映画 「サマーフィーリング」 令和元年7月5日公開 ★★★★★
(フランス語 ドイツ語 英語 字幕翻訳 横井和子)
夏のベルリン。
サシャは恋人のロレンスをベッドに残し、仕事場のアトリエへ向かう。
彼女は淡々と仕事をこなし、同僚と会話を交わしてアトリエを出た後に突然倒れ、そのまま亡くなってしまう。
ロレンスも、フランスから急きょやって来た彼女の両親や妹のゾエ(ジュディット・シュムラ)もぼうぜんとする。
(シネマ・トゥデイ)
「アマンダと僕」のミカエル・アース監督の過去作。
アマンダ・・・と同様、大切な人をなくした人たちの愛と再生を描くドラマなんですけど、
説明的なシーンをすべて排除した作品作りは個人的にツボでした。
ストーリー自体は3行で書けるくらいのシンプルなもの
ベルリンの夏 恋人のサシャを突然失ったロレンスははじめてフランス人の彼女の妹のゾエや家族と会い
翌年の夏 パリで再会、
翌々年の夏、ニューヨークに移り住んだロレンスをゾエが訪ねます。 (以上)
最初のベルリンのシーン
先にベッドから起きたサシャは簡単な朝食をとり、着替えて、職場に向かいます。
(↑ 起き抜けの彼女は無防備な裸同然なんですが、エロい感じはまったくなくて
ほんとに飾らない日常なんですね。
定点カメラでもないから、のぞき見してる感じもなくて、
最初の何分かでサシャとの距離がうんと縮まります。
となりで寝ていた恋人の体温とか髭のゴリゴリ感とか、そんなものまで伝わってくる感じ。)
彼女はアートセンターで染色の仕事をしているようで、手際よく仕事を終えると
笑顔で同僚に挨拶をして帰っていきます。
サシャの後ろ姿がだんだん小さくなっていったと思ったら、芝生の上でよろけて、倒れてしまいます。
病院でチューブにつながれたサシャの姿
フランスからやってきた彼女の家族は驚きショックをかくしきれません。
ベルリン5日後
ロレンスはサシャの妹のゾエとその夫のダビッドと食事をとります。
「ゆうべは母さんがとりみだしてごめんなさい」とゾエ。
友人のアヌークが最後まで残ってくれてロレンスを手伝ってくれます。
「ゾエがあまりにサシャに似ていて、まともに顔を見られない」とロレンス。
「手続きはすべてあちらの家族がやってくれて、僕はなんて役立たずなんだ」
ロレンスはサシャの私物をとりにアートセンターに向かいます。
サシャがすきだったレモンタルトを作ってくれた同僚が
「材料のレモンペーストがまだ残っているかも」と探してくれ
「やっぱり見当たらなかったわ」といって号泣します。
(若いサシャが、あんな人の大勢いるところで倒れて、助かるに決まっていると思っていたのが、
このあたりから、私たちもサシャの死を確信するようになります)
「ベルリンにある娘の荷物は君の好きに処分してかまわないし、
貯金もすべて君のものだから」
サシャの父親はそう言い残してパリに帰っていきます。
パリ1年後
アヌークのパーティにパリにやってきたロレンスはゾエと再会します。
「私のところに連絡ないから会いたくないのかも」と思っていたゾエでしたが
直後よりも精神的にまいっているロレンスは、パリ滞在を延期して
ゾエの働いているホテルにやってきます。
「ゾエ、助けてくれ、乗り越えられそうもない」
ゾエは夫のタビッドと別居していて、ふたりの距離は急速に縮まります。
息子の幼いニルスはロレンスをみて
「ママのおともだちなの?」と聞いてきます。
ニューヨーク その1年後
ロレンスは姉の住むニューヨークに住まいを移します。
ロレンスは作家志望なんですが、語学に堪能な彼は翻訳の仕事が忙しく
もう3年も小説を書いていませんでしたが、
ハンバーガー屋で働いている友人のトマスにも書くことを強く勧められ、
「地下鉄で公園へ」という、サシャが最後にいっていた「タイトル案」もずっと気になっていました。
