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命みじかし、恋せよ乙女

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映画 「命みじかし、恋せよ乙女」 令和元年8月16日公開 ★★★☆☆

(ドイツ語 英語 日本語 字幕翻訳 吉川美奈子)

 

 

酒に溺れて仕事も妻子も失ったカール(ゴロ・オイラー)は、ドイツのミュンヘンで一人暮らしをしていた。

孤独に苛まれ“モノノケ”を目にするようになった彼を、日本人のユウ(入月絢)が訪ねてくる。

彼女は10年前に東京に来ていたカールの父ルディ(エルマー・ウェッパー)と親しくしており、

他界したルディの墓とかつてルディが住んでいた家を見に来たと話す。 (シネマ・トゥデイ)

 

アルコール依存のカールは、別れた妻のところにいる最愛の娘ミアの誕生日に

パンダのお面をかぶって訪れると、ミアは喜びますが、

「児童福祉局との約束を守って!」と、妻に追い出されてしまいます。

どうやら、カールはアルコール依存症で、生活態度を改めないと、娘にも接見できないみたいです。

 

傷心のカールが部屋に戻ってまた飲み始めると、

昔住んでいた日本の光景とか、日本の妖怪の絵とかがフラッシュバックします。

 

カートをひきずる若い女。

「こんにちは」と、カールの部屋を訪れたのはユウという日本人女性。

セーラー服の上にジャージの上着を重ね着して、その上にコート、ニット帽という、

ちょっと違和感ある?原宿風重ね着ファッションです。

 

ユウはカールの父ルディが生前日本で交流のあった女性で、

日本の火葬場で、カールたちといっしょに「骨上げ」もしていました。

カールの両親のお墓参りに来たというのですが、

カールは、父がユウに残した遺産を受け取りにきたと思っているようです。

 

いっしょに墓参りをしたあと、ふたりはカールが幼いころ過ごした実家に向かいますが

ここは長い間家具はそのままに、空き家になっていたようです。

ここには死んだはずの両親の亡霊が今も住んでいて、カールと普通に会話しますが、

母トゥルーディは生前と同様カールに優しく、父のルディは、厳しい言葉を投げかけます。

 

二人は日本人観光客に交じってノイシュバンシュタイン城を訪れ、

そこで出会った日本の老人から

「君は取りつかれてるみたいだ。これは厄除け」というようなことを言われ、

手の甲に「守」とマジックで書かれます。

売店で働いていたカールの兄クラウスの妻に声をかけられ、久しぶりに兄の家へ。

 

彼らの会話から、クラウス、カロリーネ、カールの三兄弟には、確執があることがわかります。

弱かったカールは子どものころ、兄や姉からいつもいじめられていて、

それが今でもトラウマになっています。

兄のクラウスは、長男のロベルトが(極右政党の父に反抗して)引きこもっているのを心配しており、

姉のカロリーネはレズビアンで、黒人の養女ふたりをひきとってくらしています。

 

ある日、カールはクラウスが行方不明になったのが心配で雪の森をさまよううちに倒れてしまいます。

病院に運ばれ、「医学的見地では死亡」といわれ、呼吸器を外すところまでいきますが、

奇跡的に回復。

退院して実家に戻り、兄弟に介護してもらいます。

凍傷で(?)男性器を失ってしまったことを知ってショックを受けますが

「あるべき自分や理想の自分から解き放たれた・・・」と。

 

ようやく回復したカールは、突然消えたユウを探しに日本へやってきます。

女のもののピンクの着物の上にジャケットをきて、バックパックを背負った不思議ないでたち。

(さすがに日本でも、『中性的』というよりは、ちょっと『おかしな人』って感じですが・・・)

 

白い着物のユウに誘われるように訪れた古い日本旅館「茅ヶ崎館」

ユウが欲しがっていたノイシュバンシュタイン城のスノードームや、

ユウが話を使うときにつかっていたピンクの公衆電話など、ユウの関連グッズがそこかしこに・・・

 

ようやく、樹木希林がこの旅館の女将として登場!

杖をついて部屋に案内し、カールに女物の浴衣を着せてくれます。

女将はユウのことを知っており、「ユウは私の孫娘」だといいます。

ユウの母親(女将の娘)は海に入って自殺し、

それに耐えられずにユウも、お母さんの死んだ場所で、おなじ浜降祭の日に海に入った・・・・と。

 

おりしも翌日は「天皇陛下即位30年を祝う浜降祭」が開かれ、

海辺に寝ていると、あのピンクの公衆電話の受話器があらわれ、

それをたぐると、沖にユウの姿が見えます。

「これでやっといっしょになれる」と

ユウは力づくでカールの頭を海に押さえ込むのですが

「死ぬまでもう少し生きるよ」

「もう少し生きたい」

というカールに

「人生を楽しんで、さよなら」

とユウは小さくなってきえていきます。                        (以上あらすじ おわり)

 

 

公開館はごく少ないですが、見に来た人のほとんどは

「樹木希林の最後の作品を見たい」という思いで来てるはずです。(わたしも、そう)

プロモーションの時点で 「ヒロインの祖母役」ということが言われていたんですが

これはストーリー的には究極のネタバレなんですね。

 

「ユウは私の孫娘」「もう死んでしまったの」というところで

「ええ~っ!」となるはずが、最初からわかってみてるのはどうなんだろ?

 

それでも樹木さんが登場すると、急にクオリティが格段に上がっちゃいますね。

幻想的な庭を見ながら「ロンリー?」ときかれ、やさしくポンポンされたり

「あなた生きてるんだから しあわせにならなきゃダメね」

なんていわれたら、ぐっときちゃいますよね。

 

ちなみに樹木さんの出演シーンのほとんどは予告映像に収められているので

私のように「樹木さん見たさ」に映画館に行っても、ちょっともったいない気もしました。

でも逆に、「格の違い」は実感できますけどね。

 

さて、ストーリーに戻って、

本作は、なんというか・・・「怪談話」なので、

「え?どういうこと?」みたいなことが多いのは仕方ないんですが、

「ユウが最初カート引いてあるいてるところから、すべて幽霊」

というのは、ちょっとやりすぎのような・・・

カールの心の中だけにいるわりには、

ロベルトとも普通に話をしてたような気もするし・・・

「守」と書いてくれた日本人のおじいさんは、ちゃんと幽霊だと見破ってたということなのかな?

 

ひとつ言えるのは、(ドイツでは、悪霊はやっつけるものだと思われているけれど)

日本人は、幽霊に出会っても、

お茶をいれてもてなし、話をきいてあげて、ゆっくり帰っていただく

・・・というのを監督はこの作品のなかで伝えたかったような気がします。

「なに飲む?」

「眠れないの?」

「いっしょにおいで」

ユウが部屋にやってきた黒い謎の物体にやさしく話しかけていたのを思い出して

旅館で同じ目にあったとき、カールもおなじように

お茶でもてなしていました。

まあ、実際のところ、こんなことができる日本人はごく少数でしょうけどね。

 

カールがなんどもユウに関係を迫られては断るシーンがあったり、

日本にきたときも女物の着物をきていたから、

「ひょっとしてゲイ?」とか思ってしまうんですが、これは違いますよね、たぶん。

 

カールが母の着物や能面にこだわるのは

本作がこの監督の前作「HANAMI」の続編だからのようです。

日本では映画祭でしかやらなかったので、私もみていませんが、

WIKIにあらすじがあったので、参考にしてください→   こちら

 

カールは日本で銀行員だったんですね。

ドイツ系の在日外銀はドイチェバンクしかないから、かなりのエリートですよ!

父ルディも、(強面な姿からは想像できないですが)

顔を白塗りにして、妻の着物を着て、富士山をバックに川口湖畔で踊ってたみたいです。

それにくらべたら、カールの着物姿なんてかわいいもんです。

 ここで白塗りなのは、前作でのユウの姿です。

              ↓

 

親日家の外国人監督は多くて、

私たちが意識していない日本人の美意識とかを取り上げてくれると嬉しいですが

本作はもうほとんどそれで押してるので、

なかには日本人がみると奇妙に思えることもあるけど、まあ、よしとしましょう。

 

外国人みんな大好き「渋谷のスクランブル交差点」も一瞬映りますが、

それ以外はJRの緑のガードとか、思い出横丁とか、甲南チケットとか

昭和の東京っぽい場所が多くて、ちょっと一味ちがうぞ!って感じ。

樹木さんの登場シーンも、有形文化財で小津映画にもつかわれた「茅ヶ崎館」を使うなんて

ツウな感じですね。

 

そしてなんといっても、タイトルにもなった「ゴンドラの唄」

芸術座の「その前夜」の劇中歌で松井須磨子が歌ったもので、大正4年(1915年)の歌ですから、

もう100年以上たつのですよ!

 

私は老人ホームで年中歌っているので、4番まで歌えますけど、なんともきれいな日本語!

 

     いのち短し 恋せよ乙女
     あかき唇 あせぬ間に
     熱き血潮の 冷えぬ間に
     明日の月日は ないものを

 

この詩の元ネタは、アンデルセンの「即興詩人」に出てくる

ベネチア民謡の部分の森鴎外訳ともいわれます。

    

     朱(あけ)の唇に触れよ 誰か汝(そなた)の明日猶在るを知らん
     恋せよ、汝の心(むね)の猶少(わか)く 汝の血の猶熱き間に
     白髪は死の花にして その咲くや心の火は消え 血は氷とならんとす

 

 

クロサワ映画の「生きる」のなかで、志村喬がブランコに乗ってこれを歌ったのがあまりに有名で

「大人が誰もいない夜の公園のブランコでゴンドラの唄」というのは、定番になっちゃいましたが、

外国映画にも登場するとは!

 

「定番」ではありますが、それでも樹木さんのうたう「ゴンドラの唄」は胸に沁みました。

「あなた生きてるんだから しあわせにならなきゃダメね」

という言葉にも通じるような気がしました。

 

エンドロールには

「樹木希林さんを偲んで」のテロップが。

 

樹木希林さんの遺作にして「世界デビュー」というコピーには

ちょっと文句いいたい気もしますが、遺作に相応しいテーマの作品だった気はします。


天国でまた会おう

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映画 「天国でまた会おう」 平成31年3月1日公開  ★★★★☆

原作本 「天国でまた会おう」 ピエール・ルメートル 早川文庫

(フランス語 字幕翻訳 加藤リツ子)

 

 

1918年、御曹司のエドゥアール(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)は、

戦場で生き埋めにされたアルベール(アルベール・デュポンテル)を助け出した際、顔に大けがをしてしまう。

戦後パリに戻った二人は、戦没者をたたえる一方で戻ってきた兵士には冷淡な世間を目の当たりにする。

戦争で何もかも失った二人は人生を取り戻すため、国を相手に前代未聞の詐欺を企てる。(シネマ・トゥデイ)

 

複数の人たちから

「絶対に映画館で観た方がいい」と強くお勧めされたものの、ぼんやりしてるうちに上映終了。

9月にギンレイホール(名画座)で観るつもりにしていたんですが、

それより早くDVDのレンタルが解禁されたので、ついつい先に観てしまいました。

 

原作を読む限り、本当に想像するだけで、痛かったり辛かったり苦しかったりの連続で

実写化なんてもってのほか!と思ってしまいますが、

そこを、すばらしくセンスのいいアート性の高いビジュアルで、ひたすら美しくつくってあります。

 

1920年11月。

モロッコの憲兵隊事務所で、アルベール・マイヤールという元兵士が取り調べを受けています。

彼は、ともに詐欺を働いたエドゥアールと知り合ったいきさつについて、少しずつ語り始める・・・

という形式。

マイヤールの話は、1918年第一次世界大戦終盤の西部戦線の前線基地からはじまります。

当時すでに休戦のうわさが出ていて、

兵士たちは「最後の戦死者にはなりたくない」と戦意喪失していましたが

唯一、上官のプラデル中尉だけは戦う気満々。

戦闘中止命令を無視して、若いテリウーと年寄りのグリゾビニエを最前線の偵察におくりますが、

2人ともすぐにウサギのように射殺されてしまいます。

 

それをきっかけにまた戦闘が始まってしまいますが、

アルベールは、2人がドイツ軍から射殺されたのではなく、

プラデルが後ろから味方の部下を狙って撃ったことを知ってしまいます。

アルベールは塹壕のなかに生き埋めになりかけますが、それを救ったのがエドゥアール。

しかし直後に彼は顔の下半分を吹き飛ばされる大けがを負ってしまいます。

 

野戦病院に収容され、戦争も終結しますが、

戻ってきた故国では

「戦没者は英雄として称えられるが

傷痍軍人には冷たい視線を浴びせる」

という悲しい現実が待っていたのです。

 

アルベールは会計係の仕事も恋人も失っていましたし、

資産家の父と確執のあったエドゥアールは生き延びたことに絶望します。

「生きて帰りたくない、殺してくれ」

しかたなくアルベールは、エドゥアールは死んだことにして、遺品を家族に届けます。

エドゥアールは、身寄りのない同じくらいの戦死者になりすまして、

父に反対してできなかったこと・・・・大好きな絵を描く生活をしていきます。

欠けた顔を補うマスクためのマスクも実にアートです。

 

 (ネットではそんなに出てこないですが、本当に日替わりくらいで違うマスクをつけています)

 

エドゥアールの姉マドレーヌは弟を心から愛していて、

たびたびアルベールに接触したり家に招いたりするんですが、

本当のことをいうのはエドゥアールから強く禁じられています。

アルベールは辛いよねぇ・・・・

 

孤児の女の子ふくめ、3人の生活は楽しいですが、

サンドイッチマンくらいしか仕事のないアルベールの収入で生活することは難しく、

エドゥアールは国を相手に大胆な詐欺を計画します。

 

戦没者をたたえる記念碑のデザインに応募し、採用されて支給される製作費を受け取ると

実際には作らずにお金だけとって外国に高跳びするというものです。

 

また、戦時中苦しめられたプラデルは富豪のエドゥアールの父に取り入って

姉と結婚し、戦死者を埋葬する会社を任されていました。

ところがその仕事がまったくの悪徳の極みで、暴利をむさぼり、賄賂を使って罪ももみ消していました。

そこで、

「プラデルへの復讐」も彼らの計画に加えられます。

 

さて、彼らの計画はうまくいくのか・・・・・??             という話です。

 

 

才能はあるけれど、突拍子もないことを考えるエドゥアールに対して、

命の恩人とはいえ、すべて言うとおりに協力するまじめで小心者のアルベールは

ほんとにいいやつで共感してしまうんですが、一応やってるのは犯罪なので

どういう決着になるのか、ちょっとドキドキしながら見ていました。

 

ネタバレになりますが、エドゥアールの父は、記念碑の製作費をだすスポンサーでもあったんですね。

父は、息子の遺品の絵にあったマークと同じものを応募作品のなかに見つけ、

息子が生きていることを確信していたんですよ。

はじめて父は息子の絵を褒めたたえます。

父子の確執は解け、ハッピーエンドと思った瞬間、

鳥のマスクをつけたエドゥアールは、窓から外に飛び降ります。

 

「Au revoir là-haut」という原題の意味も「天国でまた会おう」だそうです。

一度死んだことになってたエドゥアールが、また現世で父と再会でき、この次は

天国で(待ってるから)また会おう!ということでしょうか。

 

また、モロッコで罪の告白をしたアルベールでしたが、

話を聞き終わった軍人はこっそり彼を逃がしてやるのです。

彼はプラデルに殺された若い兵士テリウーの父だった・・・というオチがつきます。

 

