映画 「命みじかし、恋せよ乙女」 令和元年8月16日公開 ★★★☆☆
(ドイツ語 英語 日本語 字幕翻訳 吉川美奈子)
酒に溺れて仕事も妻子も失ったカール(ゴロ・オイラー)は、ドイツのミュンヘンで一人暮らしをしていた。
孤独に苛まれ“モノノケ”を目にするようになった彼を、日本人のユウ(入月絢)が訪ねてくる。
彼女は10年前に東京に来ていたカールの父ルディ(エルマー・ウェッパー)と親しくしており、
他界したルディの墓とかつてルディが住んでいた家を見に来たと話す。 (シネマ・トゥデイ)
アルコール依存のカールは、別れた妻のところにいる最愛の娘ミアの誕生日に
パンダのお面をかぶって訪れると、ミアは喜びますが、
「児童福祉局との約束を守って!」と、妻に追い出されてしまいます。
どうやら、カールはアルコール依存症で、生活態度を改めないと、娘にも接見できないみたいです。
傷心のカールが部屋に戻ってまた飲み始めると、
昔住んでいた日本の光景とか、日本の妖怪の絵とかがフラッシュバックします。
カートをひきずる若い女。
「こんにちは」と、カールの部屋を訪れたのはユウという日本人女性。
セーラー服の上にジャージの上着を重ね着して、その上にコート、ニット帽という、
ちょっと違和感ある?原宿風重ね着ファッションです。
ユウはカールの父ルディが生前日本で交流のあった女性で、
日本の火葬場で、カールたちといっしょに「骨上げ」もしていました。
カールの両親のお墓参りに来たというのですが、
カールは、父がユウに残した遺産を受け取りにきたと思っているようです。
いっしょに墓参りをしたあと、ふたりはカールが幼いころ過ごした実家に向かいますが
ここは長い間家具はそのままに、空き家になっていたようです。
ここには死んだはずの両親の亡霊が今も住んでいて、カールと普通に会話しますが、
母トゥルーディは生前と同様カールに優しく、父のルディは、厳しい言葉を投げかけます。
二人は日本人観光客に交じってノイシュバンシュタイン城を訪れ、
そこで出会った日本の老人から
「君は取りつかれてるみたいだ。これは厄除け」というようなことを言われ、
手の甲に「守」とマジックで書かれます。
売店で働いていたカールの兄クラウスの妻に声をかけられ、久しぶりに兄の家へ。
彼らの会話から、クラウス、カロリーネ、カールの三兄弟には、確執があることがわかります。
弱かったカールは子どものころ、兄や姉からいつもいじめられていて、
それが今でもトラウマになっています。
兄のクラウスは、長男のロベルトが(極右政党の父に反抗して)引きこもっているのを心配しており、
姉のカロリーネはレズビアンで、黒人の養女ふたりをひきとってくらしています。
ある日、カールはクラウスが行方不明になったのが心配で雪の森をさまよううちに倒れてしまいます。
病院に運ばれ、「医学的見地では死亡」といわれ、呼吸器を外すところまでいきますが、
奇跡的に回復。
退院して実家に戻り、兄弟に介護してもらいます。
凍傷で(?)男性器を失ってしまったことを知ってショックを受けますが
「あるべき自分や理想の自分から解き放たれた・・・」と。
ようやく回復したカールは、突然消えたユウを探しに日本へやってきます。
女のもののピンクの着物の上にジャケットをきて、バックパックを背負った不思議ないでたち。
(さすがに日本でも、『中性的』というよりは、ちょっと『おかしな人』って感じですが・・・)
白い着物のユウに誘われるように訪れた古い日本旅館「茅ヶ崎館」
ユウが欲しがっていたノイシュバンシュタイン城のスノードームや、
ユウが話を使うときにつかっていたピンクの公衆電話など、ユウの関連グッズがそこかしこに・・・
ようやく、樹木希林がこの旅館の女将として登場!
杖をついて部屋に案内し、カールに女物の浴衣を着せてくれます。
女将はユウのことを知っており、「ユウは私の孫娘」だといいます。
ユウの母親(女将の娘)は海に入って自殺し、
それに耐えられずにユウも、お母さんの死んだ場所で、おなじ浜降祭の日に海に入った・・・・と。
おりしも翌日は「天皇陛下即位30年を祝う浜降祭」が開かれ、
海辺に寝ていると、あのピンクの公衆電話の受話器があらわれ、
それをたぐると、沖にユウの姿が見えます。
「これでやっといっしょになれる」と
ユウは力づくでカールの頭を海に押さえ込むのですが
「死ぬまでもう少し生きるよ」
「もう少し生きたい」
というカールに
「人生を楽しんで、さよなら」
とユウは小さくなってきえていきます。 (以上あらすじ おわり)
公開館はごく少ないですが、見に来た人のほとんどは
「樹木希林の最後の作品を見たい」という思いで来てるはずです。(わたしも、そう)
プロモーションの時点で 「ヒロインの祖母役」ということが言われていたんですが
これはストーリー的には究極のネタバレなんですね。
「ユウは私の孫娘」「もう死んでしまったの」というところで
「ええ~っ!」となるはずが、最初からわかってみてるのはどうなんだろ?
