 「エンテベ空港の7日間」 (TOHOシャンテ)

〇 10/11「ボーダー 二つの世界」 (ヒューマントラスト渋谷・有楽町)

◎ 10/11「真実」 (TOHO新宿・ユナイテッド豊洲)

〇 10/18「楽園」 (ユナイテッドとしまえん)

〇 10/19「アダムズ・アップル」 (シネマ・カリテ)

                                            〇 観たい作品

                                                    ◎ 絶対に観たい作品

                                                    ▲ すでに鑑賞済

                                                    × 23区内で上映終了

 


                                                    

ちょっと早いですが、書くことがないので(笑) 来月観たい映画のリストを出してみました。

一番見たいのは是枝監督の新作「真実」なのに、

退院後も夫とシネマカリテしか行ってないので

チラシがな~い!!!

 

これはかなり残念なことなので、これだけのために、

「退院後初めてのひとりのお出かけ」をしてしまいました。

 

 

「万引き家族」は公開されたとき、すごいスクリーン数だったから

本作も、さぞやどこの映画館でも扱うとおもいきや、プロモーションも控えめで、扱いも小さい・・・

(なのでチラシのために新宿まで行っちゃいました)

 

ただ、コアな映画ファン狙いというわけでもなく、TOHOシネマズなどのシネコン中心の公開で、

驚いたことに、日本語吹き替えもあると聞いてびっくり😲

しかも、日本語吹き替えもあって、主役クラスが本職の声優じゃないというのも、

いいんだろうか??               宮﨑あおいだけは勘弁してほしいなぁ~

ともかく、予約するときに吹き替え版をチョイスしないように気をつけなければね!

 

記憶にございません!

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映画「記憶にございません!」 令和元年9月13日公開 ★★★☆☆

 

病院のベッドで目覚めた男(中井貴一)は一切の記憶がなく、病院を抜け出して見たテレビで、

自分が国民から石を投げられるほど嫌われている総理大臣の黒田啓介だと知る。

国政の混乱を避けるため、記憶喪失になったことを国民や家族には知らせず、

真実を知る3人の秘書官に支えられながら日々の公務をこなす中、アメリカの大統領が来日する。

                                                    (シネマ・トゥディ)

 

病院のベッドで目をさました男は、自分がなぜここにいるかわからず、頭に包帯を巻いたまま夜の街へ・・・

彼は史上最悪の総理大臣、黒田啓介で、演説中の投石で、記憶を失っていたのです。

「総理が記憶喪失になった」というのは3人の秘書官だけが知る「国家機密扱い」で

身内の政治家にも家族にも知らされることなく、このままいこう、何とかなる!・・・・

 

と、ここまでは、予告編でもさんざんやってたから周知の事実。

この、バカみたいなあり得ない設定から、三谷さんの力でどこまで挽回するか?!って話です。

 

自分が誰かも、家族や政治家の名前も、なにひとつ忘れてしまった男が、

記者の取材を受けたり、野党とやりあったり、アメリカ大統領を迎えたりしなきゃいけないなんて

どう脚本をいじったって、無理無理なんですけどね。

 

それ以前に、冒頭で、パジャマ姿で意味不明の行動をとるクロダは、彼を総理と認識する

たくさんの市民に目撃されていたのを、首席秘書官のイサカが「国家機密費をつかって抑えた」

ということなんだけど、

今だったら、みんなにスマホ向けられて、1分後にはSNSで拡散されちゃいますよね。

それを恐れてか、みんなの持ってるのはガラケーばかりで、「ちょっと昔の設定」にしていたみたい。

 

 

記憶のないクロダがはじめて知る事実は、驚くことばかり・・・・

 

★ 野党第二党の女性党首ヤマニシ(吉田羊)は、表向きは政敵でも、

  実はクロダとはガチガチの愛人関係

★ 妻(石田ゆり子)のビジュアルは「好きなタイプ」でテンションがあがるも、

   妻はどうも自分には興味がないようで、 反抗期のひとり息子の素行にも問題あり。

★身内のゼネコンに利益誘導するためにK2プラン(スーパー銭湯つきの第二国会議事堂)

  という無駄な巨大プロジェクトを首相の権限でごり押ししようとしている

★政治ゴロのフルゴオリ(佐藤浩市)からは多額の口止め料を要求されている

★政治の実権は官房長官のツルマル(草刈)がにぎっているようで、自分は彼の駒にしか過ぎない

★妻はどうやら秘書官のイサカと不倫をしているらしい(これは後から知ることに)

 

 

 

総理が記憶喪失、という事実を知っているのはこの3人の秘書官たち↑

    首相筆頭秘書官の イサカ (ディーン・フジオカ)

    事務秘書官の バンバ (小池栄子)

    秘書官補の ノノムラ (迫田孝也)

 

 

イサカとバンバは黒づくめの衣装で「いかにも有能」な感じで登場しますが、

総理を支えてなんとしてもこの難局を乗り切ろうとしているのは、小池栄子演じるバンバ事務官のみ。

前半ストーリーを回していくのはほぼ彼女ひとりで、彼女のキレのいい演技でストレスなく進みます。

イサカは「腹にイチモツあるちょい悪役」で、ディーン・フジオカはビジュアルはぴったりでしたが

三谷コメディとは相性悪いかも??

 

 

そして、三人目の秘書官のノノムラは、ほぼ何にも活躍しないんですけど、

すべて顔に出るタイプなので(秘書官としてはどうなんだろ?笑)

私はずっと彼の表情を見ていて楽しめました。さすがに三谷組ですよね。

 

今までの反省点を国民に向かって素直に詫びたり、

官邸でのおもてなし外交がまさかの吉とでたり、話はいい方に転がっていくものの、

実権を持っているツルマルを失脚させなければと、彼のスキャンダルをフルゴオリに調査させます。

「大物ヤクザとの癒着の証拠写真」にも動じなかった彼でしたが、

ゴルフ場でズルをやってる写真を突き付けられて、あっけなく官房長官を辞任します。

ところが、こんどは「妻と秘書官イサカとの不倫写真」を抑えられ、逆に反撃を受けることに。

 

官邸から逃亡する妻でしたが、党首討論の場で、テレビに向かって

妻に「愛してる」と訴え、それに答えて妻も戻ってきて・・・・・・

 

ネタバレにご注意ください!

 

あらすじを書くのが悲しくなるほど、ベタベタな話なんですけど、

ひとつだけ「隠し玉」があって、それは、対抗勢力に記憶喪失がバレるころには

「実は記憶が戻っていた」ということです。

(多分キッチンをごそごそやっていて、料理人のスガさんにフライパンで殴られたとき)

 

すべてを思い出した時、もとの「悪い総理」に戻ろうと思えばできたのに

敢えて「新しい自分」で再出発しようとした・・・・・

つまり、

(別に総理でなくても)人はいくつになっても、自分のイメージに縛られることなく

その気さえあれば「新しい自分」になることができるんだよ!

というのが、監督からのメッセージなのでしょう。

 

不愉快になるようなシーンも少なく、毒にも薬にもならない大衆映画・・・というのが素直な感想です。

「総理と呼ばないで」のときもそうでしたが、

今の政権批判とかを決してやらず、リアリティにめちゃくちゃ欠けるのが三谷コメディなので

辛口の政治コメディを期待するとがっかりですね。

(あえて風刺しているとすれば、ロッキードの時代まで遡りそうです)

それっぽい政治用語もほとんど使われず、偏差値ひくめのゆる~い大衆映画です。

 

個人的にはこれでいいと思うんですけど、

人気俳優にへんな格好をさせたり、一発ギャグで笑わせようとか、

そのへんは「ギャラクシー街道」で懲りたはずなのに、

またけっこうやってたのはちょっと納得いかなかったけど・・・・

 

逆に好きだったのは、まずこのふたり↓

 

 

全然リアリティないのに、英語に関しては息もぴったりで、もう大好き!

次も絶対に三谷映画に呼ばれる予感がします。

 

 

「隠れキャラ」的扱いだったのがこの三人。

左からROLLY 、有働由美子、 山口崇

ほとんどの人が最後までわからなかったかも、です。

 

 

まあ、大物スターからお笑いの人、安定の三谷組メンバーまで

たくさんのキャストが登場しますが、なんといっても、主役の中井貴一ありき!です。

(今回は佐藤浩市のキャラがイマイチ面白みに欠けたので、一番光っていたかも)

最近コメディづいてるのはちょっと気の毒ですが、とにかくうまいです。

彼のファンなら見逃せないですが、

過去の三谷作品のなかでは「ギャラクシー街道の一つ上」という程度なので、

ハードルをあげずに軽く笑うつもりで見に行くことをおススメします。

ジョーカー

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映画「ジョーカー」 令和元年10月4日公開 ★★★★★

(英語  字幕翻訳 アンゼたかし)

 

 

孤独で心の優しいアーサー(ホアキン・フェニックス)は、

母の「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という言葉を心に刻みコメディアンを目指す。

ピエロのメイクをして大道芸を披露しながら母を助ける彼は、

同じアパートの住人ソフィーにひそかに思いを寄せていた。

して、笑いのある人生は素晴らしいと信じ、底辺からの脱出を試みる。   (シネマ・トゥデイ)

 

 

清掃会社のストが16日目となって、ゴッサムの街はゴミだらけで悪臭を放っている・・・

というテレビニュースが流れます。

ピエロに扮したアーサーは閉店セールの楽器屋の看板をもって踊っていますが、

悪ガキの一団が看板を取り上げ逃げていきます。

あわてて、看板を取り戻しに追いかけていくと

逆にその看板で殴られ、寄ってたかってボコボコにされてしまう・・・・

同僚は気の毒がってくれたものの、上司には叱責され、楽器屋に弁償するように言われます。

家に帰ると年老いた病気の母がいて、彼は働きながら母の介護もしているんですね。

 

彼は精神病の病歴があるようで、今もカウンセリングに通っています。

「みんな必死に仕事を求めてる。生きにくい時代よね」

カウンセラーは同情的だけれど、薬の処方が受けられるくらいで

それほど助けにはなってないのかな?

日記を書いてカウンセラーに見せることが求められているようですが

「日記にはジョークのネタも書いている、将来はコメディアンになりたいから」というと

カウンセラーは「そんなこと聞いてない」とびっくり。

「この人生以上に硬貨(コウカ)な死を望む」とか、

何が面白いのか、よくわからないネタなんですけど・・・・

 

「私は脳および神経の損傷により、笑いが止まらない病気です」

というようなことを書いたカードを彼はいつも携帯していて、

バスや電車で大笑いが始まってしまったとき、周りの人たちに提示するのですが、

カードがあっても気味悪く思われるのは仕方なく、この病気(統合失調症?)の人がコメディアンとか

無理だと思いますけど、なぜここまでコメディアンにこだわるのか?

 

それは母のペニーが、息子をハッピーと呼び、

「いつも笑いを忘れないで」といわれて大きくなったから。

母はマレー・フランクリン(ロバート・デニーロ)のテレビショーが大好きで、

昔スタジオに見に行った時、アーサーは彼と話をする機会があり、

「君には特別なものを感じる」と言われたことを心の糧に生きてきました。

 

来るべきゴッサムの市長選で一番の有力候補は、実業家のウエイン。

30年前に彼の屋敷で働いていた母は、ウエインに手紙を書いたらしく、

毎日返事の来るのを待っています。

「そんな昔のこと彼は憶えてないだろう」といっても

「いえ、ウエインさんは優しい人だから、絶対に読んだら返事をくれるはず。」と言い張る母でした。

 

アーサーはピエロの扮装で小児病棟で踊っているとき、

前に同僚のランドルがくれた銃を持ち込んだことがバレて大騒ぎとなります。

会社をクビになり、むしゃくしゃして深夜の地下鉄に乗っていると

3人の酔っぱらいのビジネスマンが女性をからかっているのを目にします。

それを見て、笑いが止まらなくなるアーサー。

酔っぱらいたちの標的はアーサーとなり、暴行を受けるのですが、

彼は持っていた銃で3人を撃ち殺して逃げます。

 

酔っぱらいたちはウエインの会社のエリートサラリーマンたち。

ピエロによる残忍な殺人事件として連日報道されますが、

世間では、ピエロを社会を正すダークヒーローのように称える動きもでてきます。

 

アーサーは夢だったコメディアンの道に進もうと地元のライブに出演しますが

また笑い出す発作が起きてしまい、会場を凍らせてしまいます。

ただこのすぺりっぷりが逆に話題になり、それがマレーの目にとまり、

彼のショーに出演依頼がきます。

 

母がウエインに書いている手紙の内容が気になったアーサーは、こっそり開封すると、そこには・・・

あなたの息子と私はあなたの助けが必要です」

 

自分の父がウエインだと知ったアーサーは真実を確かめるべく彼の屋敷に行き、

幼い息子のブルースに手品をして近づきますが、執事のアルフレッドに追い返されます。

「お前の母親はイカレ女で、そんな話は妄想だ」

 

今度は チャップリン映画を観に来ていたウエイン本人を突き止め、息子だと名乗ります。

「困らすつもりはない。父親のぬくもりとハグが欲しいだけだ」

といっても、ここでも全く相手にされず

「息子に近づいたら殺す」といわれて殴られます。

 

納得いかないアーサーは、母がかつて入院していたアーカム州立病院へ。

そこでの会話

   「ここはどういうところ?」

「イカレて周りに危害を加える連中の吹き溜まり。ほかに行くところのないヤツが集まってる」

   「ひでえことをやったら悩むかと思ったらスッキリした」

「ちゃんと誰かにみてもらったほうがいいぞ」

   「カウンセリング受けてたけど、予算カットで打ち切られちまった」

そして、母のカルテの内容を確かめると、そこに書いてあったのは

 

「妄想と自己愛が非常に強い」

「わが子に対して身体的虐待やネグレクトを重ね、

子どもは頭や体にたくさんの傷やアザがあり、栄養失調」

「子どもが泣かずにいつも笑っていることに腹をたてての折檻」

「子どもは自分が生んだのではなく、養子縁組で手に入れた子ども」

 

つまりウエインやアルフレッドが言っていたことが正しくて

自分をただひとり愛してくれていたと思ってた母から

自分は虐待を受け続けていたことを知って愕然とし、

病院に入院していた母の顔に枕をおしつけ、殺してしまいます。

 

その後も家にやってきたランドルを殺し、ピエロの扮装で街に出ます。

警察の捜査の手も近づき、二人の刑事に追跡されますが、

街の地下鉄の中もピエロの扮装で抗議集会に集まる人であふれていて

なかなかアーサーを捕まえることはできません。

 

その日は、彼の夢だったマレー・フランクリンのショーに出ることになっていたのですが

(ピエロではなく)ジョーカーと紹介してくれというアーサーの挙動はずっとおかしくて、

ついには、地下鉄殺人事件の犯人であることを生放送中に告白し、

「心を病んだ孤独な男を欺くとどうなるか・・・」

と、至近距離からマレーを撃ち殺してしまうのです。

 

この生放送中の衝撃的な殺人事件は、街の暴徒たちを刺激し、さらに暴動が悪化し

街から逃れようとするウエイン一家をピエロ姿の男たちが襲い、

幼いブルースの目の前で両親が射殺されます。

アーサーを乗せたパトカーも多重衝突されて、生き残ったアーサーは

ピエロたちに英雄扱いされます。

 

やがて逮捕されたアーサーは病院でカウンセリングを受けますが、

その最中「新しいネタが浮かんだ」と笑いが止まらなくなります。

次のシーンで、ステップをふみながら廊下を歩く彼の足跡は血まみれ。

またカウンセラーを殺した?                       (以上 あらすじ)

 

 

 

今までアメコミのヴィランとしてのジョーカーはたくさんのスターたちに演じられてきました。

(左から  シーザー・ロメロ、 ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレッド・レト)

「ダークナイト」でヒース・レジャーが演じたときは(彼がその後急逝したこともあり)

高く評価されたことは記憶に新しいです。

ただ、所詮は「アメコミの悪役」という感じだったんですが、

ジョーカーのエピソード0を描いた本作は、ベネチア映画祭で金獅子賞まで獲得したのです!