原作本には「炎の色」という続編があり、(エドゥアールは死んでしまったけれど)

エドゥアールの姉のマドレーヌや悪党プレデルの部下で善人のデュプレなんかが登場します。

これも映画化されないかな?と思っています。

ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー

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映画 「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」 平成31年1月18日公開 ★★★★☆

(英語 字幕翻訳  山門珠美)

 

 

1939年、コロンビア大学に編入した作家志望のサリンジャー(ニコラス・ホルト)は、

自分の作風を確立するために試行錯誤していた。

恩師の指導の下で執筆した短編を出版社に売り込むがことごとく断られ、

ようやくニューヨーカー誌に掲載が決まった矢先、太平洋戦争開戦により掲載は見送られてしまう。

そして招集され戦地へ赴いた彼は、交際中の恋人が結婚することを知る。  (シネマ・トゥデイ)

 

似たようなタイトルのサリンジャー映画がたてつづけに公開されたな、と思っていたら

今年の1月1日は「サリンジャー生誕100年」だったんですね。

(個人的には、「やなせたかし生誕100年」のほうが興味あるんですが・・・)

 

 

「ライ麦・・・」以外の彼の作品はあまり有名でないし、

91歳まで生きた、ってことはほんの10年前にはまだ生きてたのに、

全然表舞台にでてこない、謎にみちた作家。

「ライ麦畑の反逆児」は、そんな彼の半生を描いた作品です。

 

サリンジャーはベーコンやチーズの商売で財をなしたユダヤ人の裕福な実業家の家に生まれますが、

学校になじめず、中退をくりかえしていました。

父は家業を継ぐことを強く求めていましたが、小説家になりたい息子に理解ある母が父を説得してくれて

コロンビア大学の聴講生になります。

 

そこでもけっして真面目な学生とは言えなかったんですが、

自らも「ストーリー」という文芸雑誌の編集者でもあるバーネット教授との運命の出会いがありました。

教授はサリンジャーに作家になる覚悟を聞きます。

「生涯をかけて物語を語る覚悟が君にあるか?」

サリンジャーは短編を書きあげて持っていきますが、ことごとく却下。

実は教授はサリンジャーの能力を高くかっていたのですが、

不採用に屈しないことが作家には必要な能力と、すぐにはOKを出しません。

それでもサリンジャーは、師匠であり父親のような教授との絆を深めていき

「若者たち」という短編がようやく「ストーリー」に掲載され、

はじめての原稿料として25ドルの小切手を受け取ります。

この作品はそれなりの評価を受けますが、その後も不採用が続き、

ようやく「ニューヨーカー」に「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗」が認められますが

おりしも太平洋戦争勃発の時流にそぐわないと、掲載は見送られてしまいます。

 

兵士として戦地に行くサリンジャーに「生きて物語を書き続けろ」と教授は激励し、

その言葉通り、どんな激戦のときも、マディソン・・・に登場させたホールデンのプロットを書き進め

戦火のなかでライ麦畑・・・の原案が出来上がっていくのです。

 

徴兵される前、サリンジャーは、有名作家を父に持つウーナ・オニールと交際していたのですが、

戦地に行っている間に、彼女が父親よりも年上のチャップリンと結婚したというニュースを聞いて、

大きなショックを受けます。

サリンジャーはノルマンディー上陸作戦に従軍し、激戦地を転戦し、最後には

(ユダヤ人でありながら)ユダヤ人の強制収容所開放にも立ち会うという、つらい経験をし、

これにより、戦後もずっとトラウマを引きずることになります。

 

帰国して書き上げた「ライ麦畑・・・」もすぐには評価されませんでしたが、

ドロシー・オールディングという女性エージェントの後押しで出版することができ、

一躍有名作家となります。

表紙に顔写真をのせられたことからファンたちに追い回され、精神を病み

インドの宗教やヨガに救いを求めるようになります。

結婚して子供をつくるも、だれもやってこない森の一軒家で、隠遁生活にはいってしまいます。

 

ライ麦畑・・・が出版されたのが1951年、亡くなったのが2010年ですから

長い長い隠遁生活ですよね。

もちろん未発表の作品は書いていたのでしょうけど、言葉は悪いけど「一発屋」。

それでも作品もサリンジャーという名前も後世に残るというのは羨ましい限りですが、

本人はきっとそれを望んでなかったんでしょうね。

 

ライ麦・・は、私は小学校高学年で読んだのでストーリーだけしか終えず、

1ミリも共感できなかったので、以来、この本とは距離を置いていました。

作家の半生がわかっても、じゃあもう一度読んでみよう・・・とはならなかったけれど、

映画としてはとても楽しめました。

ジョアン・ジルベルトを探して

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映画「ジョアン・ジルベルトを探して」 令和元年8月24日公開 ★★☆☆☆

(ポルトガル語 ドイツ語 英語 字幕翻訳 大西公子 字幕監修 中原仁 )

 

 

「イパネマの娘」などの名曲で知られ、日本でライブを行ったこともあるミュージシャンの

ジョアン・ジルベルトは、2008年夏のボサノヴァ誕生50周年記念コンサートを最後に公の場から姿を消す。

彼に会おうとリオデジャネイロに出向いたてん末をつづった本の

出版直前に自殺したドイツ人ジャーナリストの旅に共鳴したジョルジュ・ガショ監督が、

ジルベルトに会うためにブラジルに向かう。                         (シネマ・トゥデイ)

 

去年見たキューバの音楽バンドのドキュメンタリー映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ☆アディオス

キューバ音楽創成期から演奏してきたおじいちゃんたちのバンドで

すでに亡くなってしまった人が多いんですけど、

人生そのものが音楽で、とにかくみんな魅力的!

 

ジョアン・ジルベルトはあまり人前に出ないみたいだけれど、

本作でも、意外に気さくでシャイな彼の素顔が見られるのかな?

なんて思っていたんですけど、全然当てが外れました。

予告編をもう一度見たけど、

うーん、確かに嘘はついてないですね。

でも、私のようなイメージで見に行ったらがっかりするので、お気を付けください!

 

 

本作は、ドイツ語で書かれた、この1冊の本からはじまります。

ドイツ人作家マーク・フィッシャーが書いた「オバララ ジョアン・ジルベルトを探して」

彼は、ジョアンの歌う「オバララ」の曲が好きすぎて、彼に自分のためにこの曲を歌ってほしくて

単身ブラジルにやってきて

なんのツテもないのに、(表舞台から完全に姿を消していた)ジョアンを探しはじめます。

結局ジョアンには会えなかったのですが、その顛末をこの本に書き、

出版直前にマークは自ら命を絶ってしまいます。

 

マークの情熱に感動した本作の監督ジョルジュ・ガショは、

マークの思いを果たすために、リオにやってきました。

彼の本をガイドブックがわりに、

また、マークの家族からも、彼の残したたくさんの資料や写真を託されていました。

 

マークがやっていたのは、

リオのレブロン地区のお気に入りのカフェでジョアンが通りかかるのを「ひたすら待つ持久作戦」とか

住人たちに聞き込みをして、ジョアンの情報を足で集める作戦なので、

同じことをやっていても、そうそうはジョアンに近づくことはできません。

 

第一、マークはポルトガル語ができないから、自分ではインタビューもできず、

通訳兼助手として、語学堪能なハケルという女性に助けてもらっていたのです。

本のなかでは、「自分をシャーロックホームズ、ハケルをワトソン」に見立てて、

「ワトソン、君はどう思う?」みたいな

(ジョアン・ジルベルトという捜索不能の相手に立ち向かう)「探偵ごっこ」になっていきます。

 

プロの探偵は、顧客の注文に応じて迅速に対象者をつきとめるけど、

この場合だと、あくまでも「ごっこ」ですよね。

 

「探してほしくないと思っている相手を、なんでそうまでして探すのか?」と自問しつつ

結局は「謎を解きたい」「どこまでが真実かを知りたい」という好奇心が抑えられず、

マークの調査はどんどん長引いていきます。

 

結局、マークは最後までジョアンを探せなかったのだから、同じことをしててもダメだと思うのですが、

監督は、ハケツにまたワトソン役をやってもらい、なるべく忠実にマークの行程をたどり、

「ジョアンを探すこんなドイツ人が来ませんでしたか?」と聞いて回ります。

 

同じ長距離バスに乗ってジョアンが住んでたことのあるヂアマンチーナに行って聞き込みして

5年前にマークが突き止めた「ジョアンが籠って練習してたトイレ」の写真を撮ったり、

コルコバードの丘でマークと同じポーズで写真を撮ったりするような

聖地巡礼的なことをしていきます。

 

ジョアンを探す、というより、マークの足跡をたどってる感じですね。

「5年前マークがここを訪れ、

50年前、ジョアンが確かにここにいた」

 

5年前にマークが来たときはこのとおりだったかもしれないけど、

50年前から同じ便器の同じ内装とも考えにくいのに、

「ここがまさにボサノバの聖地!」とばかりに

薄汚れたトイレの内部をそんなに丁寧に移されてもねえ・・・・・

 

 

「ジョアンの注文するのは粗塩添えステーキとクレージーライスだけ」

「電話はかかってくるが、料理の配達もホテルのドア越しで本人はみたことない」という料理人、

「ホテルに呼ばれて髪を切っている」という床屋、

元妻で歌手のミウシャや、公認の物まね歌手、アルバムのデザインをした人・・・

かつての共演者だったピアニストのジョアン・ドナート、作曲家のロベルト・メネスカルなど

ボサノバ関係者にも話を聞きますが、彼らとも何十年も昔に連絡を絶っており、

一向にジョアンの所在ははっきりしません。

 

ジョアンは電話魔で、いろんな人に電話をかけるみたいですが、姿はあらわさないようで、

取材中にもミウシャのところに電話がはいるんですが、取り次いでももらえず、話もできずじまいでした。

 

最後には、ジョアンのマネージャーに頼んで

「面会はできないけれど、ホテルの部屋越しにギターを演奏するのならOK」という約束をとりつけます。

(音楽関係のコネがないマークにはこれは不可能でした)

 

約束のコパカバーナホテルに行くと、ある部屋にマネージャーだけ入っていき

廊下で待っていると、部屋の中から(ジョアンが弾いていると思われる)

ギターの音が聞こえてきたところで 本編は終わり。

 

ミウシャは去年の暮れに亡くなり、

ジョアンもまたこの映画の完成後、7月6日に88歳で亡くなったことがエンドロールで流れます。

 

 

サリンジャーが他人にかかわりたくなくて隠遁生活・・・・というのを見た直後だったので

こういうしつこい取材攻勢には、なんか非常に不愉快な気持ちになった・・・というのが正直なところです。

かつての音楽仲間とも音信不通なのに、探偵気取りの外国人の作家や映画監督に

心を開くわけないじゃないですか!

 

マークの著書は日本語訳が出てないからよくはわからないけれど、

彼はどの程度のファンなんでしょうかね? 

自分を探偵になぞらえた時点で、ゲーム感覚のような気がして、すでに私は興味を失いましたが、

ガショ監督が感銘したのは、難関に挑もうとするマークの挑戦者魂とか、

マークの残した膨大な取材メモや写真とか、そういうものなのかな?

 

映画を撮るくらいだから、ある程度予算も期間もあるでしょうし、

本気で彼に近づこうとしたら、最初からマネージメント会社に連絡するのが早いのは

誰が考えてもわかることです。

でもそれは最後の手で、ほとんどの時間を

あえて金もコネもない一介のドイツ青年と同じ道をたどって時間つぶししています。

マークの撮った写真と同じ構図をみつけて、ここだ~!って喜ぶのはわかるけど、

特にマークに思い入れのないこちらとしましては、かなりイライラしてしまいます。

 

マークのやり方は、なんだか、子どものときの夏休みの自由研究みたいですね。

私は、まず本で調べるところから始めてしまうんですが、(今みたいにネットで検索するよりは大変ですが)

地元の人とか専門の人に話を聞くとか、足で集めた情報のほうが

評価が高かったんですよね。

ジョアン・ジルベルトが籠って練習してたと思われるトイレを見つけた、とか、

自由研究的には「大発見」だから、いっぱい写真撮る気持ちもわかりますが、

商業映画で見せられるのはちょっとね・・

 

そもそも、純粋に音楽が好きでたまらない気持ちがあんまり感じられないのが最大の残念ポイント。

ボサノバの大御所たちが演奏してくれるシーンはすごくよかったけれど、

なんだか、「謎解きのつなぎ」みたいな扱いだったような・・・・

 

たとえ本人に会えなくても、彼は空気のような存在で、

ジョアンの作った音楽はいつだって

「確実にそこに存在する」

という結論が最初の何分かでわかって、

あとはひたすら退屈でした。

 

ジョアンの死の知らせは悲しいことだけれど、

(言い方は悪いですが)この映画に唯一の「オチ」がついて、

「もう探すことも探されることもなくて、いつもいっしょにいられる」わけで

これ以上の幸せはないですね。

また初日の今日は、命日から数えて49日というのにも、ちょっと運命を感じてしまいます。

 

 

映画はさんざんでしたが、シネマ・カリテで初日の初回に鑑賞したため、

上映後に、小野リサさんのトークショーと、

彼女の作った「ジョアン・ジルベルトに捧ぐ」の素晴らしい生演奏がありました。

    (写真撮影もOKでした)

 

 

この曲は追悼で作ったのではなく、ジョアンから電話がかかってきて

受話器を置いた瞬間に浮かんだ曲だそうです。

(ジョアンのヒット曲はほかの人が作ったものが多いですが)

ジョアンの作った曲で一番好きなのは「ピンボン」で、彼のスピリットを表現している、と。

 

歌うようにささやくボサノバは、サンバほど声量が要らないけれど

押しつけがましくなく、聞き手のスペースを作ってくれるところ、

空気のようにその場にとどまり、余韻を楽しめるのが好き、

というようなお話をされていました。

 

ほんとに素敵なトークショーでした。(もうここだけに★★★★★つけたい!)

 

 

 

 

 

ジョアンは2004年と2006年に来日しているんですが、

シネマカリテのきょうの展示は、その時の再現セット(左)でした。

先週までは右側ので、カーマインギター…同様、公開後に展示替えしてましたね。

先着プレゼントのリボン(右)もいただき、至れり尽くせりの初日鑑賞でした!

存在のない子供たち

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映画 「存在のない子供たち」 令和元年7月20日公開 ★★★★★

(アラビア語 字幕翻訳 高部義之)

 

 

12歳のゼインは、中東のスラムで両親とたくさんの兄弟姉妹と住んでいるが、

親が彼の出生届を出さなかったため身分証明書を持っていなかった。

彼は11歳の妹と仲が良かったが、知人の年上の男性と無理やり結婚させられてしまう。

怒ったゼインは、家を飛び出して職を探そうとするが、身分証明書がないため仕事ができなかった。

                                                 (シネマ・トゥデイ)

 

冒頭は裁判のシーンから

原告の少年ゼイン・アル・ハッジはわずか12歳。

(出生届は出ておらず、本人も親も正確な年齢がわからないから、歯科医の鑑定で想定された年齢です)

また、彼の手に手錠がはめられているのは、別の事件で懲役5年を求刑されているからです。

被告はゼインの両親であるハッジ夫妻。

「自分を生んだ罪で実の親を訴える」というショッキングな場面から始まります。

 

「息子は行儀が悪くて刑務所に入れられたが、我々は無関係。

訴えられる意味がわからない」と両親。

 

なぜ、幼い少年が収監されているのか?

なぜ、その彼が親を訴えたのか?