ロレンスは、姉の誕生パーティで知り合ったイーダと親しくなります。
ゾエがニューヨークにやってきますが、ダビッドと離婚を決めた彼女は吹っ切れた様子で
これからテネシーに行く、と。
ウォールハンドボールに興じるふたり。
ゾエはテネシーで元カレの男性と数年ぶりに会おうと思ってる、と言って去り、
海辺でイーダと戯れるロレンス。
思い出しながら、ちょっと詳しく文字に書き起こしてみましたが、後悔しました。
最初の3行だけにしておけばよかったですね。
「アマンダと僕」との共通点はいくつもあって、
①説明的なシーンがまったくなく、葬儀とかのイベントも省略
②ストーリーに絡まないわき役の人とかペットとかいちいち名前がある
③仮面の隅っこで大事なことが起こってたりする
④音楽の使い方が秀逸
①は、遺体との対面とか葬儀とか埋葬とか全然でてこなかった「アマンダと僕」でも
テロで亡くなったことはちゃんとセリフで伝えていたけれど、
本作ではそれすら説明されないのにはびっくりしました。
にもかかわらず、登場人物が今何を感じ、どういう心境でいるかが、ちゃんと伝わってくるのです。
②サシャの上司がマルクとか、母親がアデルとか、ピーターとかハービーとか
一瞬出てくるだけの登場人物にも名前があり、
猫にもちゃんとアギーレという名前がついていました。
アマンダ・・・の相関図は比較的わかりやすかったですが、
本作では同じようなブロンドの女性が何人も出てきて、けっこう混乱しました。
アヌークとジューンのどちらかがロレンスのお姉さんかと思っていたら、
お姉さんは実はニナだったりとか。
ゾエは私でも知ってるスクリーン映えする女優さんで、間違いなくヒロイン扱いです。
夫と別居しているし、辛い境遇をなぐさめあううちに、ロレンスとくっつくはず!
と観てる人は確信するはずなんですが、さもあらず。
途中から登場した地味~でお話も上手じゃなくて、なんとなく冴えない印象の
イーダという女性にヒロインの座をとられてしまいます。
チラシのこの後ろ姿の女性も、記憶のなかのサシャだと思ってたら、なんとイーダだったんですよね。
③ 本作でも、「サシャが歩いている途中にいきなり倒れる」という
一番ショッキングなシーンは、画面の隅っこで音もなく映されていました。
こういうのもこの監督の特徴なんでしょうね。
④なにも知識がなくて語れないんですが、アマンダ…同様、
音楽のチョイスも、かかるタイミングも心に沁みました。
ところで、サシャはベルリンに住んではいましたが、家族は全員フランス人です。
ただ、それ以外の人の国籍はよくわかりません。
ロレンスは翻訳の仕事をしているくらいだから英語・ドイツ語・フランス語が堪能ですが、
どこの国の人なんでしょうね。(俳優さんは北欧の人のようですが)
「フランスなまりのドイツ語」とか「英語なまりのフランス語」とかが聞き分けられる人には
出身地を想像するのはごく簡単なことなんでしょうけど、
字幕頼りの私なんかには非常に情報量が少ないです。
にもかかわらず、なんでここまで心を捕まれるのか?
設定とか説明とか関係なく、登場人物に静かに穏やかに寄り添うことで
その繊細な感情が画面を通してこちらまで伝わってくるんですね。
受け止めなければならない「大事な人の死」はあるけれど、描かれるのはただただ日常。
他人の日常をこんなに丁寧に見せられたら退屈しそうなものですが、そんなことないのは、
ちょっと粗目の16ミリフィルムのなつかしさだったり、
さりげなく映し出されるベルリンとテレビ塔やNYのウィリアムバーク橋だったり
映像も魅力的。
でも一番は『グランド・ジャット島の日曜日の午後』の絵のような
(サシャの両親の住む)アヌシー湖畔の景色は最高に素敵でした。
渋谷のイメージフォーラム単館上映ですが、
「アマンダと僕」が気に入った方だったら、ぜひご覧ください。