家族そろって観られない 中学生同士で観られない「R15指定」を受けたことにもビックリしました。

 

DCはマーベルに対抗して「ジャスティスリーグ」「ワンダーウーマン」「アクアマン」「シャザム」など

キャラクター全開のDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)路線で攻めてきたのに

本作はそのスピンオフでもなく、まったくの単独作品で、続編もないことも発表されました。

 

 

精神を病んだ弱者がジョーカーとなっていく様子は、リアルなだけに恐ろしく、

絶対にアメコミ映画には出そうもない性格俳優のホアキン・フェニックスが不健康な痩せ方をして

キャリア最高と称賛される演技。

やせこけた病的な後ろ姿は、筋肉バキバキのヒーローよりもむしろ説得力がありました。

 

最初は障害をかかえながらも、人を笑顔にするピエロの仕事に生きがいを感じ

母を介護する貧しいながらも心優しい青年だったアーサーが

非行少年の襲撃にあい、上司に理解されず、

そんなときに同僚から渡された銃の引き金を引いたことから人生が一転してしまうのです。

 

ただ、途中から市の財政悪化で向精神薬を処方してもらえなくなったこともあり、

アーサーは妄想を抑えることができなくなっていて、何が本当なのかわかりづらくなっています。

たとえば

  同じアパートに住むシングルマザーのソフィアと恋人関係にあったようなシーンがありましたが、

  あとのほうで彼女の部屋に入り込んだアーサーに

  「あなた誰?」「部屋が違うわよ」といわれるシーンがあり、

  恋人だったと思っていたのは、どうやらアーサーの妄想だったようです。

 

 もしかしたら、「ランドルが突然銃をくれた」というのも、流れから言うとかなり不自然なので

 これも妄想かも?

 そうしたら、母の死を心配してやってきて殺されたランドルはかなり気の毒です。

 

  

唯一信頼していて心の支えだった母が、実は幼いころの自分を虐待していた

(脳の異常もそのときの後遺症?)

・・・・という事実がなによりアーサーにはショックで、自ら手をかけてしまうのですが、

これも、最後の方で

裏に「君は美しい TW」とメッセージの書かれた若いころの母の写真が出てきます。

TWがトマス・ウエインだとすると、母の言っているほうが正しくて

ウエインたちが病院の記録を偽造して口裏をあわせている・・・という可能性も出てきます。

  

アーサーが気の毒な状況にあることは確かですが、

だからといって殺人や暴力が肯定されるわけではない。

抗議集会での主張が正しいことだしても、暴力はダメです。

特にどさくさ紛れに店を襲撃して金品を盗んだり、

「金持ちでいい思いをしてる奴は殺されて当然」では絶対にないです。

 

ましてや、みんなで同じピエロの扮装をして個人が特定できないようになると

暴力性や違法性がさらに増すように思えます。

 

今香港で起きている抗議活動も、まあ悪いのは政府側で間違いないと思うんですが

「マスクで顔を隠すな」は一理あるような気がしてしまった・・・・・

 

ともかく、「スカッとする娯楽映画」でないことは確かなので、R15は正解でした。

15歳以上の人がみんな判断力あるとも思えないから、それでもちょっと心配なくらいです。

ピエロのコスプレ禁止、も納得しました。

★5つ付けましたけど、広くオススメはできない、というか、ブームになってほしくない作品でもあります!

公開中・公開予定の映画の原作本 (65)

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10月11日公開予定 「ボーダー 二つの世界」 ← (同名) ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト 早川文庫

 

 

10月18日公開予定 「楽園」 ← 「犯罪小説集」 吉田修一 角川書店

 

 

11月1日公開予定 「閉鎖病棟」 ← (同名) 帚木蓬生 新潮文庫

 

 

11月15日公開予定 「ベルカント とらわれのアリア」 ← 「ベルカント」 アン・パチェット 早川書房

 

 

公開中 「ハワーズ・エンド(デジタル・リマスター版)」 ← (同名) EM フォスター 集英社

ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち

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映画「ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち」 令和元年9月27日公開 ★★★☆☆

原作本 「フラッシュボーイズ 10億分の1秒の男たち」 マイケル・ルイス 文芸春秋社

 

(英語 字幕翻訳 松浦美奈 / 字幕監修 松浦基晴/金融監修 阿部重夫 )

 

1

 

ヴィンセント(ジェシー・アイゼンバーグ)と

従兄弟のプログラマー、アントン(アレキサンダー・スカルスガルド)は、

高速で株の売買をする高頻度取引で年間500億円以上の利益を得るため、

カンザス州のデータセンターからニューヨーク証券取引所まで約1,600キロを

直線の光回線でつなぐことを思いつく。

0.001 秒の時間短縮を目指して奮闘する彼らの前に、

1万件の地主との買収交渉など次々と苦難が立ちはだかる。              (シネマ・トゥデイ)

 

「ニューヨーク・カンザス間、車で2日かかる距離を 光ファイバーケーブルで16ミリ秒でつなぎます」

「これはタイムマシンで当選番号を先に知ってから宝くじを買うようなもので、リスクはゼロです」

出資者に自分のプランをすごい勢いで説明をするヴィンセント(ジェシー・アイゼンバーグ)。

「君はイカレてるけど、面白い」

と、出資者も興味津々です。

 

ニューヨーク証券取引所と、1,600㎞離れたカンザス州のデータセンターを、どこも迂回することなく

一直線で専用回線を敷けば、ここを使う投資家はハチドリの羽ばたきに近いミリ秒時間が短縮できて、

他の投資家の先を越して大儲けができる・・・・というのが「ハミングバードプロジェクト」

 

2011年10月、トレス&サッチャー社。

社長のエヴァ・トレスは、最近有能なプログラマーのアントン(アレキサンダー・スカルスガルド)の様子が

おかしいことが気になっていました。

実はアントンはヴィンセントの従兄で、会社を辞めて彼のプロジェクトに協力しようとしており、

こそっと辞表を書いて会社をあとにしようとしたのですが・・・・

 

 当然、追いかけてきたエヴァとこんなかんじで大喧嘩。

「会社のコードを持ち出すのは違法だ」とか

「アントンの頭脳は会社の持ち物だ」とか言い張るエヴァを押し切って

ふたりはプロジェクトに取り掛かります。

 

1600キロの穴を掘るのですから、

1万件もある土地の地権者との契約をはじめ、

アパラチア山脈とか、国立公園とか、何本もの川とか、固い花崗岩の岩盤とか

彼らの前に立ちはだかる壁はたくさんあります。

 

出資者との交渉や地上げ交渉はヴィンセントの仕事、

アントンは少しでも早いスピードを確保するためにコードを書き続け、

掘削作業の責任者としてマークが仲間に加わります。

 

実際に仕事をするのは、大勢の土木作業員たち。

彼らは秘密保持の契約書にサインして、工事の目的については何も知らさせないまま

ひたすら掘り続け、道路のない山中ではヘリで空から機器を搬入したり、危険な作業も数知れず・・・・

この辺、まるで「プロジェクトX」そのもの!

脳内をあのテーマ曲と田口トモロヲのナレーションが駆け巡りました。

 

エヴァの妨害行為も悩みの種で、常にスパイに彼らの行動を見張らせています。

エヴァ本人も、家族思いでメンタル弱めのアントンの前に現れ、

「会社の汎用コードを持ち出しただけでも国家安全を脅かしたと8年の懲役になった技術者がいる」とか

「辛い方法であなたには償ってもらう」

「8年たったらあなたの娘たちは何歳になるんでしょうね」

とかいって、アントンを追い詰めます。

 

ヴィンセントは独身で失うものはないのですが、体調を崩して医者に行くと

検査の結果、かなり深刻な胃がんで、すぐに治療が必要といわれます。

それでも病気を隠し、プロジェクトを敢行するヴィンセントでしたが、

また新たな問題が。

 

それは、文明を否定するアーミッシュの住民たちが、ケーブル敷設に頑なに反対していること。

「主から与えられた土地に手を加えてはならない。金も速さも我々の考える豊かさではない」

と、23万ドルの契約金にも全く興味を示さない男たち。

そこで、彼らの所有権の及ばない30メートル以上地下を掘ることで、強引に工事をやってしまいます。

 

一方、アントンは光再生機のカバー能力いっぱいに設置距離を広げることで、

16ミリ秒を達成できて喜んでいるところへ、

突然FBIに踏み込まれ、証券取引法違反で逮捕されてしまいます。

 

さらに悪いことに、エヴァのチームがパルスタワーで16ミリ秒を上回る通信に成功し、万事休す。

アントンは刑務所の電話から会社のコンピューターを乗っ取り、回線スピードを落とすことに成功、

「自分を刑務所から出さないと、さらにスピードを落とす」と脅して、自由の身となります。

 

とはいえ、ハミングバードプロジェクトはこの時点で過去のものとなってしまい、

すっかり体の衰えたヴィンセントはアントンとアーミッシュの村を訪れ、

「地下のケーブルをすべて回収した」ことを伝えにいきます。

急な大雨に穀物の袋を倉庫に運ぶのを一緒に手伝うふたり。

アーミッシュの男はヴィンセントに

「雨が止むまでそこで休んでいろ」と、毛布を掛けてくれました。              (以上 あらすじ)

 

 

 

私はこの映画、とても楽しみにしていました。

今までも「しあわせの隠れ場所」「マネーボール」「マネーショート(世紀の空売り)」と

マイケル・ルイスの原作ものにはハズレがなかったし、

主役のふたりも大好き!

 

原作は夏休み中に読んだものの、私には難しくて理解しきれなかったのですが、

「株取引は公平で安全なものであるべき」という立場から書かれていて、

あきらかに映画の主人公の立場とは真逆なんですね。

予告編では

「1600キロを最短で結ぶという、単純だけど誰もやろうとしないことに目をつけた天才!」

みたいな印象だったので、こっちが成功してほしいと思う一方、

おそらくは、裁判になって、何もわからない素人の陪審員でも理解できるように

双方が説明して、上手に説得できたほうが勝つ!みたいな・・・(原作の中にもそんな箇所がありました)

と思っていました。

 

ところが実際の映画では、大金を簡単に手にするための「泥臭いアナログな作業」をひたすら描くのみ。

重い病気をおしてまで没頭するヴィンセントや、家族を犠牲にして集中して仕事を続けるアントンや

彼らや作業員の間に入って苦労してるマークを見ていると、どうしたって応援したくなりますけど、

結局は 速さでも負けて、保険金も手に入らず、

投資家にも作業員たちにも多大な迷惑をかけて終わりというのは切ないです。

最後、アーミッシュの人たちと和解できたのは良かったけれど、代償はあまりに大きい・・・・

 

最後、アントンがニュートリノを使った9ミリ秒でつなげる通信技術を思いついた!

と言っていたのですが、これが成功したのかはちょっとわかりませんでした。

成功したとしたらハッピーエンドなんでしょうけど、

本を読み返しても、モデルとなった「スプレッドネットワーク社」にそんな記述はなかったし・・・

 

アーミッシュのエピソード以外にも、(あらすじでは省略しましたが)

「レモン農家」のエピソードが心に残りました。

 

アントンがホテルのカフェでロシア人のウエイトレスに「何をやっているの?」としつこく聞かれ、

「秘密保持」のサインをさせたうえで、レモンの取引をたとえにつかって超高頻度取引の説明をします。

(普通だと彼女はスパイだったりするんですが、そうではなくて)

「じゃあレモン農家の人たちはこれでどう儲かるの?」とウエイトレスは聞いてきます。

「農家のことは考えに入れてない。全然関係ないから」と答えながらも

アントンは複雑な気持ちになってしまうのです。

 

そもそもマネーゲームのためのプロジェクトなんだから、農家とか消費者とか関係ない話なのに

部外者に指摘されると、ハッとしちゃうのかなぁ・・・

 

「ニューヨークの取引所が火事になったら、レモン農家の連中とマシュマロを焼こう!」

なんて、最後にヴィンセントとアントンが言ってましたが、

それに気づいただけで終わりでいいのかな?