 

(以降、過去映像とこの裁判シーンがたびたびフラッシュバックしながら進んでいきますが、

一応時系列で書いていきます)

 

中東のある街(多分ベイルート)のボロアパートで

子だくさんのゼインの家族は生活していますが、

親にはちゃんとした収入もないようで、

子どもたちが街中で怪しげな手作りジュースを売ったり、

薬局で鎮痛剤?を大量に買って、それを溶かして衣類にしみこませたものを刑務所に売りに行ったり・・・

子どもたちは貴重な働き手で、誰一人、学校にも通っていません。

 

年長のゼインは一番の働き頭で、

アパートの大家のアサドの経営する店で雑用や配達の仕事をしています。

ゼインのすぐ下にはサハルという美人の妹がいて、アサドからは

「いとしのサハルに渡してくれ」と、たびたびラーメンやグミを渡されるのですが、

ゼインはそれに腹がたって、ゴミ箱に捨ててしまいます。

 

ある日、ゼインは兄弟で雑魚寝していた布団とサハルの短パンに血がついているのを見つけます。

妹のサハルが初潮を迎えたんですね。

トイレで妹の短パンを洗濯し、自分の来ていたシャツを脱いでナプキンがわりにさせ、

アサドの店からナプキンを持ち帰ってサハルに渡します。

 

幼い兄が最初に妹の初潮に気づくのもすごいですが、次の彼のことばにもびっくり!

「汚れたナプキンはその辺に捨てるなよ!」

「(初潮を迎えたのは)誰にも秘密にしろ!」

「母さんにバレたら、(お前は)アサドのものになる!」

 

そのころ、金欠の両親は、また家でゲスい相談をしています。

「子どもを学校にやるのはどう?」

「必要なものは支給されるし、食べ残しとか、家に持ち帰れるものがあるかも・・・」

でも、そんなことでは家賃のたしにはならないと思ったらしく、

両親は、ゼインが心配したとおり、わずか11歳のサハルを(何がしかの金銭と引き換えに)

アサドのところにやってしまうのです。

娘が初潮を迎えるというのは、彼らにとって、

成熟した女性になる → 女として価値のある売り物になる

という認識なんでしょうか?

それも、実の親がそう考えるというのがひどい話ですよね!

 

必死で止めるも間に合わず、サハルは父のバイクで、アサドのところへ連れていかれてしまいます。

絶望したゼインはひとり家を出て、あてもなくバスに乗ります。

遊園地に着くも、持っていたお金で買えるものはほとんどなく、仕事もなく・・・・・

 

レストランで下働きをするティゲストという黒人女性が気の毒がって食事を与えてくれます。

実は彼女はエチオピア難民のシングルマザーで、乳飲み子の息子ヨナスを隠してこっそり乳を与えながら、

また(ニセのほくろを付けて)偽造の身分証で働いていたのです。

 

彼女の本名はラヒル。

家でヨナスの世話をしてくれるのなら・・・・

と、その日からゼインはラヒルの家で暮らすようになります。

 

実はラヒルも深刻な問題を抱えていました。

偽造の身分証の期限が間近になっており、更新しなければならないのですが、

偽造屋のアスプロに高額な更新料をふっかけられて、

払えないのなら息子をよこせ!といわれていたのです。

「君の息子は(出生証明もないし)死人もいっしょ、ケチャップ以下だ」

「里子に出せば、息子は幸せになれるし、母親も堂々と働ける」

 

ヨナスを手放したくないラヒルは自分の髪の毛を売ってお金を工面しますが

不法就労で捕まってしまい、家に帰ることができなくなってしまいます。

そうとは知らないゼインは、家でヨナスとずっと待っているのですが、

そのうち食べ物も底をつき、街へと出かけていきます。

物乞いをしたり、嘘ついて救援物資をもらったり、

インチキなドラッグを作って売ったりしながら、なんとかお金を手にしていたのですが、

幼いヨナスと一緒では動きがとれず、仕方なく、アスプロに預けると、

外国に逃れるための身分証を取りに、久しぶりに自分の家に戻ります。

 

ところが、ゼインは親が出生届を出していないから、身分証など存在しないこと、

そして、最愛の妹のサハルが亡くなったことを聞かされます。

わずか11歳で妊娠させられ、出産のときに大量出血したものの、

身分証がなくて病院で診てもらえずに、病院の玄関で亡くなったと。

 

怒ったゼインは家からナイフをもちだし、アサドを刺して、その場で逮捕されるのです。

 

幼い少年が妹の夫を刺し殺そうとした悲惨な事件ではありますが、

この逮捕・収監をきっかけにゼインの人生は転機を迎えます。

 

刑務所でみていた社会問題を取り扱うテレビ番組の電話相談コーナーに

ゼインは刑務所から電話をかけ、自分のおかれている状況を話します。

するとそれを見た人権派の弁護士が、彼の力になると申し出てくれるのです。

 

子どもを作るだけで届も出さず、なんの世話もせずに放置する両親、

「世話できないのなら産むな!」

ゼインの叫びは反響を呼び、彼のおかれている環境が明らかになっていく過程で

アスプロが人身売買に加担していることもわかり、

監禁されていたヨナスも救助され、母ラヒルと再会することもできました。

 

ラストシーンでは、ゼインの身分証を作成するための写真撮影。

暗い表情の彼に、撮影者が「笑って!」といいます。

撮影のための作り笑いではありますが、ここで初めて

ゼインが笑顔を見せたところで フラッシュが焚かれます。     (あらすじ 終わり)

 

 

本作が描くのは、昔でも戦時下でもなく、現代です。

すぐそばには豊かな暮らしをしている人もたくさんいるし

きちんとした法律もあるし、人権弁護士だっている・・・・・

なのに、同じ街の片隅には、誰にも守ってもらえない、出生証明書さえない子どもたちや

不法就労扱いされる難民が存在し、

偽造ビジネスや人身売買の餌食となっていくのです。

 

たぶん舞台はレバノンだと思うのですが、あえて国情や民族間の問題などは取り上げていません。

民族間の闘争とか、深刻な飢饉状態とか、そういうのとは無縁の一見平和な市民生活・・・・

そのなかでの貧困やそれに伴う犯罪などが、静かに描かれていきます。

 

なので、本作を見たとき、ほかの中東を舞台にした映画より、

「誰も知らない」「万引き家族」のような是枝映画により近いものを感じました。

なんでもないシーンで涙があふれそうになる場面も多く、

そういえば、本作は(「ROMA」に持っていかれたけど)

「万引き家族」と外国語映画賞を争ったんでしたよね!

 

ほぼほぼ悲惨な話なんですけど、

思わず微笑んでしまうようなシーンもけっこうありました。

 

遊園地でスパイダーマンの偽物(ゴキブリマン?)をやってる歯のないおじいさんと

トウモロコシ売りの声のでかいおばあさんが、金持ちの夫婦のふりをしてきちんとスーツを着て、

ラケルの保証人になろうとするシーンなんかは、めちゃくちゃ面白かったです。

 

ゼインが、お金を稼ぐのにヨナスが邪魔なんだけど、置いていくわけには行かないので

スケートボードとか鍋とか洗面器とかのガラクタで手製のソリを作って連れて行くところとか

子連れ狼みたいで、ほんとうに微笑ましいんですよ!

お金なんかなくても、赤ちゃんの笑顔をみているだけで、癒されて、

希望が湧いてくるんだよな~

 

私にも1歳の孫が2人いるので、ちょっとわかっちゃったんだけど、

ヨナスくらいの子どもは成長が早いので、動き方とか歯の数とか、

(撮影が時系列じゃないと)矛盾がでてくるんですよね。

まあ、その辺はご愛敬ということで・・・・・

 

 

ゼインは賢い子で、嘘つくのもうまいだけど、

「ヨナスは弟だ」といいはり

「母親が妊娠してた時にコーヒーを何杯も飲んでたから弟は顔が黒い」

というのは、ちょっと下手すぎる嘘でしたね。

 

あらすじには省略しましたが、被告となった両親も(全然共感はできないけど)

一応自分たちの言い分は主張します。

 

「娘を結婚させたのは、娘を貧しさから救うためです」

「子どもは支柱になるといわれて作ったけど、嘘だとわかった」

そして

「神は娘のサハルを奪ったけれど、また希望をくれた」

といって、母はお腹をさすります。

どうやら母はまた妊娠したようで、うれしそう。

 

「どうせ、真剣に育てる気なんかないくせに」

とばかりに冷たい視線を送るゼインでしたが、

育てきれないのにどんどん子どもを産み続ける親は愚かと言い切るだけでいいのか?

 

どうしてもわからないのは、

なぜこの夫婦は子どもたちの出生届を出さないのか?

ということ。

公的支援があるのなら、当然出すでしょうから、

「自分たちの財産として利用する」ということなのか?

じゃあ、中絶して産まなければ問題は解決するか?って話でもなく、

安易に結論がだせるものではありません。

 

最後のゼインのとてつもなくイケメンな笑顔に心が救われてしまったのだけれど、

彼をずっとこの笑顔のままでいさせてあげたい!と心から思いました。

 

ドキュメンタリーではないけれど、キャストにも同じ境遇の子どもたちを使い、

おそろしくリアルな描写に胸をえぐられる一方、

ちゃんとエンタメ映画としての満足感も備えているところが、

劇場用映画として完璧で、間違いなく、個人的にも今年ベストの映画です。

「ゼロの焦点」と「さいはてにて」

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夏休みの最後に奥能登を巡ってきました。

映画とはまったく関係なく行ったので、ブログではスルーするつもりでしたが、

「ゼロの焦点」のヤセの断崖は、実際に訪れてこその迫力を感じたので、そのことだけでも・・・・

 

 

4年前の北陸新幹線の開業で東京・金沢間は最短2時間半で結ばれ、

能登は鉄道のアクセスがすごく良くなった印象ですが、実際は逆です。

鉄道は廃線が進んで、奥能登は、むしろ陸の孤島状態になっています。

 

 

 

「ゼロの焦点」が書かれたころには存在した北陸鉄道の能登線も1972年に廃線となり

七尾湾側もJRとして残っているのは和倉温泉までで、

あとは第三セクターののと鉄道が、七尾⇔穴水を一時間に1本程度走らせているだけで、

アクセスはかなり悪いです。

 

 

昨日、始発駅の穴水から能登中島駅まで、のと鉄道七尾線に乗車しましたが、

ほかに乗客はほとんどいなくて、絶対に採算とれてない感じでしたね~

 

さて、「ゼロの焦点」ですが、

能登金剛のヤセの断崖は、この松本清張小説のクライマックスシーンで有名・・・と思っていましたが

実はここは小説には登場せず、1961年の映画のロケ地となってはじめて有名になったのです。

 

1961年版はDVDでしか見ていませんが、

2009年版は映画館で見ているので、まだよく覚えていますよ → こちら  原作は → こちら

 

 

これは「週刊松本清張第3号 ゼロの焦点」にあった図ですが

原作では警察分署→①高浜  遺体発見場所→②赤住の海岸

だったのを

赤住の海岸がなだらかでスクリーンでは映えないことから、

②ヤセの断崖を遺体発見場所とし、警察も①富貴まで北に異動したということです。

 

の中間地点に「赤崎」という場所があり、

松本清張が「赤住」と「赤崎」をとり違えたんじゃないか?

といわれているようですが、なんか、私はそうとは思えないなぁ・・・・

あれだけ鉄道路線にこだわった作家なのだから、崖の形にインパクトないとしても、

(当時はまだ走っていた)北陸鉄道能登線の終着駅にこだわったのでは?

と、個人的には思います。

 

ただ、ヤセの断崖をロケ地に選んだ野村芳太郎監督の選択眼はすばらしいですね。

 

 

見学できるところは柵の内側で、まあ安全なんですけど、

海からの波の音、風の音がすごい!

風も渦を巻いてる吹いている感じで、なかなかの迫力でした。

 

 

サスペンス映画のクライマックスは必ず崖の上・・・・

という若干不自然な法則もこのあたりから定着したとか。

 

 

↓ こういうコーナーがあるのは、自殺防止のためでしょうか?

 

 

小説のほうの舞台の赤住にほど近い巌門エリアには、松本清張の歌碑が立っていました。
 

 

「ゼロの焦点」以外だと、少し前のNHK朝の連続テレビ小説「まれ」の舞台が輪島みたいで

土屋太鳳のポスターがあちこちに貼ってありましたが、

ごめんなさい、一度もみたことないのでスルーします。

 

能登の北端の、日本一人口の少ない市、珠洲市を回っていたとき、

映画「さいはてにて」のポスターを発見しました。

新聞の切り抜きも・・・・・

 

 

これも私は4年前に映画を見ましたが、(→ こちら )

永作博美演じるヒロインが、父から相続した能登の海っぺりのボロい船小屋を

焙煎からやるコーヒーショップに改装して、人生やり直す話で、脚本は残念だったけれど、

「岬とコーヒーの出てくるもうひとつの東映映画」があんまりひどかったから、

相対的に許される感じでした。

 

映画のタイトルにもなっている「さいはて」という言葉にもちょっと違和感あったんですが、

現地に来てみると、確かに「さいはて」なのが納得できました(へんな日本語!)

 

 

珠洲市の突端の禄剛崎(ろっこうざき)灯台に行くと、ここからは太陽が水平線から上がるのも沈むのも

同じ場所から両方みられる、貴重な場所なんですよ!ホントに先っぽ!!

まさに「最果て」を実感しました。

 

日本地図をフリーハンドで書いた時、

能登半島は必要以上に大きく書かれがちですけど、

それだけ「飛び出し方」に存在感ありますよね!

 

そもそも東京に住んでいると「加賀」と「能登」を同じような意味で使ったりしてますが、

両方加賀藩の領地ではあったものの、加賀の国と能登の国は別々ですから

ちゃんと使い分けなければ!と思いました。

珠洲市、輪島市、七尾市、羽咋市、鳳珠郡(能登・穴水)羽咋郡(志賀・宝達清水)が能登地方

 

金沢市、白山市、小松市、加賀市、能美市、かほく市、野々市市、河北郡(津幡・内灘)、能美郡(川北)が

加賀地方

 

境界線は羽咋(はくい)と河北(かほく)の間となります。

 

そして、能登地方のなかでも、珠洲市、輪島市、鳳珠郡(能登町、穴水町)が「奥能登」ということですね。

 

まあ、こんなことが分かっただけで、この歳でちょっと賢くなったかも・・・

これから観たい映画(110)

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7月公開

×  「ゴールデンリバー」 

▲ 「ワイルド・ライフ」 

×  「Girl/ガール」 

▲ 「サマー・フィーリング」  → 感想UP

▲ 「シンク・オア・スイム」 → 感想UP

▲  「存在のない子供たち」  → 感想UP

▲  「ブレス あの波の向こうへ」 → 感想UP

 

8月公開

▲ 「シークレット・スーパースター」 → 感想UP

▲ 「カーマイン・ストリートギター」  → 感想UP

▲ 「命みじかし恋せよ乙女」 → 感想UP

〇 「ホットサマーナイト」 (シネリーブル、恵比寿ガーデンシネマ、新宿ピカデリー)

〇 「永遠に僕のもの」 (ヒューマントラスト有楽町・武蔵野館)

◎ 「ロケットマン」

▲ 「ジョアン・ジルベルトを探して」 → 感想UP

〇 「引っ越し大名!」

◎ 「トールキン 旅のはじまり」 

〇「ガーンジー島の読書会」 (TOHOシネマズシャンテ)

〇「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ア・ハリウッド」

 

9月公開

〇9/6  「SHADOW 影武者」 (イオン板橋)

〇9/13 「記憶にございません!」

〇9/14 「今さら言えない小さな秘密」 (恵比寿ガーデンシネマ)

〇9/20 「シンクロ・ダンディーズ」 (ヒューマントラスト渋谷)

〇9/21 「アルツハイマーと僕 グレン・キャンベル音楽の奇跡」

〇9/27 「ホテル・ムンバイ」 (イオン板橋)

〇9/27 「ハミングバード・プロジェクト」 (TOHOシャンテ)

 

                                            〇 観たい作品

                                                    ◎ 絶対に観たい作品

                                                    ▲ すでに鑑賞済

                                                    × 23区内で上映終了

 

 

 

シネコンから夏休み映画が一掃したら、やっと見たい映画たちが上映されそうなものですが、

思ったほどなくて残念・・・

ロケットマン

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映画「ロケットマン」 令和元年8月23日公開 ★★★★☆

(英語  字幕翻訳 石田泰子 字幕監修 新谷洋子 )

 

 

少年レジナルド・ドワイトは、両親が不仲で孤独だったが、音楽の才能に恵まれていた。

エルトン・ジョン(タロン・エジャトン)という新たな名前で音楽活動を始めた彼は、

バーニー・トーピン(ジェイミー・ベル)と運命的な出会いを果たし、

二人で作った「Your Song/ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」などヒットナンバーを次々と世に送り出して

世界的な名声を得ることになる。                                 (シネマ・トゥデイ)

 

コンプレックスやLGBTと折り合いをつけつつ

音楽の一時代を切り開いたイギリスのスーパースター・・・

本名ファルーク・バルサラのフレディ・マーキュリー

本名レジナルド・ドワイトのエルトン・ジョン

 

ふたりには共通点も多く、、しかも監督は同じフレッチャー監督なので、

「ボヘミアンラプソディ」のあやかり作品??