それでも樹木さんが登場すると、急にクオリティが格段に上がっちゃいますね。
幻想的な庭を見ながら「ロンリー?」ときかれ、やさしくポンポンされたり
「あなた生きてるんだから しあわせにならなきゃダメね」
なんていわれたら、ぐっときちゃいますよね。
ちなみに樹木さんの出演シーンのほとんどは予告映像に収められているので
私のように「樹木さん見たさ」に映画館に行っても、ちょっともったいない気もしました。
でも逆に、「格の違い」は実感できますけどね。
さて、ストーリーに戻って、
本作は、なんというか・・・「怪談話」なので、
「え?どういうこと?」みたいなことが多いのは仕方ないんですが、
「ユウが最初カート引いてあるいてるところから、すべて幽霊」
というのは、ちょっとやりすぎのような・・・
カールの心の中だけにいるわりには、
ロベルトとも普通に話をしてたような気もするし・・・
「守」と書いてくれた日本人のおじいさんは、ちゃんと幽霊だと見破ってたということなのかな?
ひとつ言えるのは、(ドイツでは、悪霊はやっつけるものだと思われているけれど)
日本人は、幽霊に出会っても、
お茶をいれてもてなし、話をきいてあげて、ゆっくり帰っていただく
・・・というのを監督はこの作品のなかで伝えたかったような気がします。
「なに飲む?」
「眠れないの?」
「いっしょにおいで」
ユウが部屋にやってきた黒い謎の物体にやさしく話しかけていたのを思い出して
旅館で同じ目にあったとき、カールもおなじように
お茶でもてなしていました。
まあ、実際のところ、こんなことができる日本人はごく少数でしょうけどね。
カールがなんどもユウに関係を迫られては断るシーンがあったり、
日本にきたときも女物の着物をきていたから、
「ひょっとしてゲイ?」とか思ってしまうんですが、これは違いますよね、たぶん。
カールが母の着物や能面にこだわるのは
本作がこの監督の前作「HANAMI」の続編だからのようです。
日本では映画祭でしかやらなかったので、私もみていませんが、
WIKIにあらすじがあったので、参考にしてください→ こちら
カールは日本で銀行員だったんですね。
ドイツ系の在日外銀はドイチェバンクしかないから、かなりのエリートですよ!
父ルディも、(強面な姿からは想像できないですが)
顔を白塗りにして、妻の着物を着て、富士山をバックに川口湖畔で踊ってたみたいです。
それにくらべたら、カールの着物姿なんてかわいいもんです。
ここで白塗りなのは、前作でのユウの姿です。
↓
親日家の外国人監督は多くて、
私たちが意識していない日本人の美意識とかを取り上げてくれると嬉しいですが
本作はもうほとんどそれで押してるので、
なかには日本人がみると奇妙に思えることもあるけど、まあ、よしとしましょう。
外国人みんな大好き「渋谷のスクランブル交差点」も一瞬映りますが、
それ以外はJRの緑のガードとか、思い出横丁とか、甲南チケットとか
昭和の東京っぽい場所が多くて、ちょっと一味ちがうぞ!って感じ。
樹木さんの登場シーンも、有形文化財で小津映画にもつかわれた「茅ヶ崎館」を使うなんて
ツウな感じですね。
そしてなんといっても、タイトルにもなった「ゴンドラの唄」
芸術座の「その前夜」の劇中歌で松井須磨子が歌ったもので、大正4年(1915年)の歌ですから、
もう100年以上たつのですよ!
私は老人ホームで年中歌っているので、4番まで歌えますけど、なんともきれいな日本語!
いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを
この詩の元ネタは、アンデルセンの「即興詩人」に出てくる
ベネチア民謡の部分の森鴎外訳ともいわれます。
朱(あけ)の唇に触れよ 誰か汝(そなた)の明日猶在るを知らん
恋せよ、汝の心(むね)の猶少(わか)く 汝の血の猶熱き間に
白髪は死の花にして その咲くや心の火は消え 血は氷とならんとす
クロサワ映画の「生きる」のなかで、志村喬がブランコに乗ってこれを歌ったのがあまりに有名で
「大人が誰もいない夜の公園のブランコでゴンドラの唄」というのは、定番になっちゃいましたが、
外国映画にも登場するとは!
「定番」ではありますが、それでも樹木さんのうたう「ゴンドラの唄」は胸に沁みました。
「あなた生きてるんだから しあわせにならなきゃダメね」
という言葉にも通じるような気がしました。
エンドロールには
「樹木希林さんを偲んで」のテロップが。
樹木希林さんの遺作にして「世界デビュー」というコピーには
ちょっと文句いいたい気もしますが、遺作に相応しいテーマの作品だった気はします。