アントンの「丘の上に家族のために家を建てる」というささやかな夢も果たせず

ヴィンセントもこのまま死んでしまうとしたら、あまりに残念です。

 

ストーリーはかなり後味悪いですが、

主役の二人は期待通りのすごいキャラ全開です。

ユダヤ系アメリカ人のジェシーとスウェーデン人のアレクサンダーがいとこ同士でロシア人、というのは

ちょっと厳しい設定ですが、

「ソーシャルネットワーク」で演じたザッカーバーグを彷彿とさせるような、早口のジェシー、

怒涛のようなプレゼン能力は、ほかの誰にもまねができません。

 

逆にアレキサンダーは、完璧なビジュアルと肉体美を封印して、

猫背でネクラでオタクな技術者になりきってました。

 

 

 

 

ハゲ頭にも驚きましたが、身のこなしがもっさりしていて、全くの別人です。

サルマ・ハエックもセクシーさ封印のグレイヘアーで、

007の悪役みたいな役回り。

 

この3人目当てだったら、これは間違いなく、おススメできる作品です。

蜜蜂と遠雷

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映画「蜜蜂と遠雷」 令和元年10月4日公開 ★★★☆☆

原作本 「蜜蜂と遠雷」 恩田陸 幻冬舎文庫 ★★★★★

 

 

優勝者が後に有名なコンクールで優勝するというジンクスで注目される

芳ヶ江国際ピアノコンクールに挑む栄伝亜夜(松岡茉優)、高島明石(松坂桃李)、

マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)、風間塵(鈴鹿央士)。

長年ピアノから遠さがっていた亜夜、年齢制限ギリギリの明石、優勝候補のマサル、謎めいた少年・塵は、

それぞれの思いを胸にステージに上がる。                           (シネマ・トゥデイ)

 

3年に一度日本で開催されるピアノの国際コンクール、

世界中から有望なピアニストが集結し、5日かけた1次予選では、24人にまで絞られます。

この中に残った日本人は4人(ひとりは国籍は違うけど)

この4人のコンテスタントたちのコンクールにかける思いや悩み、そして成長を描きます。

 

①栄伝亜矢(松岡茉優)

天才少女といわれた過去がありながら、母の死をきっかけに表舞台からは姿を消しますが、

このコンクールに再起をかけています。

②高島明石(松坂桃李)

家庭のために楽器会社に就職して、サラリーマン生活をしていますが、ピアノは弾き続けています。

年齢制限ぎりぎりの28歳で、最後のチャンスとしてコンクールに参加。

③マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)

ジュリアード出身のエリートで審査委員ナサニエルの秘蔵っ子でもあり、今回の大本命。

父はフランス人、母が日系のペルー人で国籍はフランスながら、幼いころ日本に住んでいたこともあります。

④風間塵(鈴鹿央士) 

謎に満ちたフランス在住の16歳の少年。

家にピアノもなく、全く音楽教育を受けていないにも関わらず、

亡き伝説的音楽家「ユウジ・フォン=ホフマンに五歳から師事」

の文言を見つけて、審査員たちは騒然となります。

 

 

この4人は完全にライバルですから、普通のドラマだと確執があったり足を引っ張りあったり・・・

と思いがちですが、意外なことにお互いをリスペクトしていて、ともに高めあい、刺激を与えあい

音楽を愛するものとして、ライバルというよりは「同志」の関係です。

 

マサルが日本にいたとき、ピアノを始めるきっかけを与えてくれたのが

小学生のときのアヤで、ふたりは幼馴染みだったのです。

アカシは(原作では違うけど)アヤに練習用のピアノの手配をしてくれたり、

そのピアノでアヤとジンが即興で連弾をして心から楽しんだり、

4人で気分転換に海辺に出かけ、はしゃぐシーンまでありました。

 

このなかの3人が本選に進むことができ、オーケストラとの関係に悩みながらも

素晴らしい演奏をして感動のなかフィナーレとなります。              (以上あらすじ終わり)

 

コンサートの期間中だけの話なのに、かなり長編の原作で、これを2時間に収めるのは無理!

いや、それ以前に、「映画化は無理」というか、

「映画化してはいけない」小説だと思ったんですが・・・・

 

4人の設定は重要としても、

コンクールの結果を含め、物語の顛末自体はそれほど大事じゃなくて、

説明的なせりふも少ないです。

文字をつかって書いているのにもかかわらず、

読者の頭のなかでずっと音楽が鳴り響くというか、

「音楽で語る」小説なんですよね。

 

 

映画化にあたって、それぞれの演奏には超一流のピアニストを配して、

「音楽重視」ということは伝わりましたが、それでも全然演奏時間は物足りないですよね。

8枚組のCDが発売されているから、それを聴いてね!ということかもしれないけれど、

原作では4人についてだけでも、これだけの曲のリストが用意されていて、

与えられた課題のなかから何を選び、どういう構成にするかで個性やセンスが伝わります。

もちろんすべて弾くことは無理ですが、

このリストにはもっと敬意を払ってほしい気がしました。

 

 

 

映画では三次予選はまるまるカット。

二次も、ほぼオリジナルの課題曲「春と修羅」のカデンツァだけというのもね。

この映画のために作曲されたから曲だから、仕方ないかもしれませんが・・・

 

演奏以外のドラマ部分だと、ほとんど省略されなかったのがアカシのパートですね。

コンクールでは評価されなくても「生活者の音楽」にこだわるアカシ。

彼の最後の挑戦をドキュメンタリーに撮るために取材カメラが密着し、夫を応援する妻も登場して

一般人の目線からも、コンクールの雰囲気やコンテスタントたちを見ることになります。

原作ではアヤを支える親友で恩師の娘でもある奏(かなで)というキーパーソンがいるんですが、

映画では彼女の存在をカットして、

アカシはその分までも補っているから、ドラマ部分ではかなり出番多いです。

 

逆にジンは「蜂蜜と遠雷」のタイトル由来の天才ピアニストなのに、天才ぶりがあまり伝わらず、

「彼はギフトか厄難か」と論争にまでなったわりには、扱いが軽くて、

ただの自然児というか不思議な「妖精」にしか見えませんでした。

指に血がにじむくらい必死で木製の板のピアノをたたくシーンがありましたが、

彼はそんなキャラじゃないですよね?

 

全編通して一番最悪と思ったのは、本選前のリハーサルでの指揮者の小野寺(鹿賀丈史)との確執。

マサルの演奏に合わせてくれず、アヤにはメンタル傷つけるような嫌がらせ。

ああいう嫌味な指揮者もいるのかもしれないけれど、原作ではそんなシーンなかったですよ!

ただでさえ尺を削りたいのに、追加する必要あった?

鹿賀丈史に罪はないけれど、あのドヤ顔が最後まで残って、ぶち壊しでした。

(ついでにいうと、片桐はいりのクロークも)

 

審査委員長が斉藤由貴というのも、意外でした。

私はもっと豊満で年配の女性を想像してたんですが・・・

ナサニエルは元夫だし、ほかの審査員との会話も通訳を介してもよさそうなのに

全編、堂々とした英語なのにも驚きました。

「記憶にございません!」ではとぼけた料理人だったのに、女優さんはすごいですね。

ただ、昔へたくそな歌を歌ってた斉藤由貴を知ってる私たちの年代からいうと

「あなたが音楽を語らないで」って思っちゃうんですけどね(笑)

 

この4人以外は、2次に残ったのは全員外国人なのに、ほとんど出てこないから

あんまり国際色は感じられませんでした。

数少ないセリフのある外国人コンテスタント、ジェニファー・チャンは、ジュリアードでマサルの同級生。

演じる福島リラはアラフォーなのに、20歳くらいの設定なんでしょうかね?

 

実は映画を観た直後は、キャストの4人もイメージ通りで、演奏も良くて、

そこそこ満足度あったんですが、

あとから考えると、あれこれ納得いかなくて、

だんだん嫌いになっていったような気がします。

 

2時間に収めるためにあれこれそぎ落とすのは仕方ないとして、

無断で余計なものをくっつけるんじゃない!ってことですね。

「母との連弾」とか「雨のなかを疾走する黒い馬」とか、同じ絵を使いすぎなのも、くどい。

 

先に原作読まなかった方がよかったのかもしれませんが、

やっぱりこれは映像化しないほうがいい作品だったと思います。

僕が見つけたシンデレラ

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ドラマ「僕が見つけたシンデレラ(ビューティ・インサイド)」 劇場公開なし 令和元年11月2日DVDリリース予定 ★★☆☆☆

(韓国語 字幕翻訳不明)

 

 

 

トップ女優のハン・セゲは、1カ月に1週間ずつ他人の顔で生きるという秘密をもつ。
一方、大企業の本部長ソ・ドジェは顔面認識障害に悩まされていた。

重大な秘密を抱える二人が描くロマンスドラマ。     (作品情報より)

 

 

少し前に公開された韓国映画「ビューティ・インサイド」のリメイクドラマDVDリリースイベントが

四谷のコリアセンターであり、そこで第一話を観てきました。

「ビューティ・インサイド」は、目が覚めるたびに違う人間に変身してしまう男性が恋をするラブコメディーで、

これがけっこうおもしろかったんですよね。

1人〇役ならぬ、123人1役なので、韓国中の俳優が登場したかも??

本作は月イチの変身なのでそこまで多くないし、変身するのは人気女優で、

相手役の御曹司は相貌失認の障害があり、でも彼女だけはなぜか何に変身してもわかる・・・

という設定のようです。

 

 

中央上のふたりが出会うけれどお互いの問題についてはしらない時点で第一話はおわるので

今回一番頑張るのは左下のマネージャーのユ・ウミでしょうか。

彼女はハン・セゲの秘密を知る数少ない人物で、しかもハンセゲは(障害は別にしても)

わがままで気分屋なので、なかなか扱いづらいですからね。

 

相関図を見たらほぼこのあとの展開は予想できるし、

だいたい上映前に流されたプロモーション映像で、ほぼ見どころをすべてやってしまってました。

YouTubeの動画を貼っておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=n-xYq6oFQgw

 

オチまでやっちゃっているから、本編をみてもなにも収穫なかったんだけど・・・・

これでいいのか、ちょっと心配になりました。

 

今回はかすりもしなかったけど、中央下のリュ・ウノ(ハン・セゲの秘密を知る神父志望のイケメン)と

カン・サラ(ソ・ドジェの義妹で、野心満々のわがまま娘)が恋に落ちる設定もあるみたいで

こっちのほうが楽しいかも??

 

R指定のついた韓国映画とか、ほんとに恐る恐る見に行く感じなんですが

一転、冬ソナ以降の韓流ドラマは、ちょっと赤面するくらい甘々で、

でもちゃんと需要があるから、日本でもそこそこお高めのDVDboxが売れてるんですよね~

 

もう閉館してしまいましたが、シネマート六本木は木曜日がサービスデイだったため、よく行ってましたが、

たまに韓流ファンとおぼしきオバサマ軍団を遭遇するときがありました(何かイベントがあったのかな?)

私は生の舞台をほとんど観ないので、けっこう刺激的!

今日も(若い人ほど騒ぎはしないけれど)

息子ほど年の離れた韓流スターにメロメロの女性たちに囲まれて

かなり刺激的な経験をしました。

 

私自身は、韓国俳優の人の見わけがほとんどつかず、相貌失念ではないかと思うくらい・・・

さすがに主役の2人はずっとアップされていたので分かりましたが、

同じ髪型でメイクで登場したら、絶対に無理だし!

 

「世界一ハンサムな顔ランキング100人」に一番たくさんランキングしているのも韓国人。

肌がきれいでのっぺり系で細マッチョというのがグローバルスタンダードになりつつある今

こんなことではダメですね。


真実

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映画 「真実」 令和元年10月11日公開 ★★★★☆

(フランス語 英語 字幕翻訳 丸山垂穂)

 

 

 

国民的女優のファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)の自伝本「真実」の出版を祝うため、家族が集まる。

アメリカで脚本家として活躍する娘のリュミール(ジュリエット・ビノシュ)、

ファビエンヌのパートナーと元夫、秘書らが集まっていて、皆彼女が何をつづったのかが気になっていた。

自伝は、隠されていた母と娘の間の愛憎渦巻く真実を明らかにする。   (シネマ・トゥデイ)

 

まずは、ちょっと詳しくあらすじを。

ネタバレに配慮なく書くので、ご注意ください。

 

自伝を出版した大女優ファビエンヌは、自宅で記者の取材を受けています。

無遠慮にタバコを吸いながらほかの俳優をディスったり、

「あら、あの人もう死んでると思った」とか

けっこう傲慢な語り口。

「あなたのDNAを継いでいる女優は?」の質問にも「いない」と断言。

 

そこへ、アメリカに住んでいる娘の家族がやってきます。

娘のリュミール(ジュリエット・ビノシュ)は脚本家、

夫のハンク(イーサン・ホーク)はぱっとしないテレビ俳優。

7歳の孫のシャルロットはお城みたいに大きいおばあちゃんの家や

大きなリクガメのピエールに大はしゃぎ。

 

彼らは結婚以来ファビエンヌとは疎遠で、今回は「自伝出版のお祝い」の名目でやってきたのですが、

物書きのリュミールは母親に事前にゲラを見せるように何度も言っていたのに無視され、

「何を書いたのか心配」というのが正直なところ。

 

最近メイドが辞めたということで、大きな屋敷は散らかっていて、けっこうな生活感。

リュミールが幼いころからずっと仕えている秘書のリュックは、高齢ながら今もファビエンヌを支え、

鮮やかな手際で料理をふるまうジャックは、料理人と思ったら、

実はこの家に同居している、今のファビエンヌの彼氏でした。

 

リュミールはシャルロットに

子どものときにお気に入りだった「ヴァンセンヌの魔女」の絵本を読んであげます。

気に入らない人は動物に変えてしまう話で、

ファビエンヌはこの魔女役もやったことがあります。

 

「おばあちゃんは魔女なの?」

「魔法がつかえるの?」

とシャルロットは直接ファビエンヌに聞いてきます。

「クラスのローズがいじわるなの。動物に変えられる?」

 

「うちのカメのピエールも元は人間だったのよ」とファビエンヌ。

「すごい!何に変えちゃおうかな?虹色のトカゲとか、虹色のナメクジとか・・・」

 

翌朝、自伝「真実」を読み終えたリュミールは、

その内容が嘘ばっかりなのに腹をたてています。

「まるでいい母親みたいに書いてあるけど、私はママに育ててもらった記憶はない」

「お迎えにきてくれるのも、いつもパパかリュックだった」

そして、一番許せないのは・・・

実の母よりも近しい存在だった「サラおばさん」が無視されていることでした。

「きっとママは後ろめたいからでしょ」

でもファビエンヌは全く相手にしません。

「面倒な子ね。まじめすぎるのよ、あなたは」

 

「サラおばさん」というのは、ファビエンヌの姉妹ではなく、親友でライバルの女優。

リュミールを誰よりもかわいがってくれて、心優しく、

女優としてもファビエンヌの対極の存在でしたが、若くして亡くなってしまいました。

 

 

ファビエンヌは今「母の記憶に」というSF映画を撮影中で、

この撮影現場にリュミールはシャルロットをつれて同行します。

主演はサラの再来といわれる新進気鋭の女優マノン。

ファビエンヌは彼女の73歳の娘役・・・・??