と誰もが思いますけど、けっこう違ってましたね。

全編ミュージカル仕立てで、けっこうな長回しなので、むしろ「ラ・ラ・ランド」とか、

あるいはヒット曲の歌詞でつなぐという意味では「マンマ・ミーア」にも近いかも?

 

最初のシーンは、オレンジ色のデビルのド派手な紛争で、エルトン登場!

彼が向かったのはステージではなく、依存症のグループセラピーでした。

他のメンバーはエルトンの姿に驚くこともなく、彼の話に耳を傾けます。

エルトンは幼少期の記憶からぽつりぽつりと語り始め・・・・

というぐあいに、物語が始まります。

 

 

一度聞いた音はピアノで完璧に再現できる天賦の才能をもっていたレジー少年

(↑ これは本人ですが、子役の少年がそっくりでした)

 

 

留守がちの父が家にいるようになってからは、厳格な父におびえ、

母も一人息子を愛してはいるんだけど、ジコチューで思いやりに欠け、

繊細なレジー少年はいつも傷ついていました。

 

 

画像からは、シングルマザーの母が実家で子育てしてるように見えますが、

このおじいちゃんみたいなのが父。

歳の差結婚かと思って観てたんですが、

あとで調べたら、レジーは父も母も22歳の時の子どもだから、このとき父は20代だったんですよ!

父は頭の固い頑固オヤジだから、見た目以上にジジイに思えます。

父の好きなカウントベイシーに興味を持つも、レコードに触ると激怒され、

うつむいてしまいます。ホントはハグしてほしいのに・・・

 

奔放な母は、父と離婚して、浮気相手のフレッドと再婚。

多感なレジー少年の気持ちなどお構いなしです。

両親の不仲は、彼の心に深い影を落としていました。

 

王立音楽院で本格的に音楽教育を受けるレジーでしたが

一方で友人たちとのバンド活動に力をいれるようになり、

あちこちのコンサートに出演し、経験を積んでいきます。

改名して「なりたい自分になりたい」と、エルトン・ディーンを名乗るように・・・

やがて、音楽プロデューサーのレイ・ウィリアムズと出会い、プロへの道が開け、

この時たまたま壁にかかっていたジョン・レノンの写真から「エルトン・ジョン」の名前が生まれます。

 

レイは歌詞の書けないエルトンに、歌詞の書いた紙の束を渡しますが、

その詩からあっという間にメロディーが浮かんできます。

それを書いた作詞家志望のバーニー・トーピンを紹介され、

意気投合したふたりは一緒に暮らし始め、次々に新曲を作っていきます。

 

レイはどの曲も絶賛してくれますが、彼の上司は

「99%はクソだが、1%はいい。」

「老人もホームレスも口ずさめるような曲を作れ」

となかなかOKを出してくれません。

 

そのころエルトンは、交際していた女性のアパートに住んでいたのですが、

彼がゲイだと告白すると、即家を追い出されてしまい、しかたなく実家に転がり込みます。

バーニーもいっしょですが、意外なことに、バーニーはゲイではなく、ストーレート。

エルトンとは恋人にはなれないけど、親友で、何十年もかわらぬ友情をその後もつなげていくのです。

 

「ここは便利な安宿じゃない!」

母は不機嫌ですが、ここで誕生したのが、あの名曲「ユア・ソング」

バーニーの詩を見ながら、ピアノ伴奏し、

メロディーラインを作り上げていくメイキングのシーンが感動的!

ピアノが上手かったら絶対に弾き語りをしたくなる名曲ですよね~

 

レット・イット・ビー以来アメリカで最大のヒットといわれ、

スター街道をまっしぐらですが、

ステージに向かう緊張感を克服するために、

エルトン独特な派手なステージ衣装やパフォーマンスが出来ていきます。

 

 

担当プロデューサーをプライベートな恋人関係にもなるジョン・リードに乗り換えて以降は

さらにステージは派手になりますが、

ジョンは、実はエルトンをビジネスパートナー(というか、金づる)としか思っておらず

他に恋人がいることを知ったエルトンは、アルコールやドラッグにおぼれてしまいます。

 

疎遠だった父からサインを頼まれるも、

あて名は父ではなく、知り合いの名前を書けと言われ、

母にゲイであることを告白すると

「前からしってたわ、そんなこと」

「私は気にしないけど、公表はしないで」

相変わらずそっけない言葉をかけられます。

 

エルトンの脳裏をいろんな人の言葉がかけめぐります。

 

「ふたりで一緒に消えないか?前みたいにふたりで曲を作ろう」とバーニー。

「誰からも愛されない孤独な人生を選んだのね」と母親。

「あのシャイな子がこんなに立派になって・・・」とおばあちゃん。

「君のは年商8700万ドルの産業だ、僕にはずっと20%が入り続ける」とジョン。

 

もう誰の支配も受けず、どう思われようと気にしない・・・

と、幼いときの自分とハグするエルトン。

 

エンドロールでは、その後、断酒を続け、エイズ支援をし、

バーニーとは共作を続け、同性パートナーと出会って2人の養子を迎え

ツアーは引退したものの、幸せな生活をおくっていることが告げられます。

                                                  (以上 あらすじ終わり)

 

 

すべてエルトン・ジョン本人が監修しているということなので、

「いい話」「感動作」にすることも可能なのに、

エルトン・ジョンでいつづけることのストレス、

LGBTゆえの悩み、なんかのほかにも

「コカイン中毒」「アルコール依存症」「過食症」「買い物依存症」「セックス中毒」「マリファナ中毒」

「処方箋依存」「癇癪もち」・・・・・

腐りきった自分の病歴を羅列して、そのほかにも

「薄毛や不細工のコンプレックス」とか

「ゲイを隠すために女性と結婚したけど、結局傷つけて放り出してしまった」とか

何もそこまで言わなくてもいいのに…と思ってしまうほど、

なにからなにまで正直に告白していますね~

 

ただ、ドラマとしては、打ちのめされるような出来事があっても、

結果的にはすべて克服して今に至ってる・・・・という「ちゃんとしてるところ」が

インパクトに欠ける気はするんですが、

スーパースターでもなんでもない一般人にも起こりえることもあって、

共感度は高いとも思います。

レジーの両親くらいの「毒親」はけっこう多いと思いますよ。

息子の才能を伸ばすために つきっきりで拘束されたり、

クラシックの道を強要されるのも子どもにとっては迷惑なだけで、

「王立音楽院の受験会場につれてくるも、

帰りのバス代とポテトフライ代を渡して帰っちゃう」くらいのかかわり方は

逆に良いような気もします。

 

エルトンジョンのインパクト大きい見た目に比べて

「けっこうまともなフツーのヒト感」がむしろ、愛おしいです。

男女間での、恋愛なしの深く長い友情が美しいように、

エルトンとバーニーの類まれなる深い絆が一番心に残りました。

 

本作で特筆すべきは、ドラマよりは、パフォーマンス。

すべて吹替なしで歌い上げたタロン・エガートンの力量に感服。

ミュージカル歌手の定番の歌唱ではなくて、

映画俳優がセリフの延長として歌ってる感じが完璧ですよね。

一番うれしいのはエルトンジョン本人だったかも。

 

 

 

1年前にエルトンは「キングスマン・ゴールデンサークル」のなかで

なかなかに強烈な本人役でタロンと共演してたんですが、

この時にはこの話はあったのか、なかったのか?

いずれにしても、すごい運命を感じてしまいます。


トールキン 旅のはじまり

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映画「 トールキン 旅のはじまり」 令和元年8月30日公開 ★★★☆☆

(英語 字幕翻訳 松浦美奈)

 

 

トールキン(ニコラス・ホルト)は3歳のときに父が他界し、イギリスの田舎で母と弟と生活していた。

だが母親も12歳のときに突然亡くなり、母の友人のモーガン神父が後見人としてトールキンを救ってくれた。

やがてトールキンは名門キング・エドワード校に入学して3人の友人と出会い、

芸術で世界を変えることを約束する。                 (シネマ・トゥデイ)

 

「ホビット」「指輪物語」などで知られるJRRトールキンの伝記映画です。

JRRというのは、ジョン・ロナルド・ロウエルの略ですが、

あんまり馴染みないので、「トールキン」と書かせていただきます。

 

トールキンは父の赴任先だったアフリカで生まれましたが、帰国前に父が病死、

その後バーミンガムで暮らし、子どもたちに熱心に言語や植物学などを教えてくれていた母も病死。

みなしごとなった兄弟でしたが、教会やモーガン神父から学費を出してもらって、

名門校に入学することができました。

優等生で暗唱も完璧なトールキンはほかの裕福なクラスメートたちとも交流し、

3人の生徒とは特別意気投合して、TCBSというサークル(秘密結社?)を作るほどでした。

  ロブ・ギルソン     (画家志望)

  ジェフリー・スミス    (詩人志望)

  クリストファー・ワイズマン (作曲家志望)

 

この時代のイギリスの名門校だと、絶対に「いじめ」がつきもので、

孤児の貧しいトールキンは絶対にいじめられそうだし、そういうエピソードが延々続くのかと思ったら、

それは最初のうちだけで、すぐに親友ができるなんて、すばらしい!

 

生涯の友の3人と過ごす一方で、

同じく孤児の美少女エディス・プラットとも交際がはじまり

エディスを誘ってワーグナーのオペラに出かけるも、天井桟敷は売り切れで

チケット代の払えない彼らは、ステージの音が聞こえるオックスフォード受験に失敗。

学業がおろそかになると神父から交際を止められているうちに、

エディスはほかの男と婚約してしまいます。

 

やがて第一次大戦がはじまり、トールキンにも召集令状が届きます。

エディスからも「待っている」といわれ、戦地に行きますが、

冒頭シーンで彼がいたのは激戦地ソンミの塹壕。

生と死のはざまをさまよいながらも、親友ジェフリーを探して前線へと飛び出していきます。

火炎放射器は、まるで竜のように赤い炎を吐き、

重なり合う死体のそばを馬が走りぬけ・・・

ヘルヘイム(死の国)のイメージは、この凄惨な戦争体験がもとになったともいわれます。

 

退役後は感染症である塹壕熱の再発に苦しみながらも、リーズ大学やオックスフォード大学の教授へ。

エディスとの間に子どもも生まれ、「ホビット」に始まる数々のファンタジーを書いていきます。

                                               (以上 あらすじ でした)

 

サリンジャー役のニコラス・ホルトを見たばかりだったので、ちょっと混乱しました。

ビーストやニュークスのイメージの強かった彼が文学者というのは、ちょっと意外だったんですが

かなり適役ですね。

しかも、アメリカ人よりもやっぱり生粋のイギリス人がぴったり!

トールキンとサリンジャーでは、年齢も20歳くらい違いますけど、

それ以上にアメリカとイギリスの違いは大きいですね。

ふと見せるニコラスの表情が、ベネディクト・カンバーバッチに見える瞬間もありました。

 

エリート校の秀才たちは、お茶会で芸術を語るなんて、どこまで優等生なんだ!

「キル・ユア・ダーリン」に出てくるようなアメリカのビートニク世代のエリートたちが、

そろいもそろってドラッグ中毒だったりゲイだったりなのとは大違いです(笑)

 

絵画や詩や音楽に才能を秘めていた3人の親友たちの話を

個人的にはもっと膨らましてほしかったんですけどね。

3人が、少年時代のキャストとうまくイメージがつながってなかったのも、残念ポイントでした。

 

そのかわりに妻になったエディスを演じたリリー・コリンズのほうが存在感あったというか、

少なくともプロモーションではたくさん登場します。

 

何度も結婚離婚をくりかえしたサリンジャーとは違って、初恋の人と結婚して

生涯添い遂げたという、優等生のトールキンの恋愛事情は

映画的には地味でつまらないんですけどね。

リリー・コリンズの派手なお顔が目についてたまらなかったんだけど、

本物のエディスは・・・・・

 

けっこう眉も太いし、似てますかね?

 

ホビットやロード・オブ・ザ・リングで観たような映像がたびたび映し出されて

映画ファンにはうれしいですが、トールキンの脳内にあったものと必ずしも同じじゃないし、

個人的には、それほどの感激はなかったです。

ただ、彼の書いたファンタジーはひらめきや思い付きではなく

しっかりと言語学や植物学などの知識に裏付けられたものだということはわかりました。

 

最後のほうで映し出された、トールキンの自筆原稿が、あまりに美しかったので

最後に引用します。

 

シンクロ・ダンディーズ!