 

というのも、

劇中で、マノン演じる母親は重い病気で治療法がなく、

家族とわかれて宇宙ですごしている、という設定。

7年ごとに帰ってくるのですが、宇宙にいると歳をとらないので、

娘のエミーは成長しても、ママは若いままで

ファビエンヌ演じる73歳の娘とマノン演じる30歳くらいの母親のシーンが生まれるわけです。

 

女優に興味があるシャルロットは、幼い時のエミーを演じる子役が気になってしかたありません。

台本を読んでる子役のそばにいって

「私も女優なんだ、ハリウッドでね」

と軽く嘘をかますシャルロットがかわいい~

 

このほかにも17歳のエミー役、38歳のエミー役(リュディヴィーヌ・サニエ)もいるのですが、

「瞳の色がちがうじゃない」と、ファビエンヌはちょっと不満げです。

 

家に帰ると、もうひとり、自伝の内容に怒っている人がいて、

それは、なんと秘書のリュック。

「長年お世話になりましたが。辞めさせていただきます」

「本に全く書かれないのは、自分が否定された気持ちです」

「これからは孫たちの世話をしたい」

「秘書の仕事はお嬢さんがやればいい」

 

リュックといれかわりに、やってきたのは、

離婚した夫でリュミールの父のピエール。(このへん、戯曲みたいです)

カメと同じ名前なのにシャルロットはビックリです。

「自伝のモデル料欲しくて来た」という父に

「パパは本のなかでは死んだことになってるわよ」

 

シャルロットが使っているリュミールの部屋には

壊れたオズの魔法使いの人形劇のおもちゃがあり、

それはこの劇にライオン役で出たときに買った思い出のおもちゃ。

ピエールは、それを直してひっそりと帰っていきます。

 

一方、リュミールとファビエンヌはサラのことで大げんかしています。

「元々サラの役だったのを、監督と寝てママが横取りして、

その役でママはセザール賞とったのよね」

「それが原因でサラおばさんは亡くなった」

「お芝居じゃ負けるから汚い手をつかったのよ」

「私はママを許さない」

というリュミールに

監督と寝たこともすべて認めたうえで

「本物の役者なら悔しさも芝居に注ぐべき」

「勝ったのは私の方よ」

「サラは弱いから、酔っ払って一人で海に入っていった」

「サラの娘じゃなくて残念ね」

 

「良い母親で下手な役者よりはマシ」というわりには

ファビエンヌの今の仕事ぶりはテキトーで、せりふもろくに覚えず、

ストイックに役作りをするマノンの謙虚な姿勢とは真逆なんですが、

次の撮影では本気をだして、最高の演技をすることができました。

「おばあちゃん、クールだった!」と孫にも褒められて

秘書のリュックに戻ってきてもらうことを考えはじめますが、

今まで一度も謝ったことがないファビエンヌ。

「リュックに謝る芝居の台本を書いてよ」と娘に頼みます。

 

リュックの6人の孫たちも一緒に、みんなで食事しながら、

ファビエンヌはリュックに話をします。

「娘がいても、ろくに紅茶もいれられやしない。」

「せっかく母親からうまく逃げ出せたのに」

ところが、「それもリュミールの脚本ですね」

とリュックにはすぐにバレてしまいます。

「最後のところだけは私のことばだけどね」とファビエンヌ。

 

 

クランクアップ後、ようやくマノンと話ができ

「サラの再来といわれるのが重荷だった」というマノンにファビエンヌは

自宅に呼んで、サラのお気に入りのワンピースをプレゼントするのでした。

 

「森の魔女役はあなたに本を読むサラに嫉妬して受けたの」

「実は学芸会のオズの芝居も私はこっそり見てた・・・」

初めて聞く母の告白に リュミールの心も緩むのでした。

「ママを許しちゃいそう、魔法使ったの?」

 

「私の願い事はね、女優になりたいの」

というシャルロットに、ファビエンヌは

「そんなことなら魔法はいらないわ」

「女優になったところ、おばあちゃんに観てほしいから

(いつまでも年をとらないように)宇宙船に乗ってほしいな」

 

最後の泣かせるこのセリフは、

案の定リュミールの台本でしたが・・・・

 

屋敷に戻ってきたリュックに リュミールは

「ね、白状して。最初からやめる気なんてなかったんでしょ?」

これはどうやら図星だったみたいです。

 

屋敷の庭は木々の葉も落ち、鉄道の走る音がよく聞こえます。

「パリの冬の空はこんなにキレイ」

と上を見上げる家族たち・・・・

                             (以上 あらすじ終わり)

 

 

 

去年のカンヌを制した是枝監督が、世界的大物俳優を贅沢に使ってフランスで撮影・・・・

という話題性だけでも満点の作品なんですが、

公開直前になってのプロモーションが吹替版の女優メインなのがどうしても納得いかなくて

★をひとつ減らしてしまいました。

私はもちろん字幕版で観ましたが、劇場によっては「字幕版は夜だけ」というところも多いみたいで、

これはほんとにあり得ないことです。

「観てないのに文句言う」というのが最低の行為なことは承知ですが、

「観なくたってわかる」ってことだってありますよね。

 

例えば娘の夫のハンクはアメリカ人で、フランス語がわからない設定なので

フランス人たちが気をつかって英語で話しかけてくれるところと、

「意味わからないけどとりあえずニコニコしてる」ってシーンを

吹替版だとどう区別できるのかも心配です。

 

宮本信子は「かぐや姫の物語」の媼役は適役でしたが、ドヌーヴとは声が違うし

宮崎あおいはド素人なうえに年齢もイメージも違う。

マノンの低い声も魅力的で、これは絶対吹替してほしくなかったです

(本職の声優さんなら問題ないかも?)

 

ここから本題。★5に相当する字幕版の感想を書いていきます。

 

主役は国民的大女優(昔ほどじゃないけど現役でそこそこ活躍してる)というレアな設定ながら

結局は家族の映画になってるんですが、「樹木希林と仲間たち」のイメージではなかったです。

過去作では、YOUとか小林聡美とか、実の娘とは「一卵性親子」みたいで、疎遠ではないし、

確執なんてないんですよね。(あっても口にできるからすぐ解決する)

 

物語は、アメリカ在住の娘家族が実家に戻ってくるところから始まります。

「幸せな家族を見せつけたかった?」

「でもオレみたいな半端なテレビ役者じゃ意味ない」とハンク。

フランス語できないし、すぐお酒に飲まれるし、役者としての実力もないし、

(是枝映画の定番の)ダメダメ男なんですけど、いいヤツなんですよね。

音楽が鳴るとサッとファビエンヌの手をとって踊りだすところとか、

これは邦画では絶対にできないやつ!

イーサン・ホークの役はほとんどストーリーに絡まなくて

ちょっとお気の毒な気もしましたが、この軽やかな存在は絶対に必要です。

 

自伝の内容は「真実」というタイトルに反して、

ファビエンヌに都合の良い思い込みばかり。

事前にゲラを見せてくれなかったのに

「あら、送ったわよ」としゃーしゃーと嘘つく母親にも、怒りがこみ上げるリュミール。

地下のワインセラーの話が出た時には

昔母に閉じ込められて怖かったことを思い出してしまいます。

何かの罰でやられたのはわかるけど、閉じ込めたのを忘れて飲みにいってしまったこと、

そしてそれを今も反省するどころか、覚えてもいないことに怒り心頭なのです。

 

もうどうにもかみ合わない二人の状態から始まるので、

これが収拾できるのか、心配になってしまいました。

 

それにしてもこの親子、全然似てない!

2年前の「ルージュの手紙」で娘を演じたカトリーヌ・フロよりも、はるかに似てないです。

実の父親のピエールとはちょっと似てたかな?

 

なので、もしかして、リュミールはファビエンヌの本当の子どもじゃない?とか

サラは実はファビエンヌが殺した?

とかの驚愕の展開まで疑ってしまったくらいです。

 

でも、話が進むにつれ、

セリフだけじゃなくて、二人の演技で

「なんだかんだ言って仲のいい母娘」感がだんだん出てきて安心しました。

 

過去作の「海街diary」でも、扇の要にいるはずの父親が全く出てこなかったのですが、

本作でも、ライバル女優のサラ、そして自伝「真実」に何が書かれていたのかも示されず

すべて観客の想像に委ねられています。

 

それから「母の記憶に」という入れ子の劇中劇があり、

現実世界と若干リンクしたり、撮影スタジオも映って、「映画作りの現場」も登場するのですが、

私は、「撮影」とか「演技」以前に「脚本」の存在を強く感じました。

 

脚本家は観客に伝えるためにいつもセリフの吟味をしているのでしょうが、

それは虚構の世界でのこと。

もし、本人がその時に感じた真実の言葉をしゃべっても、

そちらの方が正しく伝わらないこともあるのが皮肉なんですよね。

 

本編中でも、リュミールが書いた脚本通りに話をしたら、うまく進むところも何か所かありました。

まあね、実際は脚本家は相手のセリフも考えるから、

予想外の反応があったりすると、そこで行き詰ったりしちゃうんですけどね・・・・

 

最後の方で、ファビエンヌが

「この気持ちを演技に生かしたかった、もう一度できないかしら」

といって悔しがるんですが、

脚本家にしたら

「今のことば、あのシーンで使いたかった」

となるんでしょうね。

映画の裏側とか脚本家の頭の中とかをちょっと覗けたみたいなのは楽しいです。

 

今回は「社会派」要素はあまりないですが、

「家族映画」のほかにもいろんな楽しみを入れ込んで、2時間以内に軽やかに収めるのは

これは監督の腕でしょう。

 

ファビエンヌの自宅と撮影所くらいしか登場しない、戯曲みたいな映画で

雄大な大自然も絶景もないけれど、季節を映し出す繊細なカメラが素敵で、

街や庭の空気や風や色や・・・・みんな美しく心地よかったです。

 

エンドロールにヒョウ柄のコートを着て犬の散歩をするカトリーヌ・ドヌーヴは

全然オーラなくて大阪のおばちゃんみたいだったし、

まさかの下ネタをいうシーンもあってびっくり!

 

「チャリティや政治に口出しする女優は現実に逃げてる」とか

「DDとかGG,AA,SS・・・・大女優には同じイニシャルが多いけど

BB(ブリジッド・バルドー)は大したことない」とか

けっこうあとあと問題になりそうな毒を吐かせてるのもスゴイです!

 

せっかくなので、私も最後にちょっとだけ毒を吐かせていただくと・・・・

 

カトリーヌ・ドヌーヴと同年代の日本の国民的大女優の主演映画が

同じ映画館でかかっていたんですが、

そっちのほうが収容人数が倍くらいの大きいホールなんですね。

何人くらい入ってたかはわかりませんが、

「真実」は小さいホールで3割の入りでしたからね~      負けてる・・・

 

ニコルソンxフリーマンを超えられるわけないのに

いくらネタ切れでもあんな映画の企画を立てる人、

それに群がる人・・・・・ 情けないです。

 

本作の吹替も

「(吹替のほうが)フランス語では表現しきれなかったオリジナルの脚本により近い」

という監督自身の言葉が大きく報道されていますが、

これは吹替キャストと一緒に登壇した舞台挨拶のときに話したことですからね。

それなら日本語字幕を監修すればいいだけの話で、

こっそり耳元で・・・

 

「ね、白状して! あのときの話、うそですよね」

と囁きたいです。(笑)

カトリーヌ・ドヌーブと樹木希林

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まったく予備知識なしで映画「真実」を観て、先日感想を書いたのですが、

そのあと他の人のブログやレビューを観ていたら、

「ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーブ)は樹木希林だ!」という人がとても多いのに驚きました。

このふたりが同じ年齢ということは知っていましたが、

私は映画を観てる間、一瞬もそんなことは頭をかすめず、

敢えていえば、樹木さんは「リクガメのピエールかな?」と思っていました。

 

公開後、映画タイアップの監督インタビューのテレビ番組もいくつか見たんですが、

話題はどれもほとんど同じで、

①有名女優による日本語吹替版の宣伝 

②パリでの撮影の苦労話(仕事時間が法律で決まっているから、思うように撮影が進まない、とか)

③作品とは関係ないほのぼのエピソードとかで、

正直、退屈でした。 (プロモーションだから、言ってマズイ話はぜったいにさけるでしょうしね)

 

 

そういうわけで、映画にあわせて発売された是枝監督の本を読んでみました。

 

こんな雨の日に 映画「真実」をめぐるいくつかのこと  是枝裕和 文芸春秋

 

前作の「映画を撮りながら考えたこと」は作品をしぼってないから,

是枝映画を全部観てないとついていけなかったし、けっこう難解でしたが、

これはピンポイントで書いているから

「真実」を観た人ならあっという間に読めてしまうと思います。

ご丁寧な脚注もついているんですが、内容はとても読みやすいし、

監督の絵コンテも文字もかわいらしくて、ながめているだけでも楽しいですよ!

 

「真実にたどり着く8年間の物語」とありますが、この作品のもとになる戯曲の構想は2003年ですから

十数年前まで遡ることになります。

 

キャリア晩年を迎えた老女優の上演前後の楽屋を舞台に

パルコ劇場で上演するのを前提にした「こんな雨の日に」という戯曲のアイディアです。

 

テレビ番組の監督にアイドルタレントの共演者、

ただ、興行的にはこの小娘の人気に便乗してなんとか成立してる芝居なのをわかりながらも

マネージャーにあたりちらす主人公。

いつも公演が始まると、謎の人物からのアドバイスが届くのだけれど、今回はないな~と思っていたら

その手紙の主がやってくる・・・・というようなストーリーで

「こんな雨の日にお芝居観に来る人なんかいるのかしら・・・」というひとりごとがタイトルになっており

老女優が若尾文子、彼女のファンで元クロークの妻だった女性(手紙の主)に樹木希林・・・・

というキャスティングを考えていたそうです。

 

その後、このプロットは姿を変え、2015年時点では、フランスを舞台にした

本作の脚本へと近づいていきます。

                     (本文21ページより転載させていただきました)

 

 

当初からこの企画の推進力となっていたジュリエット・ビノシュに加え

カトリーヌ・ドヌーブとイーサン・ホークのキャスティングについては

「最初の1ページに彼らの名前を書いた」と監督が言っていましたが、

このメモを見る限り、(リュディヴィーヌ)サニエの名前も最初からあったんですね。

 

しかも、最初から「母、娘、娘婿」と役柄の決まっていた3人に対し、

彼女だけは①ライター②ライバル女優の娘③新しい恋人の連れ子

と、何の役かも決まらなくても「とにかくサニエを出演させる!」という強い意志を感じてしまいました。

結局、彼女の役柄は、劇中劇で38歳の時のエミーを演じるアンナという女優役、でしたね。

 

本作の撮影時のエピソードもいろいろ書いてありました。

フランスでは1日8時間しか仕事できないとか、子役は4時間までとか・・・

は、何度か聞いた話。

協調性重視の日本で我を通す人は少ないでしょうが、

フランス人は自分の主張をどこまでも通すから、プロデューサー同士のけんかの仲裁で

是枝監督、かなり消耗してしまったみたい・・・・

自分の立場で相手をやりこめるミュリエルという女性プロデューサーに対しては

かなりお怒りのようです。

 

それに比べたら、カトリーヌ・ドヌーヴのわがままなんてかわいいものです。

リードもつけずに愛犬のジャックをどこにでも連れ込んで、

本番直前までタバコをスパスパ(劇中でもかなり吸ってましたが・・)

ロケ地は自分の家から近くなきゃイヤだといい・・・・

 

傑作だったのは、監督がキャストごとに動物のイメージを決めていて、

イーサン→ワシ   ジャック→ クマ   リュック→ ウサギ  シャルロット→ リス

そして、ファビエンヌ(ドヌーヴ)はクジャクのイメージ、といったら

「クジャクなんて大っ嫌い!リスがいいわ! リスが2匹じゃダメなの?」といってきたそう。

こどもか!(笑)

逆に75歳でこれがいえるドヌーヴはただものじゃないですね。

 

ちょうどパリで「マチネの終わりに」のロケをしていた福山雅治が「陣中見舞い」に来ると聞いて

フランスにはそういう習慣がなく、まして部外者に来られるのが嫌いなドヌーブの反応を心配するも、

カンヌで賞をとった「そして父になる」も彼女は観ていて、けっこうウエルカムだったそうです。

 

 

ところで、最初に書いた「ドヌーブと樹木希林」ですが、これを読んで、

素顔のふたりはちょっとも重ならないことがよく分かりました。

樹木さんも一言でぴしゃりと話をおわらせる人ですが、

それはみんなのことを考えてのことで、

ただただ天真爛漫にわがまま言ってる人とは、精神年齢は雲泥の差です。

 

ファビエンヌの役柄も、最初のプロットでは若尾文子さんですからね。

もし日本人でやるんだったら、

岩下志麻とか草笛光子とか、歳を重ねてもゴージャスな女優さんをあてたことでしょうし、

私は映画を観てる時、ファビエンヌのなかに樹木さんの姿は出てこなかったんですが、

うーん、それでも

たしかに是枝映画だったら、同じ立ち位置にいるといえるかもしれません。

 

あとがきのなかで、

「この作品の準備中に亡くなられた樹木希林さんとは何の関係もないが

読後感をさわやかにしたいと考えたのは、

希林さんを失った喪失感にひっぱられないようにしたい気持ちが働いたのかもしれない」

「希林さんに捧げる、なんてことは絶対に言わないけれど

誰に一番みせたいかと尋ねられたら、彼女の名前を真っ先に言うだろう」

というようなことを書かれていました。

 

 

 

 

それから、「真実」の特別編集版が11月1日に限定公開されるそうです。

東京ではTOHOシャンテのみの公開ですが、本編はシャンテではやってないのが、なんか不思議。

目の肥えた洋画ファンの集まるシャンテとか恵比寿ガーデンシネマとかでまず先行上映し、

そのあとで吹替もふくめてシネコンでかけて欲しいと思うんですけどね・・・(ついつい愚痴になります)

 

特別編集版では、ファビエンヌとリュミールを支え、見守り、ときにアドバイスを送る男性キャラクターたちに、

よりスポットライトが当てられている。

是枝は特別編集版について「『私家版』として友人に配るか『愛蔵版』としてDVD特典にするか悩んだ末に、

周囲の方々の『せっかくなので』『こっちも好き』というお言葉に背中を押され、劇場公開させて頂くことになりました。

イーサン・ホーク好きにはたまらない…はずです。どうぞよろしくお願いします」とコメントした。 (映画ナタリーより)

 

 

イーサン・ホーク好きにはたまらない・・・といわれたら、もう観るしかないですね!

第60回神田古本まつり

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今年も古本まつりの季節になりました。

 

初日の25日(金)はとんでもない大雨で屋外の販売やイベントは中止になりましたが、

土日のイベントやブックフェスティバルは晴天が戻ってOKでした!

 

 

ただ、昨日行われたオークションには今年は(別の用事と重なって)参加できず。

かわりに夫が行ってくれたのですが、映画関係の出品はスターウォーズの本だけだったそうで、

収穫はありませんでした。残念。

 

3日目の今日は私も行ってきましたが、

年々客層が若くなっているような気がします。

カレー屋や喫茶店に並ぶ長い行列を横目に、3時間くらいうろうろしてきましたが、

映画関係で買った本はたったこれだけです。

 

 

 

2冊とも「映画に登場する鉄道や駅」の本です。

左のは初めて見る本で、見づらいですがサブタイトルは

「鉄道映画カタログ 列車に描く人間模様」とあります。

過去の洋画邦画のなかから、列車や駅のシーンが印象的な作品を紹介したものです。

(1991年版なので新しい映画は入っていませんが)

 

リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフで最初に撮影したのも

ラ・シオタ駅に到着する蒸気機関車(にけん引された列車)でしたから、

列車と映画は最初から相性がよかったのかも。

 

ほかにも何冊か映画と鉄道の本は持っていると思うので(川本三郎さんのとか)

また別の日に、

個人的に好きな鉄道映画のことを書いてみようと思います。

楽園

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p映画「楽園」 令和元年10月18日公開 ★★★☆☆

原作本「犯罪小説集」より 「青田Y字路」「万屋善次郎」 吉田修一 角川書店 ★★★★★

12年前、青田に囲まれたY字路で幼女の誘拐事件が発生した。

事件が起こる直前までその幼女といたことで心に傷を負った紡(杉咲花)は、

祭りの準備中に孤独な豪士(綾野剛)と出会う。

そして祭りの日、あのY字路で再び少女が行方不明になり、豪士は犯人として疑われる。

1年後、Y字路へ続く集落で暮らす養蜂家の善次郎(佐藤浩市)は、

ある出来事をきっかけに、村八分にされてしまう。             (シネマ・トゥデイ)

 

2つの短編をミックスさせて映画化したのですが、それぞれの登場人物はニアミスはするものの

話としては別物なので、あらすじのほうは、それぞれ分けて書くことにします。

 

①「青田Y字路」 (女児行方不明事件)

 

学校帰りにシロツメクサで花冠をつくっていた女の子ふたりが、田んぼのY字路で別れます。

自分の摘んだ花をアイカに取られたツムギはちょっと腹がたって、

「うちに遊びに来て」と誘うアイカを無視して、自分の家に帰ってしまいます。

 

その日、神社で開かれた骨董市の片隅では、ひとりの女性がヤクザから暴行を受けていました。

彼女は難民で日本にやってきた日本名ヨウコで、車で偽ブランドを売って生活していたのです。

傍らで震えていた息子のタケシ(綾野剛)は村の世話役のゴロウに助けを求め、

ゴロウの仲裁でヤクザから解放され、無職のゴロウに仕事を世話してやると約束もしてくれます。

 

その日の夕方、ヨウコとタケシの親子はゴロウの家を訪ねますが、仕事にはありつけず。

というのも、ゴロウの孫のアイカが家に帰らず、大騒ぎとなっていたからです。

Y字路でアイカと別れたツムギは、別れた時のことを大人たちから問いただされ、

村人たちは夜遅くまで付近の捜索をはじめ、それにタケシも加わり、

アイカのランドセルは見つかるも、いくら探してもアイカは見つからず。

Y字路にはアイカ情報を求める大きな看板が設置され、

それを見るたびにツムギは責任を感じて申し訳ない気持ちでいっぱいになるのです。

 

事件から12年後、ツムギは高校を出てホームセンターで働いていました。

地元に残る若者は少なく、村祭りでは貴重な笛の吹き手となっています。

数少ない同級生のヒロ(村上虹郎)からのしつこい誘いを振り切って

パンクした自転車で走っていると、

タケシの運転する車と接触してしまいます。

彼はそのときに壊れた笛を弁償してくれて、一緒に話をするうち、

傷ついた者同士、心を通わせるようになり、その夜の祭りで会おうと約束します。

 

縁日が始まるころ、あのY字路でまたランドセルを背負った女の子が学校帰りに行方不明になったと

村人たちが捜索をはじめようとしていました。

アイカの事件の犯人がまた犯行に及んだのか?

疑心暗鬼の彼らは、最近やってきた〇〇が怪しいとか、外国人の集団が怪しいとか言い始めるのですが、

その時、ツムギの父親は、12年前のあることを思い出します。

水路でアイカのランドセルが発見された現場に自分がさしかかったとき、

そっちへ行かないように引っ張った人物がいた!

それはリサイクルショップをやってる難民の息子、タケシだ!と。

 

「あいつがアイカちゃんを殺したにちがいない!そして今回も!」

タケシの住んでいる町営住宅に押しかけ、ゴロウはその先頭にたって、玄関ドアを蹴り破り

部屋のなかをめちゃくちゃに探し回るも、タケシも証拠になるようなものも見つかりません。

 

何も知らずにそこに帰ってきたタケシ。

この理不尽な光景が理解できず、彼の頭の中には

日本にやってきた7歳のころ、近所の中学生たちに家を襲撃されたときの

恐ろしさがフラッシュバックし、感情をおさえられなくなったタケシは

近所の蕎麦屋に立てこもると、灯油をかぶり、火をつけて焼身自殺してしまいます。

ところが、その直後に、行方不明だった女の子が無事に帰宅します。

 

翌年、東京の青果市場で働くツムギは、自分を追いかけてやってきたヒロに当惑しますが、

デートを重ねるうちにだんだん親密になりますが、

今度はヒロが重い病気にかかってしまい・・・・

 

②「万屋善次郎」 (限界集落連続殺人事件)

 

親の介護のために村に戻ってきた善次郎は、両親を見送ったあとも村で養蜂をつづけ、

愛犬のレオと暮らし続けていました。

すでに還暦を超えた善次郎ですが、村の年寄よりはずっと若手なので、

草刈りや電気の配線や側溝の掃除など、頼まれごとを黙々とこなし、「よろず屋」といわれていました。

村の長老のイサクの娘ヒサコが一人息子を連れて出戻ってきており、

男手のない家の修繕などをしているうちに親しくなっていきます。

 

善次郎の作る蜂蜜は評判がいいことから、これで村おこしができるのではないかと

ある日村の寄り合いで発言すると、思いのほか、良い反応。

それを役場に申請すると、村はすぐに予算をつけてくれました。

 

ところが、これが大誤算となります。

村の世話役と通さずに申請してしまったことで、彼らの怒りを買ってしまったのです。

また、ヒサコとの関係もあることないこと噂をたてられ、村八分にされてしまいます。

世話役のひとりを噛んだレオは檻の中にとじこめられ、

亡くなった妻の服をマネキンに着せたり、畑に苗を植えて森に戻そうとするのも

周りからは気味悪がられて、どんどん善次郎は追い詰められ、精神を病んでいくのです。

 

ある日、ヒサコは実家のまわりのパトカーに驚きます。

ヒサコの両親をはじめ、6人もの老人夫婦が鎌で惨殺されており、

そのころ犯人の善次郎は、山で自らの腹を鎌で切り裂いていたのでした。 (以上 あらすじ終わり)

 

 

原作は、実際の事件をモデルにしたと思われる犯罪小説で、フィクション部分ももちろんあるのですが、

とにかくリアルで、それを感じさせません。

映画ではこの中の2つの短編を「同じ集落で同時に起きた」という設定にして、

「罪」「罰」「人」の三部作にしてましたが、ちょっと意図がわからなかった・・・・

 

二つのエピソードをいったりきたりしながら時間軸も動くので、無用の複雑さが生まれてしまって、

↑のように別々に書いたら、なんかすっきりしてしまったです。

 

①のモデルになったのは今市で起こった幼女誘拐事件。

犯人とされた男は、台湾出身の偽ブランドを売る若い男でした。(たしか死刑判決がでたような?)

こんなことをしそうもない優しい顔のちょっとイケメンの男だったのを覚えています。

 

 この話のモデルは未解決の「北関東連続幼女誘拐殺人事件」といってるサイトが多いんですが、

2回目の行方不明は事件にはならず連続ではないし、誘拐されたときの情況といい、

三叉路、下校時、白いバン・・・といったガジェットも同じで、今市の事件であることは間違いないと思います。

 

②は、現代版八墓村といわれた、山口の連続殺人放火事件。

親の介護のUターン族、60代の職人で集落の雑用をやらされていた、大型犬の臭い、

村おこしで揉める、家の前のマネキン・・・

こちらもかなり実際の事件でのアイテムが使われています。

 

 

原作は実録小説ではないので、吉田修一オリジナルの部分ももちろんあって、

①では生存も遺体も確認できず、最後まで行方不明という結末

それに犯人は逮捕されず、村人から疑われた男は焼身自殺するというのは小説オリジナルです。

②はかなり事件そのままですが、たしか犯人は自殺はせずに逮捕され、

その後、死刑判決が出たように思います。

 

2つの話に共通するのは、限界集落の閉鎖的な社会のなかで差別され追い詰められた人間の

行く先にある狂気を描いていて、②などは、日本版の「ジョーカー」ともいえるかもしれません。

 

「ポツンと一軒家」なんかに出てくる人里離れたところに住む人たちは、みんな人情があって優しくて

働き者なんですけど、こんな映画を見たら、もう田舎には住めなくなってしまいますよ。

ひとりひとりはそんな悪い人ではないのに、異端者や少数派になることを恐れるあまり

人は躊躇なく少数派を切り捨て、残酷な行為に走ってしまうのですね。

 

ただこれは限界集落に限ったことではなく、

どのコミュニティにも潜在しているようにも思います。

人権教育が行き届いてるはず、の現代では、理不尽だと感じる割合は高くなってるとは思いますが

それでも「自分たちのコミュニティを守る」方が優先される社会はまだまだあると思います。

 

①だと、「誰かを犯人に仕立て上げてでも、この事件にケリをつけて、元の平和な村を取り戻す」

ことが優先され、

タケシは、なんとなく怪しくて自分らとは関係も薄くて犯人だったら都合がいい・・・・

この村の平和維持と安心のために捧げられる「人身御供」というか、「生贄」のような存在なんでしょうか。

 

ゴロウは冒頭でタケシ親子を助けてくれた、頼りがいのある村のまとめ役だったのに

「あいつが犯人だって言ってくれ!」と証拠もないのにおいつめ

(ツムギに向かって)「「愛華だけが死んで、どうしておまえだけが生きてる?!」と苦しめる・・・・

言ってはいけないセリフなんだけれど、被害者の祖父だったら、責めることもできませんね。

 

②では、変革を求めたり、ちょっと人と違うことをする若造を懲らしめて

昔ながらの平穏な村を守ろうとする長老たちの横暴がこれでもかと描かれます。

村のために良かれとおもってやったことでも、手順を踏まないと受け入れられないばかりか

逆に村八分になってしまうという、これも閉鎖的な社会「あるある」ですね。

 

私は①も②もですが、実際の事件も覚えていて、原作小説も読んでいたので、

そのうえで映画をみると、けっこうあちこち、ひっかかることが多いんですよね。

 

①では、タケシは、大人たちからは遠巻きにされていたものの

原作(多分実際も)彼はちょっとイケメンで、子どもたちからは好意をもたれていたんですよね。

綾野剛はもっとイケメン演出でよかった気もしましたが・・・・

 

②では、逆に佐藤浩市演じる善次郎は、彼のイメージもあってか、かなり好意的に描かれていて驚きました。

温厚で人格者で魅力的でラブシーンまで用意されてましたね。

長老たちといざこざになる以前から彼は充分変人で、

いつも汚い身なりで、犬もかなり臭くて、気味悪さ全開、というのが原作の印象だったんですが。

 

もちろん気味悪くても村八分にしてはダメですけど、

予備知識なくて映画をみていたら、極悪の長老ファミリーに対しては怒りにふるえ、

彼の行為を正当化してしまうかもしれません。

 

あと、①も②も、多数派とはちょっと違う、「空気の読めない人物」が一人ずつ登場します。

①では、ツムギの同級生のヒロ。

小説では村にいたときからヒロとツムギは普通に仲が良くて

「(アイカは行方不明なのに)私が幸せになっちゃいけない」と思ってたくらいなんですが、

映画では、ツムギの気持ちを全く無視のストーカーっぽいキャラになっていました。

車で送りたくて自転車パンクさせるような行為は、それだけでもドン引きですが、

こういうまわりに流されない性格の彼のおかげで、ツムギは救われたのかも・・・

 

②では原作にない長老の娘のヒサコというオリジナルの人物が登場します。

彼女は中学生の息子にまで「空気読めない」と言われるほど、鈍感力の高い人物で

人からどう思われるかとか関係なしに祭りに善次郎を誘い、

混浴の温泉にまで誘ってセミヌードまで披露してしまうという・・・・

 

正直いって、ヒサコのような人物は絶対にこんな集落にいることはあり得ないんですが、

善次郎に最後につかわされた女神のような存在だったのかな?