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映画「シンクロ・ダンディーズ!」 令和元年9月20日公開予定 ★★★☆☆

(英語 字幕翻訳 鈴木恵美 )

 

 

妻と仲が悪く息子にはバカにされてきた会計士のエリック(ロブ・ブライドン)は、

なじみの公営プールで中年男性ばかりが集うアーティスティックスイミングチームと出会う。

メンバー入りすることになった彼は、仲間と一緒にイギリス代表チームの一員として

世界選手権に出場することになった。

エリックは、厳しい特訓に励むうちに生きがいを見いだす。  (シネマ・トゥデイ)

 

通勤ラッシュで会社との往復、売り上げダウンにため息をつきつつ、

家にかえると反抗期の息子と、地方議員に当選して夫なんて眼中にない妻。

仕事帰りに公営プールで泳ぐのだけが楽しみの寂しいサラリーマン稼業のエリック。

 

ある日エリックはそのプールでシンクロの練習をするおじさんの一団に遭遇します。

みんなで輪になって回転しようとしても上手くいかないのをみて

「可変の中心点がないからうまくいかないんだ」

「ひとり人数をへらして偶数にすればうまくいく」

数字に強い会計士のエリックは思わずアドバイスをしてしまいます。

 

「ひとりふやしても偶数になる」

と、気が付くとエリックもここの一員になっていました。

当初はホームパーティの余興で披露するくらいだったのが、

世界選手権を目標にするようになって、元シンクロ選手のスーザンをコーチに迎え

毎日4時間のスパルタレッスンがはじまり、イタリアでの選手権を迎えます。   (以上あらすじ おわり)

 

 

7月に観たフランス映画「シンク・オア・スイム」と同じ

スウェーデンの実在のシンクロチームがモデルになっています。

同じ時期に競作映画が公開されることは珍しくないですが(はやぶさなんて、4つくらい競作がありました)

それぞれにフィクションをはさんでくるから、いろいろ見ると、むしろどこまでが事実なのか

戸惑ってしまうことが多いんですが、

2作ともキノフィルムズ配給なので、それを逆手にとって

半券があるとなんと496(シンクロ)円で見られるという太っ腹な企画をやっていました。

 

私もみるつもりで大事に半券を保存していたんですが、

たまたまキノフィルムズの「シンク・オア・スイムを見た人限定試写会」に当選して、

そこの試写室でみることができました。

 

フランス版と同じ8人のチームなんですが、群像劇というよりは

「エリックとその仲間たち」という感じなので、全員は思い出せないんですが、

印象の強かった順に番号をつけてみました。

 

 

① エリック (ロブ・ブライドン) 主人公の会計士  

        ロブ・ブライドンは「イタリアは呼んでいる」でスティーヴ・クーガンと二人旅してましたが、

        イギリスでは物まねも上手い芸達者な人気コメディアンです。

② ルーク (ルパート・グレイヴス) 離婚して子供にも会えず慰謝料とられて寂しく船に住んでる独り者

        ルパートは、シャーロックのレストレイド警部役で有名ですね。

③ テッド (ジム・カーター)  妻を亡くしたばかりの温厚なおじいちゃん。

        ダウントンアビーの執事カーソンが70歳にしてシンクロやるなんて、だれが想像したでしょうか!

④ コリン  建築現場の監督をする元サッカー選手  チームのまとめ役

⑤ トム   唯一の若者で小柄なのでジャンプ役になります。

        けっこうな問題児で みんなに心配をかけています。

⑥ カート  歯医者でチームの音楽担当

⑦ 不明

⑧ サイレントボブ  無口なのでそう呼ばれています

 

 

最後のふたりはほとんどセリフもなかったようで、全然思い出せないんですが、

↑も6人しかいないし、公式サイトにも5人しか紹介されてないので、しかたないですかね。

 

「似ているけど違う、違うけれど似ている ー 見比べマストの高シンクロ率な奇跡の2作品」

ということなので、ちょっと比べてみると・・・・・

 

①フランス版は、世界的俳優2人(マチュー・アマルリック、 ギョームカネ)含む、

  ギャラ高そうなキャスティング。

  イギリス版は(有名だけど)主にテレビ俳優なので、世界に発信というよりは

  イギリス国内向けのような気がしました。

 

②フランス版のほうがメタボ率やや高く、最後の本番でいきなり上手くなってましたが、

  イギリス版はほとんど本当に泳いでるみたいで、少しずつ上手くなっていくようすがわかって

  スポ魂ものとしては、高評価です。

 

③フランス版はダメダメ親父たちがダメなりに頑張るヒューマンドラマのつくりなんだけど、

 イギリス版は完全にコメディで、最後に「ちょっと涙もいれてみました」って感じかな。

 主人公のエリックは最初「地味でまじめな会計士」だと思ったら、

 実際はかなり危ないヤツで、共感しづらかったのが残念。

 

両方とも8人ずつなんですけど、誰と誰が対応する、って感じでもないから、

エピソードはすべてオリジナルなんでしょうね、

そうすると、本物のスウェーデンチームのメンバーが気になります。

スウェーデン版映画もたしかあるんですよね。

これもDVDでいいから見てみたくなりました。

引っ越し大名!

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映画 「引っ越し大名!」 令和元年8月30日公開 ★★★☆☆

原作本 「引っ越し大名三千里」 土橋章宏 ハルキ文庫

    

姫路藩主の松平直矩は、幕府から豊後・日田への国替えを命じられ、

度重なる国替えで財政が困窮している上に減封と、藩最大のピンチに頭を抱えていた。

ある日、人と交わらずにいつも本を読んでいて「かたつむり」と呼ばれている書庫番の片桐春之介

(星野源)は、書物好きなら博識だろうと、国替えを仕切る引っ越し奉行に任命される。(シネマ・トゥデイ)

 

急に減封と国替えを命じられたものの、金も時間もない!

その大役を仰せつかったのが、書庫番のぼんやりキャラの春之介。

どんなやり方でこのピンチを切り抜けるか??という話です。   (以上 あらすじ 終わり)

 

まあ、話としては、金はなくても幕府の沙汰には従うしかない、貧乏藩の悲哀を

現代のサラリーマン生活になぞらえる、ということでは、

同じ作者による「超高速参勤交代」の第二弾みたいな感じです。

 

(土橋章宏の原作ものでは)前作の「幕末マラソン」を外国人監督にやらせたら、

コメディ感はうすれ、なんか「ラストサムライ」みたいになってしまったことから、

まだゆるゆるコメディモードに戻したということでしょうかね?

 

ちょっとあらすじ、手を抜きすぎてしまいましたが、

金と時間を節約するためのアイディアがたくさん出てくるのを期待してしまうとがっかり。

これは春之介ひとりの業績ではなくて、チームでの功績なんですよね。

 

①春之介(星野源) → 書庫番で検索の達人なので、知識の宝庫

②源右衛門(高橋一生)→ 御刀番で頭は弱いがポジティブ思考で武術の達人

③おらん(高畑充希) → 前任の引っ越し奉行の父から引っ越し覚書10か条を引き継ぐ

④監物(濱田岳) → 勘定頭 義理人情に厚く、資金調達を引き受ける

 

見切り御免状で荷物を減らしたり、御役御免通告で人減らししたりするのは

合理化の一環でしょうが、とりたててすごいアイディアというわけでもなく・・・・

そもそも「引っ越し奉行」は実在の人物ではなく、

実話ベースなのは、タイトルにもなっている「引っ越し大名」のほうなのですよ!

 

引っ越し大名というのは、及川光博演じる松平直矩(なおのり)。

彼こそ生涯7回もの国替えをさせられた実在の大名だったのです。

 

彼の引っ越し歴は、ここに出てくる姫路藩→日田藩だけにとどまらず、

生まれた時から引っ越しの連続です。

 

越前大野藩     生まれる

  ↓

出羽山形藩   1644年 2歳

  ↓

播磨姫路藩   1648年 6歳

  ↓

越後村上藩   1649年  7歳

  ↓

播磨姫路藩   1667年  25歳 

  ↓               ⇐  この時の引っ越しが描かれています

豊後日田藩   1682年  40歳

  ↓

出羽山形藩   1686年  44歳

  ↓

陸奥白川藩   1692年  50歳   ここで53歳で死ぬ

 

転勤族のサラリーマンだったら、これ以上に引っ越しする人もいるでしょうが、

その場合の引っ越し費用は、ふつう全額会社持ち。

 

自分の意志とは関係なしに、紙切れ1枚で引っ越しさせられ、

費用はすべて自分持ちで、藩士も家族も全部ひっくるめて

車も鉄道もない時代にこんな長距離を引っ越しすることの大変さは、どんなもんだったでしょう!

 

財力のある外様大名の力を抑えるためというのならわかりますが、

松平直矩の「越前松平家」は家康の血をひく「親藩」なんですよ!

 

直矩のひいおじいちゃんは、あの徳川家康。

直矩のおじいちゃんの結城秀康は、家康の次男でありながら、

母親の身分が低いとかで追い出されてしまったのです。

(それでも、長男は意味もなく切腹させられたから、まだましかも)

 

そしてその秀康の五男としてうまれたのが、父 松平直基(なおもと)。

松平姓をなのってはいますが、結城家の家督を相続しており、

映画にも出てきた 御手杵(おてぎね)も、結城家の家宝として伝えてきたのです。

本物は残念ながら太平洋戦争の空襲で焼失してしまったのでレプリカですが・・・

 

 

天下三名槍のひとつ、突くことに特化した槍で、本体は左のもの

右は通常の鞘

そして中央のが杵の形をしたインパクトある外観の鞘です。

 

 

映画の撮影用でつかったのがこちら↑

クライマックスで源右衛門がダイナミックに振り回してましたね!

 

 

多分刀剣ファンにはたまらないシーンでしょうね。

 

そういえば、ひとつ気になったことがあって、

引っ越し荷物を整理しているシーンで、『0123』の札を貼っていて

これは絶対アート引越センターがスポンサーだ!と思ったんですが

エンドロールで出てきませんでした。ま、どうでもいいことですが。

人生、ただいま修行中

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映画『人生、ただいま修行中」 令和元年11月1日公開予定 ★★★☆☆

(フランス語 字幕翻訳 丸山垂穂  字幕監修 西川瑞希 )

 

 

フランス、パリ郊外の看護学校で学ぶ、40人の150日間。

誰もが初めてを経験し、失敗しながら生きていく。

人生は学びと喜びに溢れていることを教えてくれる感動の奮闘ドキュメンタリー。 (Filmarks)

 

看護学生たちが、ひたすら丁寧に石鹸で手を洗うシーンからはじまります。

 

第一章 「逃げるからこそとらえられる」

第二章 「暗くなるからこそ見える」

第三章 「死ぬからこそ求める」

 

いかにも意味ありげなタイトルがついていますが、100%ドキュメンタリーです。

 

 

第一章は、看護学校での授業風景

 

血圧の測り方、聴診器の当て方、患者の動かし方、注射器の気泡の取り方、

筋肉注射のやり方、産気づいた妊婦への処置・・・

生徒たちはみんな笑顔で、和気あいあいと学んでいきます。

「平等に看護を提供することが重要」

「臭いや老化した体に直面してもプロに徹しろ」

「謝礼をうけとってはいけない」

と、プロとしての心構えも叩き込まれます。

 

 

第二章は、それぞれの診療科に分かれて、いよいよ実習がはじまります。

 

入院患者に手術前の説明をしたり

骨折した子どものギブスを外したり

太い静脈注射を打ったり・・・

本人はちゃんとやっているつもりでも

教官がつきっきりでダメだしするたびに

どんどん不安な顔になっていく患者たち

・・・というのは、病院あるあるですね。

 

 

第三章は、実習を終えた学生たちのカウンセリング風景。

 

重篤な患者の扱いに悩みストレスを受けた

教官に評価を得られず、低い点数をつけられた

指導教官がかわるたびにいうことが違って混乱した

書かなければいけない書類が多すぎる

死に立ち会う瞬間の怖さと美しさ

運命的で濃い実習ができた 等々・・・

実習への不満を口にする者もいれば、自分の拙さを反省する者、

感動した瞬間を伝えようとする者、機会を与えられたことに感謝する者・・・

 

第一章、二章で登場した生徒たちなんですが、

あまりに人数が多いので、なかなかすぐには思い出せません。

 一般的なドキュメンタリーだと、もう少し整理して理解しやすくしたり、

作り手の伝えたいことを前面に出す編集をしたりするんですが、

本作は、撮りためたフィルムをどんどん繰り出してくる感じで、

「未整理」状態にしか思えない。

 

ひとことで「看護」といっても、体の病気やケガの治療だけでなく、

うつ病や統合失調症の患者のケアも仕事の一環で、それはそれはさまざまです。

 

共通するのは全員フランス語を話すことぐらいで、アフリカ系やアラブ系など人種もいろいろ。

全員が若者とも限らないし、家庭環境も経済環境もそれぞれで、とにかくバラエティに富んでいます。

 

人の役にたつ仕事を選んで学びの場にやってきた彼らにはいろいろな試練や困難がまっているけれど

時には泣いたりくじけたりしながら、前に進む彼らへの人間賛歌です。

 

ひたすら看護学校と医療現場を映し続ける105分で、劇場映画として面白いかというと、

あんまり面白くはありません。

ありのままを映して、「どうぞ感じてください」というスタンスなんですね。

 

看護学生に限らず、どの道を選んでも、最後のカウンセリングで出てくる悩みなどは

実はさほど変わりはないような気もします。

 

最後に教官から

「困難を乗り越えると誇らしいでしょ?」といわれた女子学生の笑顔が心に残っているのですが、

これはどの業種でも同じこと。

その普遍性が多くの人に共感を得られるような気もする一方で、

なんとなく、ありきたりの結論に収まってしまったような気もします。

 

これから自分の進路を探していく若い人たちが見たら、もっと新鮮に映るんだろうな。

公開中・公開予定の映画の原作本 (64)

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9月27日公開予定 「ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち」 ← 「フラッシュ・ボーイズ 10億分の1秒の男たち」 マイケル・ルイス 文芸春秋社

 

9月13日公開予定 「僕のワンダフル・ジャーニー」 ← (同名ノベライズ) Wブルース・キャメロン 新潮文庫

 

 

 

9月20日公開予定 「アイネクライネナハトムジーク」 ← (同名) 伊坂幸太郎 幻冬舎

 

 

「アイネクライネナハトムジーク」は、伊坂幸太郎とミュージシャンの斉藤和義の「出会い」をテーマにした

小説と音楽のコラボ企画からできた作品で、けっこうな変わり種です。

「唯一の恋愛小説」という売りですが、たしかに、だれも殺されないし、犯罪とは無縁、という

めずらしい伊坂作品。

 

6つの章はオムニバスみたいなんだけど、計算されつくしていて、最後に見事につながる・・・

と思いきや、少しずつ発表していったものなので、

そこまでの爽快感はないような・・・・

 

映画の方の相関図をみると、6つの章が全部登場するみたいなので、

きっと再構成しているのでしょうか?

私は「ドクメンタ」で藤間が自動車免許更新所での女性との出会いが一番好きだったので、

ここは省略されたくなかったんですが・・・・

佐藤とサキのエピソードが思い切りふくらむのかな?

ともかく、映画では各章がどうなっているのか、とても楽しみです。

影に抱かれて眠れ

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映画 「影に抱かれて眠れ」令和元年9月6日公開 ★★☆☆☆

原作本 「抱影」 北方謙三 講談社文庫

横浜の歓楽街、野毛。

抽象画家として活動し、2軒の酒場の経営者でもある硲冬樹(加藤雅也)は、

絵を描いては野毛の街で酒を飲む生活を送っていた。

ある日、彼を父親のように慕っているバーテンダーの岩井信治(カトウシンスケ)が傷を負った姿で現れ、

冬樹は抗争に巻き込まれてしまう。

そして、10年以上思い続けていた永井響子(中村ゆり)の余命を知る。     (シネマ・トゥデイ)

 

創元社文庫の拳銃マーク「警察小説 ハードボイルド」のジャンルは中学生くらいから読んでいたので、

「ハードボイルド」のお話は基本的に好き!

日本が舞台というのはあんまり読まないけど、「孤狼の血」なんかはかなり好物だったので、

オッサンたちにまじって鑑賞。

ストーリーに整合性なくても、主人公に共感できなくても、

とにかく、「あ、これ、かっこいいかも」と思った時点で「アリ」ということで

ハードルをめちゃめちゃ下げて見に行きました。

 

主人公のフユキを演じるのは加藤雅也。(この時点で、ほぼアリな予感です)

髪をひとつに結んで、横浜の街を自転車でふらつくオッサンなんですが、

本職は画家。

気持ちが乗らないとなかなか書かない寡作の画家ですが、常に個展のオファーを受けていて

たまに描くと海外の画商からも注目されているという・・・・

よれよれのかっこうをしていても、実はお金持ちで、複数の酒場を経営している実業家でもあります。

 

家庭も持たず未だ独身なんですが、女性関係に疎いというわけではない。

自身の経営するバーのママ(熊切あさ美)が愛人で、男女の関係もあります。

ふらりと飲みにいって、コップをテーブルに伏せるのが合図で、

「いつもの部屋でシャワーを浴びて待ってるよ」ということらしい。

 

そのほかに、10年来プラトニックラブを貫いている外科医のキョウコという女性も登場します。

彼女はフユキの絵のファンで、最初の作品を

「ここには私がいる」といって買ってくれた女性。

フユキのことが大好きなのに、思いが通じず、ほかの男と結婚しますが

人妻になってからも、いたって健全なデートをしている間柄です。

 

要するに、(存在が格好いいという以前に)

世の男性たちが夢見るような「いいご身分」なんですよね。

 

また、フユキは人情にも篤くて、昔自分の店で働いていたシンジという若い男がヤクザとトラブルになり

それに手を貸したことから、フユキも巻き込まれていく・・・・という話です。

 

シンジはヤクザに売られて風俗で働かされている女性を救う活動をしていて、

女性たちは「野毛山ロドリコ教会」でかくまってもらっていたんですが、

ドラッグ漬け?で頭がおかしくなってしまったヒロミという女性を好きになってしまったことから

ヒロミの元カレとか、ヒロミを金で買ったヤクザたちから追われて

年がら年中襲われてズタボロになっているのです。

それでも懲りずにこんどは自分の母親に200万で風俗に売られたアカネを

無事に教会に連れていきたいといい、

ヤクザに面のわれてないフユキが車で送り届けるのですが、

しっかりナンバープレートをチェックされて、身元が割れてしまいます。

 

一方、フユキにとって一番大切な女性であるキョウコから、

悪性リンパ腫で余命わずかだと告白されます。

「そうか、もうすぐいなくなるんだな・・・・」

フユキは取り乱すこともなく、馴染みの安食堂で一緒に楽しく食事します。

「私のことを描いてほしい。もう私にはあんまり時間がないんだけど・・・」

 

「描く」と約束したフユキですが、それは作品として残すのではなく、

何を思ったか、彼は刺青の彫師に弟子入りし、

キョウコの背中に自分の作品を彫ろうというのです。

ホテルの部屋を何日も抑えて、キョウコに残された時間を共有するふたり。

「君の体力がつきるまではオレの時間だ」

そして見事な彫り物が完成します。

 

「この絵、私といっしょに消えちゃうね」

そして、キョウコはフユキの前から姿を消します。

 

そして、しばらくして、大きな絵をもった男がフユキを訪ねてきます。

「先生、キョウコが亡くなりました」

「妻の持ってきた感情を知りたくて、会いにきました」

「妻の最後の命の灯りをともしてくださったことに感謝しています」

「ただ、夫の私には残酷な話です」

「妻の持っているこの絵は燃やそうとも思いましたが、お返しします」

「お会いできてよかった」

そういって、働かされての夫は、コップの水をフユキにかけると、出ていきます。

深々と頭を下げて見送るフユキなのでした・・・・・

 

 

バーテンダーの辻村を交渉にいかせて、女性たちを助けるために

多額の金銭を用意するフユキでしたが、ヤクザの組織は2つあって

片方に金を払っても、もう一つの組の風俗店で働かされてしまい、

金銭だけではなかなか足ぬけできないことがわかります。

シンジの惨殺遺体が見つかり、怒りに燃えるフユキは(カタギのくせに)

2つの組織を直接ぶつけて、両方を壊滅させようと、車を走らせますが・・・・  

 

ヤクザ組織については、「孤狼の血」みたいなちゃんとした説明はないんですが、

この2人がそれぞれの組織のカシラのようです。

 

 

湘南乃風の若旦那演じる中井は、

いつも豚足を素手でつかんできったない音を立てながら貪り食ってる下品キャラ。

クスリをやってるのか、表情もまともじゃありません。

女性をえじきにして人身売買をシノギにしてる、レベルの低いヤクザ。

 

 

 

ヒップホップ界のAK-69が演じる三田村は、いわゆるインテリヤクザで、

フユキの描く絵の良さもわかっているし、言葉遣いも丁寧。

面構えもなかなか決まってるんですが、肝心のせりふがねえ・・・

滑舌はいいのに、なんでこんなに下手に聞こえるんだろう?

 

実は三田村は、誰よりもかっこいいせりふを用意してもらってるんですよ!

ラストも、瀕死のフユキを自分のクルーザー乗せて

「先生は誰にも知らずに消えてゆく」

「ある日ふっと消えて、絵だけが残る、そんなのもいいんじゃないですか?」・・・みたいな。

 

フユキはすでにカンフル剤でぎりぎり意識がある状態なので、

ほぼ、三田村の一人語りなんですよ!

そして一発の銃声でこの映画が終わるというのに、

演技がイマイチで、笑っちゃうほど締まらないの!

アフレコでもいいから、なんとかならなかったのかな???

 

 

三田村とちょっと似ていますが、彼はヤクザのボスじゃなくて、

松本利夫(MATSUから名前変わったんですね)演じる、フユキの店のバーテンダー辻村で

安っぽいチンピラ感ただよわせてます。

辻村のせりふは、(三田村とは逆で)なんか説明的な長いせりふをダラダラしゃべらされています(笑)

脚本、けっこうひどいですが、芸達者なMATSUは器用にこなしていたような・・・・

 

 

ヤクザパートはなんか適当で、原作を読めば、原作が手抜きなのか脚本の問題かわかるんですが

そこまでして確かめたいほどの熱意はありません。

 

横浜港の赤レンガ倉庫や開港記念会館もでてきたけれど、

舞台は野毛山のハモニカ横丁周辺のようで、

このあたりの土地勘があればもっと楽しめたとは思います。

 

汽笛の音、工事音、車の騒音、人のしゃべる声、携帯の呼び出し音・・・・

周辺音がセリフにかぶるくらいうるさいのは、臨場感アップのためかもしれないけれど、

あんまり素敵な演出とも思えず・・・・・

 

ただ、キョウコとの純愛パートでは、何度か「かっこよさ」を感じたので、

いちおう「アリ」ということで・・・・・

SHADOW/影武者

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映画「SHADOW/影武者」 令和元年9月6日公開 ★★★☆☆

(中国語 字幕翻訳:樋口裕子)

 

 

沛国が敵の炎国に領土を奪われて20年、

敵と休戦同盟を結んだ若き王は、平和な一方で屈辱的な日々を過ごしていた。

奪還を目標とした開戦派を束ねる、頭がよく武芸を得意としている重臣・都督(ダン・チャオ)は、

最強の戦士である敵の将軍・楊蒼に手合わせを申し込む。

彼の勝手な行動に激怒する王だったが、目の前にいる都督は影武者(ダン・チャオ)で、

本物の都督は自身の影に大軍との戦いを命じていた。                    (シネマ・トゥデイ)

 

「影武者の存在」というのは、タイトルにもなってるのでネタバレでもないと思いますが、

それ以外も、全然無頓着に書いてしまってますので、

未見の方はご注意ください!

 

 

「影は史書に記されることはなく、生も死もない」

「都督夫人は選択を迫られていた」

オープニングクレジットのあと、チャン・イーモウの作品とは思えないほどの

モノトーンの水墨画のような暗く地味な映像が続きます。

 

当時、領土を隣国炎国に領土の境(ジン)州を奪われた沛(ペイ)国の若き王は、

戦を避け、休戦同盟を結んでいましたが、

それを屈辱と思う臣下もいて・・・

中でも最も頭脳にも武芸にも秀でた重臣・都督(トトク)は、

独断で敵の将軍、楊蒼(ヤン・ツァン)の誕生日に訪問し、ジン奪還交渉をして

武芸の達人でもあるヤンツァンと決闘の約束をしたと報告します。

 

激怒する王に対して

「王はジン奪還よりも同盟を優先されているが、民意はそうではない」とピシャリ。

「勝算は3割以下だが全力をつくす」と約束します。

 

王は突然琴の名手であるトトクとその妻シャオアイの合奏を所望します。

「ジンが戻るまで琴は弾かないと天に誓った」

「誓いを破るときはこの指を落とす」

「この国の天は(王である)私だ」 とかひと悶着あったあと、

激しい演奏を一足早くに始めた妻が突然刀で自分の指を落とそうとするのを

慌てて止めようとするトトク。

そして自らの髪を落として天に詫びるのです。

 

めんどくさい夫婦~!

と思ったら、実はこれには理由があって、トトクは影武者なので、琴はぜんぜん弾けないんですよ!

ともかく、夫婦の連携プレイでバレずに事をおさめることができました。

 

一方、これを見ていた王の妹チンピンは、シャオアイとも仲が良いので、兄の無理じいを責めるのですが、

「トトクの英気をくじくために、琴を弾かせて冷静にさせようとした」と言い訳する兄。

でも、逆効果でしたね。

 

どうしても戦を避けたい王は、次なる手を考えます。

それはヤンツァンの息子のヤンピンに妹を嫁がせて姻戚関係を結ぶというもの。

さっそく腹心のルー大臣を使者におくります。

 

さて、本物のトトクは、屋敷の奥の隠し部屋にひっそり身をかくしていました。

彼はヤンツァンから受けた刀傷から病を患い

以来、そっくりの影武者ジンチョウを身代わりにたてていたのでした。

 

トトクにとって、ヤンツァンとの決闘はリベンジ戦で、

一方、彼に奪われたジンはジンチョウの故郷で、そこには生き別れとなった盲目の年老いた母もおり、

「ジンの奪還」はジンチョウにとっても死活問題でした。

 

トトク(実はジンチョウ)は、同盟を軽視した罪で、自分に斬罪を与えるようにといいますが、

王はそれを聞き入れず、

「死なせはしないが、冠位を剥奪して、無位無官とする」といい、

高貴な衣装を脱がされて白装束となります。

無位無官となったことで

「私はもう一般の民だから、国とは関係ない」

と、独断で向かうことを宣言するのです。

 

本物のトトクはジンチョウにジンを奪還させて、自分が王になったら

ジンチョウも引き立てると約束しますが、

ジンチョウは自分はおとりに過ぎないただの下人だといいます。

 

トトクは果し合いでヤンツァンに勝つべく、新しい武術を授けます。

療養中で激やせしているのに、これだけ強かったら自分で戦えばいい気もしますが・・・

「女人の動きで敵を欺け」とか、

大衆演劇の傘の舞みたいで、なんか笑っちゃうんですが・・・

 

 

プロモーション画像につかわれているこの画像は、平民となった影武者のジンチョウ(左)に

本物のトトクが武術の特訓をしているところ。

トトクは隠れ部屋に潜んでいるはずなのにここはどこなんだろう?やたら広いです。

地面の模様はいわゆる陰と陽の「太極図」で、これにも意味がありそうです。

 

 

ところで、ジンチョウとシャオアイの関係は、トトク公認の偽物夫婦なわけですが、

妻のシャオアイはずっと夫婦役をやっていると、情が湧いてしまうようで

「あなたはカゲじゃないわ、あなた自身よ」

と、励まします。

そしていよいよジン奪還に出かける前夜、二人は結ばれ、

それをこっそり壁の穴からのぞいているトトク・・・・・ なんか、エロイです。

 

一方、彼らの味方でもあるチンピン姫は、トトクを罷免した兄に激怒。

「ジン問題を棚上げにするなんて恥さらし」と詰め寄りますが、

自分が敵の息子と結婚するための切り札に使われたことを知ってまた激怒します。

 

ルー大臣は、

「姫を側室に迎えたい」というヤンピンのメッセージを伝え、

結納の印として、守り刀を預かってきますが、

妻ならともかく、側室なんて、失礼なことをいわれても

「それも一つの手立てだな」と慌てもしない王。

 

臣下のなかにも、この屈辱に耐えられないものたちがでてきて、

冠位を剥奪されて出ていくのをみたチンピン姫は、

「結納は受け取るわ、ヤンピンにそう伝えて」と言います。

 

ジンチョウたち、境(ジン)州奪還部隊は、船にのって炎国に向かいますが、

なんとこの中に王の妹のチンピン姫も参加しているのです。

 

 

 

炎のヤンツァンは敵なので、悪役っぽい感じで登場するかと思ったら、

なかなか温厚で人徳のありそうな王です。

息子のヤンピンもイケメン!

 

 

チンピン姫は、自分が嫁ぐはずだったヤンピンと一騎打ちして、

結納の守り刀でとどめを刺して自分も息絶える、という悲劇の結末です。

 

やがて旗が落ち、ジン州をおとしたジンチョウは、馬を走らせて

母の家に向かいますが、何者かに殺されたあと。

 

そのころ、王の屋敷ではジン州奪還の祝いの宴が催されており、

よろよろになって帰ってきたジンチョウは英雄として迎えられます。

 

その場で、王はみんなを外に出し、ルー大臣だけを呼び、

彼が実はヤンツァオに情報を流していたことを自分は知っていた上で昇進させ

利用していたといって、ルー大臣を刺し殺します。

そして、ジンチョウが影武者だということもすでに知っており、

本物のトトクのところへは暗殺者を差し向けたといいます。

「命令に忠実なほうを残す」

「(シャオアイにとっても)これからは若くて強壮な夫と一緒がいいだろう」

 

そして、いかにもトトクのクビのはいってそうな箱を鎧を着た兵が捧げ持って入ってきます。

おびえるシャオアイ。

王が箱をのぞき込むとそれは空っぽで、その兵士がトトクだったのです!

 

そして

「ジンチョウ、こいつを殺して仇を討ち、妻をつれて逃げろ!」

「天下の美をめでる余裕はなかった。できるだけ遠くに行け!」

 

ところが、ジンチョウが殺したのはトトクのほうで、続いて王も刺して

その刀をトトクに握らせます。

そして

「王は不幸にも亡くなり、刺客はトトクが殺した」

と民に宣言するのです・・・・・               (以上あらすじ終わり)

 

 

あらすじ書きすぎたので、感想は短くしますが、

ひたすら様式美にこだわる戦いのシーンは日本映画に倣っているような。

モノクロで赤い血を際立たせる、というのも、よくある手法ですよね。

 

「見どころ」とされているのは、トトクとジンチョウの二役をダン・チャオが演じ、

妻役も実生活での妻のスン・リーが演じているということのようですが、

日本の「影武者」も仲代達也が二役やっていたから、これはマストなのかもしれないけど、

風貌が全然違うんですよ。

 

 

この病人の方をやるために20kg減量したそうですが、

ここまで違うのなら、別に本人じゃなくてもいいような気がしましたけどね。

むしろ、自分の仕立てた影と妻が抱き合ってるのを見てるときの複雑な心境とか

別人がやったほうがいいような気がしました。

 

この夫婦より、政略結婚させられそうになるも、その前に戦って死んでいった

チンピンとヤンピンの美形カップルのほうが

出番こそ少なかったけれど、ずっと印象に残りました。切なさMAXです!