 

「演出のさじ加減」で理解できないところが多かったんですが、

犯罪映画なのか人権映画なのか…最後にはちょっとミステリー要素も加えられて

複雑な作品になっていました。

頭の中で実在の事件と原作小説も混在していたので、なおさらだったかもしれません。

 

原作では事件の取材班からの客観的な「第三者目線」も加えられていましたが、

それも敢えて排除してあって、

「こんな限界集落はいやだ」「都会に出てもっと広い世界を体験したようがいい」

という気持ちに誘導される人が多いようだったら、それは映画化の失敗と言わざるを得ません。

 

ただ、役者たちは主役からわき役まで、全員たいへんな大熱演で、

それは見ごたえがあったことは付け加えておきます。

古本まつりは絶景本棚②

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今日も(別に欲しい本が必要なわけでもないのに)また来てしまいました。

土日は食べ物の屋台がたくさん出てきて人ごみにも圧倒され、イベント感すごかったですが、

平日は神保町も落ち着きを取り戻して、ゆったりと本選びができました。(ほとんど買ってないけど)

去年もこんな記事を書きましたが、

結局「本を買いたい」だけでなく、「絶景本棚」を満喫したくて来てしまうのかな?

 

 

関心のない本がほとんどのフリーマーケットとか

整理分類されすぎてる図書館の本棚でも、本が並んでいるだけで実は十分嬉しいんですが、

好きなジャンルの本がいい感じに詰まっていると、高揚感半端なくて、

エンドルフィンのような神経伝達物質がすごい勢いで放出されているような・・・・?

 

 

 

 

本来の「絶景本棚」は、夏に行ったモリソン書庫みたいなのなんですけど、

そのたびに入館料900円は辛い・・・

 

 

 

↑ この写真もモリソン書庫に限りなく似ていますが、

こちらは9月に日本橋のコレド室町テラスにオープンした

台湾初のセレクトショップ「誠品生活」のなかにある書店の棚。

私はまだ行ったことないのですが、これ、ぜんぶ売り物?

ディスプレイだけのためにここまでの面積は使いませんよね・・・?

TOHOシネマズ日本橋に行くときにちょっと見てこようと思います。

 

 

ところで、今日気になった本は、キネマ旬報の「フィルムメーカーズ 全17巻」 

 

 

この前のシリーズ「世界の映画作家」を持っているので、これもそろえたいところなんですけど

コーエン兄弟は持ってたような気がして、買わずに帰ってきました。

家に帰って本棚を見たらたしかに・・・・・ 

 

 

あれ?

クリント・イーストウッドとティム・バートンも持っていました。(あんまり買った記憶なし)

よく考えたら、これ以外に欲しいのは3冊くらいだから、買わなくてよかった!

15000円じゃなくて格安になってたら、うっかり買ってたかもしれません。

それにしても、「フィルムメーカーズ」シリーズの日本人監督の人選はよくわかりません。 

新しいシリーズができたら、是枝監督は絶対でしょうね。

 

古本まつりは11月4日までやっているので、

たぶんもう一回は行ってしまうような気がします。

公開中・公開予定の映画の原作本 (66)

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公開中 「フッド:ザ・ビギニング」← 「ロビンフッドの愉快な冒険」 ハワード・パイル 光文社文庫

 

 

公開中 「見えない目撃者」 ← (同名ノベライズ) 豊田美加 小学館文庫

 

 

11月1日公開予定 「マチネの終わりに」 ← (同名)平野啓一郎 文芸春秋社

 

 

 

11月8日公開予定 「ひとよ」 ← (同名ノベライズ) 桑原裕子 長尾徳子 集英社文庫

 

 

 

 

11月29日公開予定 「The Informer 三秒間の死角」 ← 「三秒間の死角」(上・下) アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレム 角川文庫

 

これから観たい映画(112)

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9月公開

▲ 「SHADOW 影武者」 → 感想UP

▲ 「記憶にございません!」 → 感想UP

× 「今さら言えない小さな秘密」 

▲ 「シンクロ・ダンディーズ」 → 感想UP

▲ 「アルツハイマーと僕 グレン・キャンベル音楽の奇跡」 → 感想UP

〇 「ホテル・ムンバイ」 (シネマカリテ)

▲ 「ハミングバード・プロジェクト」 → 感想UP

 

10月公開

▲ 「ジョーカー」 → 感想UP

▲ 「蜜蜂と遠雷」 → 感想UP

〇 「エンテベ空港の7日間」 (TOHOシャンテ)

〇 「ボーダー 二つの世界」 (ヒューマントラスト渋谷・有楽町)

▲ 「真実」 → 感想UP

▲ 「楽園」 → 感想UP

〇 「アダムズ・アップル」 (シネマ・カリテ)

 

11月公開

◎ 11/1 「真実 特別編集版」 (TOHOシャンテ)

〇 11/1 「閉鎖病棟 それぞれの朝」

〇 11/8 「ひとよ」

〇 11/15 「影踏み」  (イオン板橋 シネリーブル)

〇 11/15 「盲目のメロディー」 (ユナイテッドとしまえん)

〇 11/15 「ベルカント とらわれのアリア」 (TOHO新宿 )

〇 11/29 「The Informer 三秒間の死角」 (TOHOシャンテ イオン 板橋)

〇 11/29 「読まれなかった小説」 (武蔵野館 ヒューマントラスト有楽町)

◎ 11/30 「台湾 街かどの人形劇」 (ユーロスペース)

 

                                            〇 観たい作品

                                                    ◎ 絶対に観たい作品

                                                    ▲ すでに鑑賞済

                                                    × 23区内で上映終了

 

 

 

上段3作が邦画、というのは、めずらしいことかも?

「閉鎖病棟」も「影踏み」も原作が有名で、すでに読んでいるんですけど、

それにしても最近の邦画はオリジナル脚本が少ないですよね。

 

一番観たいと思っている「台湾、街かどの人形劇」は、ユーロスペースの単館上映で、

実は予告編もみたことなければ、チラシも手元にありません。

 

 

 

侯孝賢監督映画の常連俳優で布袋戯の巨匠・李天禄の息子・陳錫を追ったドキュメンタリーで

監修も侯孝賢です。

「悲情城市」で林家の家長のおじいさんだったのは、強く記憶に残っています。

 

 

他にはなんの情報もないけれど、「観るべき映画」の香りがとっても強いんですけど・・・

ポレポレとかの単館だったらちょっと大変だけど、ユーロスペースはネット予約できるし、

個人的には非常にハードル低いです。これは是非!


真実 特別編集版

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映画「真実 特別編集版」 令和元年11月1日公開 ★★★★☆

(フランス語・英語 字幕翻訳 丸山垂穂)

 

 

国民的女優のファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)の自伝本「真実」の出版を祝うため、家族が集まる。

アメリカで脚本家として活躍する娘のリュミール(ジュリエット・ビノシュ)、

ファビエンヌのパートナーと元夫、秘書らが集まっていて、皆彼女が何をつづったのかが気になっていた。

自伝は、隠されていた母と娘の間の愛憎渦巻く真実を明らかにする。   (シネマ・トゥデイ)

 

ストーリーは10月公開の「真実」と同じです。 → こちら

「イーサン・ホーク好きにはたまらない」というコピーにつられて観てきましたが、

想像以上に 通常字幕版とおんなじ、でした。

 

男性陣の出番はたしかに少し増えてはいましたが、構成がかわるわけでもなく、

諸事情により劇場公開に至らなかった削除シーン、

男性キャスト(というか、ほぼイーサン・ホーク)のシーンを付け加えたものです。

逆に減らされたシーンがあるのかも気になるところですが、

どうなんだろう??

 

上映時間も108分から119分と11分増えているから、

通常版でカットされたシーンがこれだけ追加された・・・ということなんでしょうかね。

 

まあこのくらいの差だったら、DVDの特典映像でもよかった気もしますが、

じゃあ、不満に思っているかというと、とんでもない!

「イーサン・ホーク好きにはたまらない」というのは正しいです!

 

イーサン演じるハンクは、本来、ストーリーにはあまり関わってこないから

本編では登場シーン少なくて・・・

ダメ男だけどキュートで面白いハンクをもうちょっと観たい!

と誰もが思うはずですよね。

 

通常版での彼の登場シーンは、ファビエンヌの屋敷に親子三人でやってくるところでしたが、

特別版では、空港に降り立って、迎えの運転手の車で屋敷に向かうところからやってくれます。

娘のシャーロットとライオンみたいに吠えあったり、ふざけて遊んでます。

空港の大きなスクリーンに自伝「真実」のPRビデオで

ファビエンヌの若いときの超美人の写真が写しだされる・・・・

 

そのあと家についてから

「空港のロビーにママが映ってたけど、どんだけ昔の写真をつかってるのよ」

みたいなせりふがあったから、まあ、このシーンなくてもいいかな?

って気はしますけど、

イーサンがせっかく空港でロケしてるのに、丸々カットなんてもったいなすぎる~!

 

あと、ハンクがジャックの買い出しにつきあって市場にでかけるシーンも

通常版では全部カットされてました。

よくわからないアフリカの木彫りの人形を100ユーロで買って父親を思い出したり、

一方のジャックも、若い美人の料理の先生と親し気にしているところをハンクに見られてしまいます。

料理を教わるのを口実に浮気をしてる??

 

その後(これは本編にもありましたが)

デザートのカッサータを「誰のレシピ?」とファビエンヌに聞かれ、

「ママに教わった」と明らかに嘘をつくんですけど、

ファビエンヌは完全に「嘘よね」っていう目をしていました。

 

ハンクの父親は前科があり、友だちにも悪党が多くて、

でもそれがドラマのチンピラとかの役作りに役立ってる、とリュミールに話すところとか、

ハンクがテレビドラマで演じてたスタンは頭じゃなくて肩を撃たれたから続編はあるかも?とか、

ハンク自身もアルコール依存症の過去があり、

リハビリ期間は「パパは撮影」と娘たちには嘘をいってきて、

前にパリに来そびれたのも、(撮影だったといってたけど)実は依存症の更生施設に入っていたから・・

なんていうエピソードも追加された部分かも?

ほかにもシャーロットとのシーン(クレープのシーンとか?)も多分増えていたと思います。

 

それに、前回は字幕を読むのに追われていましたが、

2度目の今回はハンクやジャックやピエール、リュックの表情をたっぷり堪能できました。

 

一番印象的だったのは、ファビエンヌと一緒のときのリュックの晴れやかな表情。

カフェでファビエンヌに気がついたファンたちがざわめきだすと、

大スターの貫禄でちょっと微笑んで軽く投げキッスするんですが、

そのすぐ隣で、普段は無表情のリュックがすごく嬉しそうというか、

誇らしげな顔になるんですよね。

(前回、この表情を見落としました)

この瞬間を味わいたくって、どんなに骨の折れる仕事だとしても、

やっぱり彼女のところに戻ってきたんだな、と直感しました。

 

それから、前回はハンクは簡単なフランス語くらいは分かるのかと思っていたんですが、

よくよく聞いていたら、最初のゲラのくだりから、全く理解できてなかったんですね。

それでも何とかわかろうとして、話をする人の表情をじっとみているから

言い合いになると、右見て左見て・・・と、きょろきょろしてしまうハンクがかわいい~

大事なことは妻が通訳してくれるけど、聞かせたくない話とか、面倒なときはほったらかし。

一方娘のシャーロットは、母子でもフランス語で絵本を読み聞かせするくらいだから

「すこし話せる」どころか、完璧バイリンガル、ということなんですね。

 

 

通常版ですでに見たシーンでも、今回は字幕よりもハンクにロックオンして見ていたので、

出番は11分以上増えたように感じました。

 

それにしてもハンクは子どもの扱い、上手すぎです。

動物のものまねとか言われればなんてもやってくれるし、手品も大うけ。

アル中で、難しいことが苦手で、稼ぎが少なくて、イビキがうるさくても、許せちゃいます。

そういえば、ファビエンヌの元夫のピエールも多分こんな感じ。

ファビエンヌとリュミールは正反対の性格なのに、結局は同じタイプが好きなのね(笑)

 

 

ところで、119分という上映時間はけっして短くはないですが、一応2時間に収まってるし、

イーサン・ホークを満喫できるし、

「なんでこっちを公開してくれなかったの?」

と、ほとんどの人が思うはず!

 

(フラッシュバック手法を使わず)基本時系列に進む是枝作品では、

セリフで説明して観客の想像に委ねる・・・ということが多いから、

冒頭の空港のシーンも、市場のシーンも削除対象になるのももっともなんですが・・・

 

でも、一番の理由は、英語とフランス語を区別できない「日本語吹替版」の存在でしょうね。

ハンクの出番が増えるということは、それだけ英語のパートがふえるわけで、

「彼がフランス語ができない」という設定がますますわかりづらくなってしまいます。

 

通常版の日本語吹替版の方でも十分問題が起こってそうなんですけど、大丈夫なのか?

観てないし、観るつもりも全くありませんが、心配ではあります。

 

この特別編集版、公開直後でスクリーン数もわずかだからからか、

実際に見た人の感想がほとんどありません。

TOHOシネマズシャンテも思ったほど人が入ってなかったし・・・

申し分のない傑作なのに、GAGAが悪いのかフジテレビが悪いのか

売り方でしくじってるような気がするのは、気のせいでしょうか?