 

意外だったのは、王や敵国が同盟を結んで平和を維持しているのに

主人公がやたら好戦的なんですね。

王に対して「民意はジン州の奪還です」と明言していましたが、

民が戦を望んでいるようには思えなかったけど・・・・

「戦いを挑んで領土を取り返そう」なんて映画が共感を呼ぶような社会にはなってほしくないです。

 

全体的に、アクション映画+歴史絵巻+陰謀もの+悲恋映画 ・・・ という感じで、

きっと人によっていろんなとらえ方のできる作品のように思いました。


映画雑誌の秘かな愉しみ + お知らせ

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現在、京橋の国立映画アーカイブ(旧東京国立近代美術館フィルムセンター)で開催中の

企画展 「映画雑誌の秘かな愉しみ」に行ってきました。

 

 

3年前の同じようなシネマブックの企画も、面白かったです(その時の記事は→こちら

 

今回も館内撮影禁止だったので、参考までに、チラシの裏面を貼っておきます。

                 ↓

 

日本で最も古い映画雑誌は1909年(明治42年)に発行された「活動寫眞界」という雑誌なんですが・・・

それから10年後、今もあるキネマ旬報の創刊号が

映画好きの4人の学生によって作られました。

これが1919年7月で、今からちょうど100年前なのです!

(つまり、今年はキネマ旬報創刊100年の記念の年)

創刊号は、雑誌というより同人誌で、わずか500冊しか発行されなかったとか。

月刊でなく、最初から「旬報」というのが、書きたくてたまらない強い意志が感じられていいですね。

1924年にはすでに、「キネマ旬報ベストテン」が始まり、現在も続いています。

 

その後もたくさんの映画雑誌が創刊されては消え、戦時統制で中断したり、いろいろあったでしょうが、

最近はネットで情報を知ることが増えて、映画雑誌はずいぶん少なくなってしまいました。

 

なかでも、個人的にショックだったのは、2008年の「月刊ロードショー」(集英社)の廃刊。

付録のスター大名鑑を楽しみにしていたのですが、

廃刊後は、ライバル紙のスクリーンの「スター&監督大名鑑」を買っています。

節操ない話ですが、そのスクリーンの名鑑も12冊もたまってしまいました。早いものです。

 

インターネットの普及で右肩下がりの映画雑誌業界ですが、

そのなかで一番発行数が多いのは「映画秘宝」(洋泉社)だそうです。

たしかに、B級映画やオカルトやバカ映画とか、ほかの雑誌では扱わないようなことがたっぷり読めますね。

 

「長期継続誌」として紹介されているのは次の3冊

① キネマ旬報      (1919年~)

② 季刊 映画芸術    (1946年~)

③ 月刊スクリーン    (1947年~)


 

これが最新刊で、旬報(月2回)、季刊、月刊と発行頻度はさまざまですが、

今も書店で買えます。

 

本物の雑誌が展示されているのはうれしいけれど、

実際に手にとって読めないのは残念ですよね。

 

実は、今日展示のあった資料のなかの1冊と同じものを私は持ってるんです!

 

 

 

雑誌「スタア」の1940年12月最終号です。

1933年創刊から7年半を経て、休刊となるわけですが、中を見てみると、

「休刊」とか「廃刊」とかいう言葉はどこにも使われず、

「株式会社 映画日本社」を創立し、「新映画」「映画之友」の二大雑誌を創刊する・・と書かれています。

戦時雑誌統合令による、雑誌統合が行われたというわけです。

 

「新しい使命から再出発」とか

「高き理想へより以上の情熱と努力を捧げる」とか

希望に満ちた言葉が並んでいますが、

ここから先、戦意高揚の映画ばっかり作らされることを考えると切ないです。

「スタア社→映画日本社」 「キネマ旬報社→映画旬報」とか社名の変更もいかにもですね。

 

そして終戦後、またハリウッド映画情報満載の「スタア」が復活できてよかった!

 

 

私が5年前に買ったのは復刻版なので、お宝的な価値はないのですが、

昔の雑誌は、広告なんかを見るだけでも楽しいです。

 

 

驚いたのは巻末の「質問室」で、

読者が官製はがきで質問すると、このコーナーで一人ずつ丁寧に答えてくれています。

スターの本名とか誕生日とか出身学校とかの個人情報についても

じゃんじゃん答えてくれています。いいのか?

 

びっくりしたのは、質問内容は全く書いてなくて、

「〇〇さんへ」と質問者の名前があるだけで、質問内容は想像するしかなく、

ホントに読者との距離が近いんだな、と思いました。

 

 

 

私はホントはこのトークイベントに参加したかったんですが、

個人的な事由で参加できず・・・・

 

実は突然手術が必要な病気になってしまい、明日から入院することになりました。

 

そういうわけで、しばらくブログ更新がかないませんが、

また無事に復帰しましたら、よろしくお願いいたします<(_ _)>

入院騒動顛末記

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無事に退院しました。

何度か入院や手術を経験したものの、カテゴリー相違からスルーしていましたが、

今回はほかに書くこともないので、お時間ありましたら、お付き合いください。

 

 

いきなりのネタバレですが、私の病名は

       巨大卵巣腫瘍(嚢腫)

 

卵巣は腫瘍のできやすい部位で、そのなかでもほぼ良性の卵巣嚢腫は症例が多く、

大きくなる過程でねじれたり破裂したりするのを防ぐために

5cmくらいで腹腔鏡下手術することは多いということです。

 

で、私の体にできた嚢腫は、その時期をらくらくクリアして、静かに成長していったようなのです。

 

 

★トイレが近くなって2時間半越えの映画をみるのが厳しくなってきた

★いくら運動しても、お腹がひっこまない

 当然加齢によるものとあきらめていたのですが、

今にして思うと、まちがいなくこれが「自覚症状」だったんですよね!

 

前回の区の検診で、(体重がほとんどかわらないのに)腹囲が7cmも増えたのを

診察医から「メタボ予備軍」と指摘され、「運動はしていますか?」

「週3で走ってます」と答えても、「ふーん」といわれただけでした。 

 

「定期的に運動している女性の腹囲だけが増えたら、病気を疑わなくちゃいけないのに・・・」

と、後日、産婦人科の先生は言ってくださったけど、

実際問題、検診にそこまでは望めないでしょうね。

ちなみに、子宮頸がんや乳がん検診でも(こちらからいわなければ)卵巣の病気は見つかりません。

 

 

私が最初にはっきりした違和感を感じたのは、8月17日(土)の夜。

ベッドでうつぶせになったら、明らかに腹部にゴム風船のようなものが当たるのに気づきました。

起き上がって、夜中にネットで検索しまくったら、「卵巣嚢腫」という病名が一番ヒットして、

もしかしたらこれ?と思うようになりました。

 

病院は嫌いですが、気にもなるので、娘たちを産んだ産婦人科に行こうとしたら、

なんと予約が3週間待ち!

さすがにそこまで待てないので、かかりつけの内科医に相談することにしました。

(この時点では、ただの内臓脂肪とかいわれるのも覚悟していました)

 

腹部エコーで調べると

「おや、なにか巨大なものが眠っていますね!」

「婦人科系のようだけれど、診療科を限定せずに、

とにかく、大きい病院で至急検査してください!」

と、近くの総合病院の総合内科に紹介状を書いてくれました。

 

その日も深夜まで検索三昧。

卵巣嚢腫一択で、グロい画像ばかり見ていたら、

まさにお腹をつきやぶってエイリアンが出てくる夢とか見そうです。

精神的にもよくないので、ここはこの子に置き換えるということで・・・・

 

しろぎつねポケモンの ノーシュ!      かわいいでしょ?

 

 

翌朝、朝イチで総合病院に行って、あれこれ検査をしてもらったんですが、

下された診断は予想通り卵巣ノーシュ。

鮮明なCT画像に映っていたのは、ネットでみた「巨大卵巣嚢腫」に負けないすごいものでした。

輪切りにすると直径20センチ以上、 横からだと、みぞおちの上から下腹部まで全部が卵巣!

他の臓器はみんな隅っこに追いやられて、なんともお気の毒な状態になってるのに

気づかずにへらへら生きてる私は何だったんだ!

と、驚くやら、呆れるやら・・・・・・

 

この画像が欲しいと先生にいったものの、カルテ開示の手続きが必要だと。 うーん、残念です。

(赤ちゃんのエコー写真はくれるのにね!)

 

良性の可能性が高いため、9月末の手術を予定していたのですが、

隠れてたのに見つかったノーシュが本性を現した、というか、

直後からあまりに早いスピードで成長して、食事もとれず、呼吸も苦しくなってしまったため

急きょ、9月11日の手術が決まりました。

「急に大きくなる→悪性」の法則もあるみたいで、不安要因もありますが、とりあえずホッとしました。

 

※※※腹式右卵巣腫瘍及び付属器切除術※※※

 

これが手術の名称です。

付属器というのは、右の卵巣と卵管なんですが、

あとからできた腫瘍のほうがメインになっちゃってるのはいかがなものか?

日比谷スカラ座・みゆき座と、TOHOシネマズ日比谷との関係みたいで、

個人的には納得いかないんですけど・・・・ (→ こちら

 

手術直前、手術台の上で名前とか生年月日とか聞かれるんですが

「これから受ける手術は何ですか?」といわれてしどろもどろになったのが心残りです。

腹式・・・・を完璧に言えたらかっこよかったのになあ~

 

さすがに腹腔鏡では無理で、しっかり切られましたが、

それでも丸ごとは出せず、中に入ってる液体を吸引してから出すのですが、

その液体だけで4リットルあったそうです。

本体が何キロあったかも気になりますが、手術室では量らないので、病理検査待ち。

それより重要な良性・悪性の生検の結果も同時にわかるので、ずっと気になっていましたが、

結局、退院までには、結果がでませんでした。

血液や放射線の検査結果はあっという間に出るから、これもきっと早いと思ってたんですが、

院内の設備でやるものの、診断する病理学の先生が決定的に不足していて、こういうこともあるみたいです。

 

というわけで、ちょっとモヤモヤする幕切れでしたが、

自覚症状の4日後に診断が下って、そのひと月後には手術を終えて退院することができたので、

なかなかのスピード解決でした。

 

最近トイレが近くなった、という方

お腹周りがヤバいという方

もしかしたらそれは卵巣の病気かもしれないので、

ぜひとも受診をオススメいたします!

 

明日からはまた映画のことを書きますね♪

リヴァプール、最後の恋

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映画「リヴァプール、最後の恋」 平成31年3月30日公開 ★★☆☆☆

原作本 「Film Stars Don't Die in Liverpool」 ピーター・ターナー  邦訳なし

(英語 字幕翻訳 栗原とみ子)

 

 

1981年9月29日、

ピーター・ターナー(ジェイミー・ベル)は、かつての恋人グロリア・グレアム(アネット・ベニング)が

ホテルで倒れたという知らせを受ける。

彼は、「リヴァプールに行きたい」と頼み込むグロリアを自分の実家で休ませるが、

彼女は何の病気か教えてくれなかった。

主治医に問い合わせ彼女の死期が近いことを知ったピーターは、

二人で過ごした懐かしい日々に思いをはせる。                      (シネマ・トゥデイ)

 

今回、入院のお伴に持ち込んだDVDはこの2本

 

 

今年公開され、DVDがリリースされたばかりの2本ですが

両方とも「残り少ない年上女性の人生の最後をいやした若い男性」の話で、

こういう「ババアが若い男を好きになる話」というのは

(おそらく私くらいの年齢の女性中心に)需要高いようで、ヒットする傾向にある気がします。

この逆パターンは、昔は多かったけど、最近あまりお目にかからないような・・・

 

ヴィクトリア女王・・・のほうは、ジュディ・デンチの存在感と、ロケ地のゴージャスさが特筆事項で

お話はまったく想定内。

なので、リヴァプール・・・のほうだけを書くことにします。

 

アネット・ベニング演じるグロリア・グレアムは、実在の女優で、

「悪人と美女」で助演女優賞でオスカーに輝いた、かつての銀幕の大スターです。

映画は、1981年、58歳となった彼女が、

ランカスターの舞台「ガラスの動物園」の公演中に倒れるところから始まります。

 

リバプールの中古家具店で働きながら俳優を目指す28歳のピーター。

彼は2年前アメリカにいたときにグロリアと交際していたことがあったのですが、

このかつての30歳年上の恋人から、突然会いたいと連絡がきて驚きます。

 

リヴァプールで静養したいといわれ、両親と兄夫婦と暮らす実家につれていきますが、

「胸にガスがたまって苦しい」というグロリアを、

彼女の大ファンでもある母のベラたちは温かく迎え入れます。

ここですごす6日間と、かつて交際をしていた2年前のシーンがたびたびフラッシュバックしつつ

ストーリーは進んでいきます。

(というか、たいして進まないかも?)

 

グロリアの「ガスがたまって・・・」というのはもちろん嘘です。

苦しくても断固医療拒否をしているグロリアに困って、ピーターがアメリカの主治医に確認すると

実は彼女は末期の乳がんであることを隠していたことがわかります。

 

死ぬかもしれないのに、それを隠して、医者にも行かず、血縁関係もない人の家に転がり込むのって

ありえなくない?

「一番看取ってほしい人のところに来た」ということでしょうか?

良識ある大人のやることではないですが、そもそもグロリアは(女優としては優秀かもしれないけど)

私生活では奔放というか、感情に素直というか・・・・そういう人物だったようです。

 

彼女は、生涯に婚姻関係を結んだ4人の男性との間に、合計4人の子どもを産んだものの、

離婚後は全員父親側が引き取って、ひとりも育てていません。

さらに、4人目の夫は2人目の夫の連れ子だというからびっくり!(ここまでは事実です)

中学生くらいのときから性的関係があったという噂もあり、本当だったら犯罪ですよね。

それ以前に、まともな大人だったら、義理の息子とはヤリません!

 

そんなことも原因になっているのか、アメリカの家族とはうまくいっていなくて、

イギリス公演中に倒れたから、もうアメリカへは帰りたくないってことなのかな?

 

2年前、ピーターと意気投合したグロリアは

「一緒にNYに住んで、冬はロスの家に住んで愛し合いましょ」なんていっていたので

よもや、5人目の夫?なんて思ってしまうのですが、ある日突然つまらないことで激怒したグロリアは

ピーターを追い出してしまうのです。

 

2年前の同じシーンを立場を変えてもう一度・・・という演出が何回かあるのですが、

例えば、「外で誰かと会っていたように思わせて、ピーターにやきもちを焼かせた」というのは、実は

「病院でガンの診断を受けたのをピーターに隠していた」とか、

「ピーターをイギリスに追い返した」のは、実は

「イギリスで役者のチャンスをつかみかけたのを自分のために無駄にさせたくなかった」から・・・・

とか、なんかいい話にまとめてますけど、

しょせん共感度ゼロなので、少しも心に響きませんでした。

 

そうそう、二人が交際していたのは1979年で、あの「エイリアン」が公開された年。

グロリアとピーターは「エイリアン」デートをしており、

あのお腹から飛び出すグロいシーンも再現されていました。

あれだけ思考から遠ざけようとしていたのに、まさかこんなところでお目にかかるとは!

(まあ、私の手術後だったからよかったですけどね)

 

さて、1981年の現在のシーンに戻って、

シェイクスピア劇でジュリエットをやりたかったというグロリアの思いを叶えるべく、

ふたりでセリフを読み合わせするシーン(↑トップ画像)は唯一、とても美しかったです。

 

いよいよ具合が悪くなったグロリアは、ようやく、アメリカの家族に連絡することを承諾し、

連絡すると、すぐ息子のティムが迎えにやってきます。

「飛行機なんて乗せたら死んでしまう」

とピーターは反対しますが、迎えのタクシーに乗せられNYに向かうグロリア。

同じ年の10月15日にニューヨークのセント・ビンセント病院で亡くなったというテロップが流れます。

 

 

グロリアの望んでいた「愛するピーターに看取られながら、リヴァプールで死ぬ」

というのは叶わなかったわけですが、

自分の産んだ(ピーターと歳の違わない)ティムだって、すぐに迎えにきてくれて、いいヤツじゃん!