新宿の坂・階段・高低差

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戦前の新宿の街並みとか映画館のことはブログに書いたことがありますが、

実は私、高低差マニアでありまして、住宅地図と同じくらい地形図もだ~い好きです。

 

タモリ倶楽部やブラタモリのお陰で、最近はこのジャンルにも光が当たり

講座やイベントもよく企画されていますが、

まわりに同好の士もいないし、なかなか参加できず。

そんな中、新宿歴史博物館で、新宿区主催の連続講座の募集を見つけました。

 

 

メンバーズ倶楽部会員優先、新宿区民優先なので、無理かな?と思っていたら、

幸いなことに当選したようで、今日はその第一回にひとりで出かけてきました。

 

1回目 「スリバチ地形が奏でる新宿。東京の魅力」   講師 皆川典久

2回目 「坂は変わる。変わる坂」   講師 渡邊一夫

3回目 「新宿の階段 東京の階段」  講師 松本泰生

 

ということで、今回は「スリバチ」!  本もひととおり持っています。

 

 

タモリさんも会員になっている「坂道学会」のほうが有名なのかもしれないけれど、

それに対して「スリバチ学会」は、

「すべての坂はスリバチに通ず」

といって、対抗しているそうです(笑)

 

スリバチというのは、要するに、「谷」とか「窪地」のことですね。

ただ「山」とか「丘」なんかに比べるとちょっとマイナスイメージなので

ここは敢えて「スリバチ」なのでしょうか。

 

いつも思っていたのですが、東京23区には基本、まともな山は存在しません。

一番高い愛宕山でも25メートルだし、46メートルの箱根山は人が作った山だし・・・

都内のこの起伏にとんだ地形は、台地に刻まれた谷や窪地、つまり、スリバチのなせる技です。

 

 

学術的なことはさておき、

スリバチ状の谷間を観察して、人々のいとなみや文化とのかかわりを

サブカル的に追及していくのがスリバチ学会(もちろん非公認)で、

日ごろから高低差が気になってたまらない地形マニアは

(今日はじめてカムアウトした私のような潜在的なマニアもふくめると)けっこういるはずで、

そんな人たちに交じって、2時間の講座を聞いてきました。

(文章で書くと長くなるのでメモ書きで・・・)

 

東京の地名

 武蔵野台地(山の手)は「谷」「池」が多い    渋谷、市ヶ谷、千駄ヶ谷、四ツ谷

 下町低地は「田」が多い               神田、千代田、桜田、三田、田町

 

スリバチ地形は湧き水がつくったもので、湧き水スポットには、たいてい弁財天が祀られている

川の源流は寺や墓地が多い

 

江戸時代の大名屋敷はスリバチ地形を利用して庭園をつくっているが、

切り絵図からは屋敷の中の様子はわからない。

ところが最近、大名家の内部資料が地方で発掘され、詳細がわかるようになった。

 

 

水の残像(暗渠)

 谷中のへび道(藍染川) 代々木の河骨川の暗渠など

 川跡は過重制限があるので、車は通れない

 暗渠のサイン  ①マンホール ②住宅からの排水の管 ③銭湯、豆腐屋、クリーニング屋 ④猫(?)

 

なぜ、人はスリバチに気が付かないのか?

  幹線道路は尾根筋を走っているので、メインストリートから1本外れると、スリバチに出会える。

「わき道に逸れてみたら、そこはスリバチだった」 ← 今日の名言!

 

スリバチの上の台地には大きな施設や集合住宅、下には小さな住宅が密集するので

「建物は地形を強調する」

スリバチ地形から空を眺めた時の

「スリバチの空は広い」

なって、名言も紹介されました。

 

 

これはスライドに写された新宿区の地形を写メしたもの。

上の青いところを東西に流れている神田川、

それより北は豊島区で私のチャリ圏なので地形はほぼ把握しているけど

新宿は無理!と思ったんですが、

「いまここ」と書いてある●が歴史博物館だとすると、

地図情報がなくても、なんとなく見えてきますね。

 

点線で囲ってるのが「スリバチ地形」です。

 

 

一番大きいAが「グレート・スリバチ」その名もオオクボ(大窪)です。

大久保駅よりは東で、戸山ハイツのあるあたりですね。

西早稲田から早稲田まで歩いたことがありますが、

箱根山もあって、たしかに起伏にとんだエリアです。

 

Bはここからすぐの荒木町エリア

(通常は3方向なのに)

4方向が囲まれる、スリバチ学会イチオシの「1級スリバチ」です。

ここは江戸時代、松平摂津の守の上屋敷で、窪地から湧き水が流れ

靖国通りにそって流れていた紅葉川に注いでいました。

摂津の守は庭園築造のために北側に堤をつくって水をせきとめたため、

4方向が囲まれることになったのですね。(彼はダムマニアだった?)

 

荒木町はディープな飲み屋街としてメディアでよく紹介されますが、

大名屋敷が上納されたあとも、水辺の景観目当てにお茶屋や芝居小屋が集まり、

三業地として発展してきた歴史が今につながっているのでしょう。

 

私は全く土地勘ないので、帰りに歩いてみようと思ったら雨が降り始め、退散。

荒木町は皆川氏のイチオシの割には著作には載ってないので、

家にかえって、2010年12月のタモリ倶楽部の動画を探したら・・・ありました!

https://www.youtube.com/watch?v=VbEvbgC5w6U

同じシーンが何度か出てきますが、全部視聴できたので、貼っておきます。

 

そして、Cは四ツ谷の語源ともなった4つの谷です。

千日谷、鮫が橋谷、鐙が淵、若葉公園の谷。

実は私はここは歩いたことがあります。

というのも、この谷は須賀神社を囲んでおり、須賀神社は、

3年前に公開された、あの「君の名は。」の聖地だからであります!

 

 

聖地巡礼では、この須賀神社の階段がもてはやされてましたけど、

スリバチ学会的には、階段じゃなくて、この高低差なんですよね!

 

 

街のなかの坂とか階段とかは「二つの世界を結びつける架け橋」ですから、

映画のなかで効果的に使われることが多いし、

ロケ地としても魅力的な景観です。

 

あ、最後にやっと映画につながって良かった!

見えない目撃者

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映画 「見えない目撃者」 令和元年9月20日公開 ★★★☆☆

ノベライズ本 「見えない目撃者」 豊田美加 小学館文庫

 

 

浜中なつめ(吉岡里帆)は警察学校の卒業式の夜、過失で弟を事故死させ、自分の視力も失う。

警察官になることを諦めたなつめはある日、自動車事故の現場で少女が助けを求める声を聞く。

誘拐事件を疑ったなつめは警察に訴えるが十分に捜査してもらえず、自ら動き出す。  (シネマ・トゥデイ)

 

警察学校を優秀な成績で卒業し、希望に燃えていたナツメでしたが、

帰り道、素行の悪い弟を車で送る途中事故を起こし、

弟ダイキが焼死、自分も視力を失います。

その3年後。

警察を依願退職し、原稿起こしの仕事をしていましたが、ダイキを死なせたショックで精神科に通う日々。

「いっしょに乗り越えよう!」と弟の墓参りにさそう母を振り切って、盲導犬のパルと帰る途中、

道に迷ってしまいます。

 

そこへ車の急ブレーキ、接触音のあと、

車のガラスを中からたたき「助けて」という若い女性の声を聞きます。

車は(ナツメが視覚障碍者と知ってか)そのまま発進、

ナツメはすぐに110番通報をします。

 

「助けを求めていた女性は未成年で名前はレイサ」

「ろれつが回っていなかったから、薬物を打たれていたかも」

「運転席からアルコール臭がした」

「車と接触したスケートボードの男となにか会話を交わしていた」

「彼が運転者を目撃しているはず」

 

近くの長者町署からヨシノという刑事がやってきますが、冷静で的確なナツメの話に驚くものの

精神科にも通っている視覚障碍者の証言能力には疑問を感じており、

署に帰って調べても、レイザという女性は行方不明リストに載っていませんでした。

それでも、念のために翌日、その場にいたスケートボードの男を探すために

退職間際のベテラン刑事キムラをともなって出かけます。

 

5時半ごろ高架下でスケートボードに乗っていたハルマ(高杉真宙)から

確かに接触事故があったということは確認できましたが、

①メガネにマスク姿で運転者の顔は見えなかった

②アルコール臭はしなかった

③後部座席には誰も乗っていなかった

という証言を得て、この件はナツメの妄想か勘違いで事件性なし、という結論に達します。

 

あきらめきれないナツメは直接ハルマを訪れ、

「拉致監禁事案は72時間で生存率30%になってしまう」

「あなたの証言で女の子が救えるかも」と説得すると、

ハルマは、警察にはいわなかった

「実は運転者から金をもらっていたこと」を白状したので、

ナツメは指紋を採取するために、その紙幣を預かって警察に持参します。

 

ナツメは目が見えなくても、前に立っているヨシノの身長、年齢、お昼に食べた生姜焼き定食まで当て、

また彼女が元警察官だったこともわかり、ナツミの証言の信ぴょう性はわかるも、

警察内部の資料には被害者情報はまったくヒットしないので、

捜査をつづけるのは難しい状態でした。

 

ナツメはハルマとともに独自調査を始めます。

源氏名で調べるとレイサという18歳の女性がヒットし、(本名はレイ)

働いていた風俗店を最近やめて行方がわからなくなっていることがわかります。

風俗嬢たちの中では最近、彼女たちの悩みを聞いたり援助してくれる

救世主的な存在「救さま」という男の存在が浮かんできます。

 

そんな中、ハルマが車に執拗に襲われ、怪我をする事件が起きます。

車のナンバーから児童ポルノの前科のある新井文則という中年男が浮かび、

自宅を調べると、ドラッグの過剰摂取で死んでいる本人の遺体、

そして庭に積み上げられた土嚢のなかから、4人の少女の遺体が発見されましたが、

恐ろしいことに、少女は一人ずつ順番に殺され、

鼻、口、耳、手がそれぞれ切り取られていました、

ハルマが受け取った紙幣の指紋とも一致したため。

新井文則を被疑者死亡で送検して一件落着・・・となりましたが、ナツメは納得がいきません。

 

自分が目撃したレイらしき女性は遺体の中に見つからず、

また、鼻・口・耳・手が切り取られた意味を考えるうちに、これは「六根清浄」ではないかと・・・

そうすると、「目」と「意識」が残っており、犯人はどこかにレイを監禁しているのに違いない!

 

また、遺体で見つかった少女たちは殺される前に長者町署の警官に補導されているのに

一切記録がのこっていないこと、

家族から捜査依頼が出ていない少女を選んで誘拐監禁されていること、

紙幣の指紋のすり替え疑惑などから

犯人は長者町署の内部にいるのではないかと・・・・?

 

一方、刑事のキムラも、

15年前に成田で少女の目や鼻など6つの部位を切り取る猟奇的殺人があったことを思い出し

この事件との関連を調べるために、すでに退職した元刑事の家を訪れます。

「これは儀式だ」といっていた犯人は無期懲役で、今の刑務所の中にいて犯行は不可能だが、

犯人逮捕のきっかけとなった目撃者のビデオ映像が異様だったと。

昆虫採集のためにカメラを持っていた高校生が殺害の一部始終をビデオに収めており、

残酷な場面を躊躇することなくズームインして鮮明に撮影していたというのです。

そして調べると、その高校生はその後警察官となって、長者町署の生活安全課に勤務していました。

 

その警官の名前はクサカベ。

キムラは単身クサカベを追求しますが、あえなく殺されてしまい、

キムラの携帯からクサカベはナツメを呼び出します。

メガネの曇り止めスプレーのアルコール臭が犯人のものだと確信したナツメは

命からがら逃げ出し・・・・

 

そして、ナツメ・ハルマ・ヨシノの三人は、行方不明になったキムラや少女たちを追って

15年前の成田の事件現場となった洋館で、クサカベの車を発見し、

応援を待たずに屋敷のなかに潜入します・・・・・                 (以上あらすじ)

 

 

視覚障碍者のヒロインが殺人鬼に追われるというだけでドキドキなのに

想像以上に残酷描写がすごくて、心臓バクバクでした。

韓国映画「ブラインド」のリメイクと聞いて納得したものの、

体の部分を切り取る、というのは日本版オリジナルなので

韓国版よりもむしろグロさがパワーアップしちゃってます。

しかも「たまたま事件に巻き込まれた」感が強い韓国版に比べて

ナツメは、自分の方からグイグイ頭を突っ込んじゃってますよね。

 

視覚障碍者と不良高校生のバディもの、という現実感ない設定に加え、

ストーリー的にもツッコミどころはかなりあり、

サスペンスというより、「ノンストップスリラー」という感じですが、

全くダレることなく最後まで楽しめました。

キャストもみんな適役で、ハマってましたよ。

 

  ↑(浜中ナツメ @見えない目撃者)       ↑(彩雲真空 @時効警察はじめました)

 

ナツメ役の吉岡里帆は、「時効警察はじめました」でも、新人刑事の彩雲真空役。

熱血だけど、かなりぼんくらな刑事です。

ナツメが警察学校の卒業生代表をつとめるシーンでは、笑顔封印で、あんまりキリリとしているので、

「アヤクモ!どうしちゃったの?」と思ってしまったくらいです(笑)

こんなに振れ幅の違う刑事ができるのはすごいですね。

というか、今度、時効警察見る時に戸惑ってしまうかも?

 

ところで、ナツメは見えなくなって日の浅い後天的な視覚障碍者なので、

逃げるのも戦うのも圧倒的に不利です。

警察学校で学んだ知識、生まれつき優れた聴覚・・・

そんなものでサイコパスに立ち向かうことができるのか?

音声ガイドのついたスマホ、母がわたしてくれた防犯スプレー、ヨシノ刑事が残した拳銃・・・

携帯してるのはこれくらいですが、もちろん最大限に活用します。

 

そもそも視覚障碍者が活躍するには、

「暗くなるまで待って的展開」というか、真っ暗な中なら健常者よりも有利だぞ!

ということになるのがほとんどで、

本作でもクライマックスシーンで灯りを消していったん真っ暗になるんですが、

なんと!クサカベは、スマホのライトを点灯させてナツメを探し出しちゃうんですよね。

汚いぞ、クサカベ!

想像以上に現実的で、ちょっと笑っちゃいました。

 

それにしても、今のスマホって、一昔前のスパイガジェットのほとんどを1台で網羅できますよね。

小型カメラ、発信機、コンパス、時計、録音機、ライト・・・

これに拳銃と変身グッズとかあれば、誰でも(ちょっと、昔の)スパイになれちゃうかも、です。

 

 

地下鉄の駅に(電車は走っているのに)駅員も乗客もひとりもいない、というのもあんまりだし、

最後の洋館突入のシーンも、電話で応援要請したにもかかわらず、誰も来やしない!