と思ってしまうんですけどね。

 

タイトルにもなっているリヴァプールに、彼女がこだわる理由はよくわからなくて・・・・

「グロリアはランカスター家の末裔」ということばがでてきていたので、

(ハリウッド女優だけれど)イングランドに起源をもつ人物だということはわかったけれど、

同じイングランドでも、ランカスターとリヴァプールでは100キロも離れてるんですけどね。

 

本作は、ピーターの書いた回顧録が原作なので、事実がこの通りなのかは不明です。

「死の直前の6日間を過ごした」というのは事実なんでしょうが、

これは当時から知られていたことなのか、闇に葬られてしまってたのか?

後者だったとしても、ピーターの回顧録が出たのが1987年なので、

その時には公表されてたわけです。

 

グロリアはピーターに遺産を残したのか?というのも気になるところで、

結婚してないのだから、残す義理はないでしょうけど、

なにも金銭的な約束なしに、いきなり「私を看取って」というのも失礼な話。

ピーターの母はグロリアの大ファンみたいですが、金持ちのタニマチならともかく、

普通の労働者階級の家。

あの時代にあれだけアメリカに国際電話かけまくったら、いくらかかるんだか・・・

とか、ひやひやしながら見ていました。

 

 

ピーター・ターナー氏は1952年生まれの67歳で、もちろん存命です。
(グロリアが生きてたとしたら96歳)

俳優として大成したのなら、それはそれで嬉しいですが、

(インタビュー記事の中で)

「グロリアの死後、俳優としてやる気を亡くした」と書いてあって、これも残念。

 

なんで回想録からも30年たった今、映画化する意味があったんだろうか、と、

結局はもやもやしてしまいました。

 

ただ、入院中、(私はテレビを見ないので)DVD持ち込むのはいいですね。

(エイリアンが出てきたのには焦ったけれど)映画を見る時間は、癒されました。

 

 

これもカテゴリー相違ですが、

入院中役にたったものをご参考までに・・・・・

 

 

 

① 延長コード   私的に使えるコンセントは少ないので、これは必須です

 

② 保温カップ   割れないコップといわれるとプラ製を持っていきがちですが、

            保温できるのが絶対にオススメ

 

③S字フック     床にはものを置きたくないので、ベッドにひっかけられて便利。

 

④時計      最近は病室にも病棟にもほとんど時計がありません。

           この時計は優れものですが、もっとシンプルで見やすいものが良かったです。

 

⑤クッション   手術後の傷を守るために。

          ホントは抱き枕とかほしいところですが、かさばるので、これは必要最低限の大きさ。

公開中・公開予定の映画の原作本 (65)

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10月4日公開予定 「蜂蜜と遠雷」 ← (同名) 恩田陸 幻冬舎文庫

 

 

ずいぶん前に購入したのに、図書館で借りた本を優先して読んでいるうちに忘れられていたこの本、

「入院のお伴」に持参したら、半日で読めました~

 

浜松をモデルにしたと思われる「芳ヶ江国際ピアノコンクール」の期間中に凝縮された

コンテスタントたちの思いや葛藤を描き、音楽の喜びを見事に文字に変換した傑作でした。

本屋大賞と直木賞をW受賞した作品ですからね!(個人的には「熱帯」に獲ってほしかったですが)

ただ、最初幻冬舎のPR誌に連載していたころは、取材費や時間ばかりかかってお荷物扱いだったとか・・・

意外でした。

 

 

演奏家が主役の邦画だと、(あまり製作期間をかけられないのか) 痛い演奏シーンになることが多く

コンテスト本番なんて、エア演奏のキャストは顔芸に終始することが多いのですが、

この作品ではちょっとそれはイヤだなあ、

むしろ本物のピアニストをキャスティングしてほしいな、と思ってしまうのですが・・・・

 

映画作品で実際に音楽を奏でる演奏家は、

ボディダブルというか、スタントマンの扱いなのは納得いかないですよね!

 

本を読んだ後で作品情報を見ていたら、私の思い込みかもしれないですが

「先に演奏家を決めて、それに似た俳優をキャスティングしたのでは?」と感じました。

そこまでいかなくても、かなり「演奏重視」なことは間違いなさそうなので

10月4日の公開が楽しみです!

 

ハワーズ・エンド

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映画 「ハワーズ・エンド」 平成4年7月11日公開(4Kデジタル・リマスター版 令和元年9月13日公開) ★★★★★

原作本 「ハワーズ・エンド」 EMフォースター 集英社

(英語 字幕翻訳 細川直子)

 

 

 

知的中産階級で理想主義的なシュレーゲル家と、

現実的な実業家のウィルコックス家は旅行中に親しくなり、

シュレーゲルの次女ヘレンはウィルコックスの別荘ハワーズ・エンドに招かれる。

美しい田園風景の中、当家の次男ポールに一目惚れしたヘレンは、姉に婚約の意志を書き送る。

それを読んで、すわ結婚と早とちりした姉が飛んでくるが、ポールにそのつもりはなく……。(allcinema)

 

今、恵比寿ガーデンシネマで4Kデジタルリマスター版が公開中です。

上映時間と私の「膀胱問題」から、見る予定には入れていなかったのですが

オリジナル版は普通に旧作でレンタルできるので、これも入院中に鑑賞しました。

 

ウィルコック家の別荘ハワーズエンドで、そこの次男のポールとロマンチックな夜を過ごしたヘレンは

ちょっと浮かれてしまい、

「私ポールと婚約しました」

と、姉のベスに手紙を書いてしまいます。

ベスは弟のティビーとジェリーおばさんの前で手紙を読み上げ、

婚約のくだりにビックリ!

我にかえったヘレンはあわてて訂正の電報を送るも

そのまえに叔母さんがハワーズエンドにやってきてしまいます。

 

(冒頭はドタバタコメディのように始まりますが

このあと想定されるトラブルについてはサクッと省略、

一気に数か月後のシーンとなります)

 

音楽イベントでヘレンは隣に座った青年の傘を持ち帰ってしまい、

それを追いかけてその青年、レナードが自宅にやってきます。

「妹があなたの傘を盗みました?妹は常習犯ですの、ごめんなさいね」

お詫びにお茶に誘うベスでしたが、すぐに帰るというレナード。

メグは彼に自分の名刺を渡し、いつでも遊びにいらして・・と。

 

一方、夏の恋愛沙汰で気まずくなっていたウィルコック家が

ポールの兄のチャールズの結婚を機に

シュレーゲル家(メグ・ヘレン・ティビー)の家のすぐ前の高層住宅に引っ越してきます。

(一応礼儀なので)メグが挨拶に訪れるのですが、

ポールの母であるルースが応対してくれます。

 

「ポールとヘレンは恋には向いていても、体と心がバラバラで生活にはむきませんね」

「あの夏の失敗はもう繰り返したくありませんわ」

と笑うメグに相槌をうちながらも、体の辛そうなルースでしたが、

「今住んでいる家は18か月後に契約が切れて出ていかなければいけないんです、生まれた家なのに」

というメグのことばに驚いて否定するルース。

「生まれた家は無二のものよ!そんなことあってはいけません!」

急に、メグのことをハグすると、ハワーズエンドの別荘の話を始めます。

 

「あそこは私の兄の形見なんですが、古くて不便とみんなが改装したがってますの」

「朝日のなかの牧場をあなたに見ていただきたいわ!」

「土地の人が昔、クリの木の幹にブタの歯を刺して、その期の樹液を吸うと歯痛が治るのよ」

 

仲良くなった二人は、メグがいつも参加している討論会に誘ったり

ルースのプレゼントやカードの買い物に同行したり、楽しい日々をすごします。

ルースはメグをぜひハワーズエンドに誘いたかったのですが、かなわないまま入院、手術、

そして帰らぬ人となってしまいます。

 

その後、病院の婦長からヘンリーのところに手紙が届き、中にはルースの文字で

「マーガレット・シュレーゲルにハワーズエンドを贈る」

と書かれていました。

子どもたちを集めてこのメモを見せ

「法律上の拘束力はないが、妻の思いをかなえたい」というヘンリーに子どもたちは

「日付がない」とか「鉛筆書きは無効」などと口々に言い始めます。

「貧しく家のない人ならともかく、ルースはなんでこれを書いたのか?どんな意味があるのか?」

という父に

「何の意味もないのかも」といって、イーヴィーが破って暖炉の火に投げ込んでしまうのでした。

 

ヘレンから傘を取り戻したレナードですが、彼は文学や天文学好きの銀行員で

すでにジャッキーという妻のいる妻帯者でした。

ある日北極星をさがしているうちに一晩中歩き回り家に帰らなかったことから

ジャッキーが家で見つけたメグの名刺をもってシュレーゲル家に。

 

誤解は解けてレナードがお詫びにやってきますが

自分の気持ちをまったく理解してくれない妻とは違い

「『試練』の中の『自然は語る』の章ですわね」

「あれを読んだら一晩中さまよいたくなりますよね」

なんていってくれるこの姉妹に心を開くようになります。

 

またヘレンは、(彼の働く)ポリフォリオンは近いうちに破産することになる・・・

と以前ヘンリーが断言していたことを彼に伝え、すぐにも転職するように強く勧めます。

アドバイス通りレナードは転職するも、すぐにそこでリストラにあい、失職してしまい、

逆にポリフォリオンは破産しなかったため、ヘレンはひどく責任を感じてしまいます。

 

 

メグは、自宅の契約がまもなく切れてしまうことをヘンリーに相談すると、

チャールズに続いてイーヴィも婚約したため一人で住むには広すぎるロンドンの豪邸を提供すると。

それだけでなく

「私と一緒になってほしい、妻となってほしいのです」とプロポーズ。

メグはこれに驚くことなく

「気づいていましたわ」と彼にキスするのでした。

 

チャールズたちはメグのことを「よくしゃべるオールドミス」といい

父と結婚して遺産が少なくなることを警戒しています。

また、ヘレンは嘘の情報を流しながら責任を感じないヘンリーに強い憤りを感じていて、

イーヴィーの結婚式に突然バスト夫婦を連れてやってきます。

パーティの酒や料理をがつがつ食べるジャッキーに気づいてヘンリーは驚きます。

1992、キプロスで、ヘンリーとジャッキーは男女の関係だったのです!

 

メグも彼女のやり方でレナードの職探しをヘンリーに依頼していましたが、

力にはなれないことを告げますが、レナードが不憫で心を痛めるヘレン。

ふたりはボートに乗りながら感情が高まって、一線を越えてしまうのです。

 

ヘレンは自分の財産から5000ポンドの小切手を切ってレナードに送り、

ドイツへと旅立ってしまいますが、小切手はその後送り返されてきます。

 

その後ヘレンからは、絵葉書は来るものの、近況はなく、

連絡先は銀行の窓口指定で、生きているのかも不明なのを心配し

ヘンリーに相談すると、(その時一時的にヘレンの本などをハワードエンドに置いてあったので)

「ハワードエンドに必要なものを取りにいくように言って、様子をみればいい」と。

 

するとやってきたヘレンはあきらかに臨月で、父親の名前を言おうとしませんが、

「子どもの責任は私がとるわ、レナードも知らないわ」と口をすべらせ、みんな驚きます。

ハワードエンドの次の所有者であるチャールズはヘレンを追い出すためにやってきますが

そこへ レナード本人が訪れると、そこにあった姉妹の父の形見の剣を振りかざします。

心臓に持病のあったレナードは転倒し、そこに本棚の本が落下して、彼は死んでしまいます。

 

病死か?故殺か?

 

翌年の夏。

チャールズが収監されたため、自分の死後、子どもたちには金を

ハワーズエンドは妻に残すことを伝えるヘンリーですが、子どもたちも異存はありません。

「妻の死後、ここは妻の甥のものになる」

庭では近所の子どもと遊ぶ、幼いヘレンの息子の姿がありました。

 

「ルースは死ぬ前に紙に君の名前を書いた」

「意味はわからんがこれでよかった」                        (以上あらすじ 終わり)

 

本作はイギリス古典文学のEMフォースターの三部作の3つ目で

ジェームズ・アイヴォリーによって映画化されました。

1993年のアカデミー賞では、9つの賞にノミネートされ、イーストウッドの「許されざる者」と同率。

作品賞監督賞を含む4つの賞に輝いた許されざる者にはちょっと負けましたが

「主演女優賞」「脚色賞」「美術賞」を獲得しました。

 

映画館では見られなかったものの、十数年前にレンタルビデオで見た記憶があるんですが

久々に見たら、前とはずいぶん印象が違っていました。

前は不器用ながら純粋でまっすぐなヘレンの一本気な生き方に魅力を感じていて、

資産家との金目当てとおもわれてもしかたないような結婚をして、

「あっち側の人」になってしまったメグに失望したのですが、

自分が歳とってくると、メグとルースの友情に感動し、

ヘンリーだって、ちゃんと分別のある頼りがいのある男性の魅力を感じてしまいました。

 

美術や音楽も素敵でしたが、記憶にのこるセリフもいくつかあって・・・

 

「なぜ引き留めなかったの?それがホストなのに」

「彼を私たちのおしゃべりから救うのがあなたの役目よ」

    (レナードをお茶に誘ったのに帰ってしまったとき)

 

「一度職を失ったら僕らに道はない」

「妻を救おうとしたけれど、僕にできたのは・・・・共に飢えることだけだ」

    (レナードがボートの上でヘレンに)

 

「ルース奥様と足音が同じでした」

     (ハワードエンドの管理人のエイヴリーさんがメグに)

 

「いろいろな国の母親たちが一緒に集えたら、きっと戦争はなくなるのに・・」

    (討論会の席でルースが)

 

 

シュレーゲル家 →   知的な中産階級

ウィルコック家  →  現実的な資産家

バスト家  →     労働者階級

 

と、まるで価値観の違う人たちのようにグループ分けしがちですけど、

けっして分かり合えないわけではなく、

ヘンリーとメグがお互いに敬意を払って、自分に足りないものを補い合っているようで

本当にいい夫婦だとしみじみしているのは、自分が歳とったせいでしょうか。

 

この小説が出版されたのは1910年、今から100年以上前なので、今の感覚とはちょっと違っていて

例えばメグたちと討論会に集うような「意識高い系」の人たちが必ず関心あるのが「婦人参政権」

ルースは今までそんなこと、考えたこともなかったようで、完全に浮いているんだけれど、

それでもみんなの前で自分の考えを語ることの楽しさに目覚めたようで、

「楽しめなくてごめんなさいね」というメグに笑顔で否定するところで、胸がいっぱいになりました。

 

ハワーズエンドの「ブタの歯」みたいな因習を「大好きよ」といってくれるメグに

ルースは自分の死後を託そうと心を決め、

夫や子どもたちに一度は阻まれるも、結局は、すべてルースの思いが通じたのですよね。

ルースは前半で亡くなってしまうのだけれど、

ハワーズエンドの木々のささやきにも風の音にも、ずっと彼女の存在を感じ続けていました。

 

けっして短い作品ではないけれど、全編一瞬たりとも無駄なシーンがなく

映画を見る楽しさを与え続けてくれる作品です。

 

こういう映画、新作でもう見られないのかな?

 

忘備録として相関図を書きたかったんですが、上手くいかず、

Excelをコピーしてみました(恥ず!)

 

 

 

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