「いよいよピンチになったときに応援が来るのかな?」と思っていたら、

なんと最後まで放置でした。

誰の応援もなく、目の見えないナツメがなにもかも片付けるのって、

ちょっと無理あると思うんですけど、まあ、フィクションですからね。

 

警察官を演じた田口トモロヲ、大倉孝二、浅香航大、酒向芳、國村隼や

渡辺大知、柳俊太郎、松田美由紀・・・脇役たちもベストのキャスティングでした。

 

R15の指定を受けてしまうと、観客の入り口が狭くなって興行的には厳しくなると思われますが、

R指定を恐れて、なんでもかんでもソフト路線にしてしまうのは、個人的には反対です。

アメコミ原作の「ジョーカー」をあえてR15にして大ヒットした例もあるから、

これからはなんともいえないですね。

 

公開後ひと月半たっているので、そろそろ終わりそうですが、
DVDになってからでも、ぜひご覧ください。

ボーダー 二つの世界

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映画 「ボーダー 二つの世界」 令和元年10月11日公開 ★★★★☆

原作本 「ボーダー 二つの世界」 ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト  早川文庫

(スウェーデン語 字幕翻訳 加藤リツ子  字幕監修 小林紗季) 

 

 

 

違法なものを持つ人をかぎ分けることができる税関職員のティーナ(エヴァ・メランデル)は、

ある日、勤務中に風変わりな旅行者のヴォーレと出会う。

彼を見て本能的に何かを感じたティーナは、後日自宅に招いて離れを宿泊先として貸し出す。

ティーナはヴォーレのことを徐々に好きになるが、

彼はティーナの出生の秘密に関わっていた。                            (シネマ・トゥデイ)

 

カペルシャール港の入国管理局で働くティーナ。

彼女の仕事のやり方は変わっていて、通路に立って客をじっと観察しているだけ。

怪しい臭いを感じる人物を呼び止めてその荷物を調べると、

必ず違法なものが百発百中で見つかるのです。

 

ビジネスマン風の男を呼び止め別室で手荷物や身体検査をしてもなにも出てこず、

ところが携帯電話の隙間から児童ポルノのメモリーカードがでてきて、彼は逮捕されます。

こんな極小のものでも、彼女には、臭いの中に羞恥や罪悪感や怒りを感じることができるため、

見つけることができるのです。

 

ある日、ティーナは、ヴォーレという男を呼び止め荷物検査をしますが、

虫の孵化器のような機械があるだけで、違法性はなし。

このはじめてのミスにショックを感じながらも、自分と同じような外見を持つ彼のことが

気にかかるティーナでした。

 

彼女は森の奥の家に、闘犬のブリーダーをするローランドという男を暮らしています。

老人ホームにいるティーナの父は、「いいように利用されているだけだ」と

ふたりの関係を良く思っていませんが、ティーナは「うまくやっている」と。

醜い自分と同居してくれるだけでありがたいことだと思っており、

他の女性との浮気も黙認しています。

 

仕事場では、またヴォーレがやってきて、今度は自分からバッグを差し出します。

違法なものは発見できなかったものの、身体検査をした同僚から

「あいつは生物学的には女だ」といわれ、驚きます。

 

 

 

両親は普通の容貌なのに、自分の醜さはどこから来たのか、

ティーナはいつも疑問に思っていました。

自分と同じところに手術跡があり、同じような雰囲気のヴォーレに近づきたくて、

彼の滞在しているホステルを訪れ、自宅のコテージを使ってもらうことにします。

当然ローランドは気味悪がりますが・・・・

 

「私には染色体異常があり、ずっと異質な存在だった」というティーナに

「人と違うのは、すぐれてるってことだ」とヴォーレ。

森の中でふたりでいると、今まで感じたことのないやすらぎが得られるのでした。

 

優れた嗅覚を持ったティーナは、税関だけでなく、地元警察からも協力を依頼されていました。

彼女が摘発した児童ポルノのSDカードをもった男はなかなか口を割らず、

自宅の捜査にティーナも駆り出されます。

容疑者の自宅から証拠となるビデオを見つけ、事件は立証されますが、

子どもたちをどこから盗んできたのかはわからず。

 

雷のあと、森の中で抱擁するヴォーレとティーナ。

ローランドともセックスレスだったティーナは結ばれることはないと思っていましたが、

なんと彼女の股間から性器が突然伸びてきたのです!

野獣のように吠えながら求め合うふたり。

 

「君はトロル。ぼくの仲間だ」

「腰の傷跡はしっぽを切断した跡だ」

「フィンランドに行けば、まだ仲間が集団生活をしている」

自分の個性を封じて、人間の生活に順応して、家も仕事も持っているティーナでしたが、

初めて聞くトロルの話に驚くばかりでした。

 

ヴォーレの両親は人間たちに拷問され、ヴォーレも孤児院をたらいまわしにされて

辛い子ども時代をすごしていました。

ティーナは親の愛を受けて育ちましたが、

両親は自分の出自について、嘘をついていたのだと確信します。

 

「人間は、地球上のすべてを自分のために使う、恐ろしい寄生生物だ」

「人間はトロルに復讐される運命なのだ」

 

ヴォーレのコテージから子どもの声がするのに気づいたティーナは、

冷蔵庫の箱のなかに、目もあかない赤ん坊が入れられているのに驚きます。

 

また、児童ポルノで逮捕された男の護送車がヘラジカに気づいて停車したとたん、

後ろの席の容疑者の男がいきなり外に出されて殴り殺される事件が起きます。

これはヴォーレの仕業だと確信したティーナは、彼を問い詰めます。

                                (とりあえず、あらすじ ここまで)

 

 

『ぼくのエリ 200歳の少女』と同じ原作者による北欧映画と聞いて、楽しみにしていて

原作もいち早く読んでいたのですが、

公開されたふたりのビジュアルがけっこうな衝撃で、ちょっと怖気づいておりました。

 

両方とも、同じようなパターンのストーリーですが、エリは可憐な少女のバンパイア、

こっちはネアンデルタール人みたいなトロルですからね。

でも、これは日本人には文章だけでは絶対に伝わらない世界、

映画でみなくちゃいけない作品だと思いました。

 

 

原作はそこそこ厚い文庫本ですが、ここには11篇収められていて

表題の本作は、100ページちょっとの短編です。

なので、児童ポルノのサイドストーリーはまったくの映画オリジナルとなります。

 

続きのあらすじはがっちりネタバレですので、

お気をつけください。

 

 

冷蔵庫のあかんぼうは、人間の子どもではなく

「ヒーシット」と呼ばれる未授精卵で、粘土のようにどんな形にもなれる生き物で、

なんの感覚も持たず食べて寝るだけ。そして、すぐに死んでしまう運命だと。

これは女性器をもつヴォーレが定期的に身ごもり、出産して冷蔵庫に保管しているのです。

そして、(人間に対する恨みを晴らすために)人間の子どもを誘拐して、

かわりにこの子を置いていく「チェンジリング(取り換え子)」をして、

盗んだ子どもは売り渡していたのです。

 

その後、お隣の若夫婦、ステファンとエステルの家に生まれたばかりの赤ちゃんが

ちょっと目を離したすきに、突然おかしくなったと、救急車が呼ばれていました。

赤ちゃんのかわりに残されていたのは、ヒーシットの子どもでした。

 

ヴォーレのコテージに行くと、もう家は空っぽで

「君は人間ではない。フェリーで会おう」とメモが残されていました。

 

フェリーで再会するふたり。

「僕らには使命がある。僕らの種を存続させるんだ」

ティーナは

「私は誰も傷つけたくない。そう思うのは私が人間だからね」

と、待機していた警官たちに合図すると、あっさりヴォーレは拘束されますが、

すきをみて、彼は手錠をかけられたまま海に飛び込んでしまいます。

 

ティーナは父親から自分の本当の出自を聞き出します。

父が守衛をしていたサンクトヨルゲンの精神病院には

当時、彼らの仲間がたくさん収容されており、みんな長くはいきられないから

子どものいなかった両親は、世話をするのが必要だったティーナを養子に迎えたのでした。

「私の本当の名前は?」と聞くと、「彼らはリーヴァと呼んでいた」

 

ティーナが家に帰ると、大きな箱の荷物が届いており、

中にしっぽのついたトロルの赤ん坊と「フィンランドへようこそ」と書かれたカードは入っています。

子どもを抱いて外に出て、虫を与えると喜んで食べる子ども。笑顔のティーナ・・・・・

                                           (以上 あらすじ 終わり)

 

最後に届けられた赤ん坊は、ヒーシットではなく、

ティーナとヴォーレの間にうまれたトロルの子どもと思われ、

ティーナは人間社会に適応して築き上げてきた生活を捨てて、

フィンランドでトロルの種を守るために生きる覚悟をしたように思われます。

 

実は、結末も原作とは結構違っていましたね。

原作では(警察の存在がまったく描かれておらず)

チェンジリングでさらった子どもの行方はあいまいでしたが、

映画だと、ヴォーレは犯罪組織にしっかり組み込まれて、

そのために殺人まで犯したわけですから、無罪放免とはいきません。

ヴォーレは自ら死を選んだわけですが、

原作では、ふたりはつれだってフィンランドに向かい

「おまえの子どもを身ごもっている、ふたりで子育てしよう」

という、ハッピーエンドとなっています。

 

100ページの短編なので、オリジナル部分を盛るのはいいとしても、

ひとつだけ、納得いかない部分があります。

 

それは、ティーナの両親から養子にむかえるときの話で、

「看守をしてた精神病院のトロルから生まれた子ども」となっていましたが、

原作では、

「森の奥にトロルの夫婦が住んでいて、

子ども(ティーナ)を裸のまま放置し、ろくなものを食べさせていないので

ネグレクトと判断され、両親は精神病院へ。

そして保護の必要な子どもは、子どものいなかった今の両親のところへ引き取られた」

となっていました。

 

人間の基準だと育児放棄といわれてもしかたないけれど、

本当の親に乳を与えられ、虫をたべて、リーヴァという美しい名前で呼ばれて、愛情をかけられ、

裸でいることも、トロルの生態的にはまったく問題ないことだったのに、

無理やり引きはがされて手術をされ、人間の型にはめられて生きていた・・・・

誰もが何の疑問も持たずに、良かれと思ってやってきた・・・・・

 

映画では、事件の顛末がメインで、このあたりのジレンマがなおざりになってたのが

ちょっと気になりました。

 

前作の「ぼくのエリ」では、

彼女が実は少女ではなく少年だった・・・という場面に、日本公開版ではモザイクをかけたために、

大事なところが意味不明でかなりの批判を受ける結果になりました。

本作ではその経験をふまえて(?) ティーナの性器に変化が起きるところも無修正で

R18で公開したのは正解だったと思います。

ただ、R18にするようなエロい場面でもないんですけどね。

戦ってるときとかに映るのはOKでも、少しでもセックスを連想させる場面はNGなのはなぜ?

本作の場合、セックスというよりは「交尾」って感じで、R15じゃダメでしょうかね?

 

本作もネタ切れのハリウッドでリメイクされそうな予感もしますが、

英語になるのはいいとしても、舞台は絶対に北欧でないと成立しない

ピンとはりつめた空気、湿った森、野生動物たちの息づかい・・・まさに「北欧映画」でした。

新宿の坂・階段・高低差②

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天皇皇后陛下の祝賀パレードをやっているちょうどその時間帯に

四ツ谷の歴史博物館で2度目の歴史講座を聞いていました。

 

今日のテーマは「坂」 

(単なる備忘録なので、どうぞスルーしてください)

 

講師は坂学会の渡邊一夫氏。

「日本坂道学会」のほうが知名度は高いですが

あちらは会長 山野勝氏(講談社顧問)と副会長タモリさんの2人だけの組織だから

会員数で比べたら50人くらいいる坂学会のほうが規模では勝っています。

いずれにせよ、「すりばち学会」と同じく、まったく任意の団体です。

 

東京に坂が多いわけ

坂自体が特別多いわけではなく、

「江戸時代に名前をつけられた坂が多い」ということです。

江戸の町は武家屋敷と寺社が占める割合が多いのですが、

そこには「住所」がありません。(町名はあったが、それは町人の住んでいるところだけ)

ところが、経済活動が盛んになってくると、位置を特定する必要ができてきて

そのために坂に名前をつけて、地名のかわりにしたのです。

 

坂道一覧表

坂学会では全国の名前のついた坂を収集しており、

東京23区の一覧表は→ こちら

 

① 港区   130

② 文京区 127

③ 新宿区 114

 

数でいうと、この3区が突出しており、確かに江戸時代、武家屋敷がたくさんあったエリアですね。

それぞれの自治体で坂の標識を設置している「公認」の坂に限定すると数はすこし減るのですが、

それでも、とくに港区と文京区は自治体としても「坂の町」をアピールしてトップをあらそっているようで

たしかに、道を歩いていると、こういう表示をよく見かけます。

 

 

 

新宿にある114の坂の一覧表はプリントして配布してくれましたが、

標識を探して歩き回るだけでもけっこう楽しそうです。

 

坂学会では、昨日の坂まつりのイベントで

「新宿区を通るマラソンコースと周辺の坂めぐり」というのをやったそうですが

募集をかけたあとにマラソンコースが札幌に変更になって、

あまりに気の毒なことになってしまいました。

 

 

坂道好きな人は、お気に入りの坂について語り合うのが一番の楽しみなんでしょうが、

(そういう話もありましたが)もうちょっと基礎的なことで「なるほど」と思ったことだけメモしておきます。

 

坂はすべて人工のもの

何万年規模で生じる高低差は「自然」にできたものですが、

四つ足の動物とちがって、人間は急な高低差を移動できないので

そのために作られた道の一部が「坂」ということです。

山の向こうにいくために道をつくってできたのが峠。

最初はつづらおりの道を作っていたのが、直線に切り開いて人工の崖をつくるようになって

これが切通しの坂道となりました(例 荒木町の新坂)

車の時代になると、大掛かりな土木工事で勾配は12度程度までにおさえられ、

どうしても土地が削れない事情のあるところは、階段にして、車を通せなくしました。

なので階段状になっている公道は「坂にふくまれる」のです。

 

大規模開発が坂を変える

坂の角度は車社会になって緩やかになっても、坂道自体は残りますが

最近の大規模開発は坂をなくしたり、新しい坂ができることも。

(例  六本木ヒルズのけやき坂の誕生)

 

今、森ビルがやってる飯倉エリアの大規模再開発の話もでたので、自分で調べてみました。

(ロシア大使館に行くときに何度か通ったことがあります)

 

 

ここが完成すると

①行合坂、②落合坂、③我善坊谷坂という、

江戸時代からの由緒正しい坂道が消えてしまうことになります。

前から気になっていたのですが、ビルを建てるのはともかく

こんな地形まで変えてしまうような再開発ってなんだかな~と思ってしまいますね。

 

今日はプロジェクターを使わないかわりに詳細なレジュメが配布され

前回の図版も72枚分配ってくれたので、非常にありがたかったです。

 

ところで、

「すりばち」よりは「坂」のほうが映画に関連付けられると思ったのですが、

タイトルに坂のつく映画は意外と少なく

「柘榴坂の仇討」「坂道のアポロン」「コクリコ坂より」くらいかな?

柘榴坂は港区高輪にある坂、コクリコ坂は実在しませんが、たぶん横浜のあたりでしょうね。

 

最近の映画だと、「天気の子」にのぞき坂がでてきていました。

ここは豊島区なので私のチャリ圏です。

 

ちなみに同じ新海監督の「君の名は。」の須賀神社の階段・・・と前回書きましたが

坂学会によると、あれは階段ではなく、階段状の「男坂」だそうです。

来週のテーマは「階段」なので、来週の先生はきっと「階段だ」というんでしょうね(笑)

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